File:3-7_突然異変=GAME START/
突如撃たれて倒れていた男性が吊り上げられたようにゆらりと起き上がり、天井に向けてガバリと大口を開いた。
叫び。しかし人の声ではない。振動振幅共に人間の声帯を逸脱した超音波。共に陽炎のように空間が波動状で歪む。
だが、男は虫のように甲高い泣き声で叫びながら膨張していく。撃たれた腹部を始め、皮膚がぼこぼこと水風船のように膨らみ上がり、熱を発し始める。まるで巨大で強力な電子レンジに人間を放り込んだような。内部から瞬時に沸騰し、破裂せんばかりに膨れ上がる。
「こっちだ!」
「えっ、ちょっと!」
手を掴まれ、インコードは肉塊の様子を見届けることなく、近くの曲がり角の先にある階段へと目指したところだった。
「――っ!?」
しかし、それは突如止む。数コンマ秒の地獄から解放された私の視界はちかちかとしながらも、何とか意識を保っていられた。
「今のって……」
「ああ、ドンピシャだ。――
私と同じ状態になっていたであろうインコードは手を離し、一度振り返る。私も彼に続いて視線を向けた。
「……ぅ」
遠くにある洒落た時計専門店とその周囲は赤一色に染まり切っていた。やはり破裂したのか、と思ったが、よく見ればそれは血の色ではない。
RGBは二五五:二九:〇, CMYKは四:二二二:二五五:三。その黄味のくすんだ赤はスカーレットと酷似していた。液状のそれは、表面からうっすらとピンクノイズ――スペクトル密度が周波数に反比例する赤色炎の揺らぎが赤い床から発生していた。炎の形、いわば上昇気流を起こしている様に見えるが熱量は発生しておらず、寧ろ熱量を奪っていた。施設内が外の気温に近づいていく。
この距離からでは、流石に臭いまでは漂ってこなかった。いや、先程の砂嵐で化粧品や人間の臭いも消えている。目に映る数値や色値が何も示さない。
しかし、それよりも気になったものがあった。
「人がみんな倒れてる……?」
視界の明滅が無くなり、正常に周囲を見渡せるようになって気づいたことが、周囲どころか、この何も変わっていないフロア全域から人の気配が、否、意識が感じられない。誰もが昏倒状態になっている。
そしてもう一点。男の倒れた地点には、金属光沢のある黒い外骨格に回路風幾何学模様の青い蛍光を仄かに放っている何かが立っていた。その未確認物体までは約十四m離れていたが、"読み取り"は可能。
体高約二m、体重は床のめり込み具合から二〇〇kgは優に超えているだろう。人間の頭蓋骨を模っているが、後頭部が尖ったシャープ形状になっている。そこに目や耳、鼻はなく、口顎だけが存在。それは女性のような口唇の形。体形は人型だが、腕が足元に届くまで長く、指は鋭利。それでいて前腕と脚部が発達しており、細いながらもその胴体は人間のような筋肉質を模っている。
ぴちゃり、と紅に濡れた床を歩む。目はないが、私とインコードを見ていることは明らかに解った。
「あ……アレって……」
何。そう言う前に、余裕を崩さないインコードは答えてくれる。
「生物型イルトリック――カテゴリβだ。さっきの
丁寧に説明したインコードだが、いくら理解が早い私でも知らないものは知らない。つまり結局はビンゴだったということか。
『――発砲を確認。暴力行為等処罰に関する法律において第壱条の弐「銃砲又は刀剣類を用いて人の身体を傷害したる者は一年以上十五年以下の懲役に処す」が適用。拳銃等の発射は無期又は三年以上の有期懲――"法律改革"。死刑又ハ無期懲役、死刑又ハ無期懲役、死刑又ハ無期懲役――』
その怪物から男性アナウンスのような声が施設内で鮮明に聞こえてくる。歩む足も速くなり、次第に私の恐怖も増していく。
「逃げるぞ」
「へっ?」
今度は手ではなく軽々と小脇に抱え込まれ、今度は階段を下っていく。軽いとはいえ人一人分抱えているのに、彼の足の速さが風の塊としてぶつかってくるほど。
そのとき、だれかから連絡が来たのか、インコードは無線を繋げる。ボードネイズの声だったが、先程のような冷静で大人しい声ではなく、そこには憤りが含まれていた。それでも静かだが、厳格な先生に説教されているような気分にさせる。
『インコード! なにをやっている!』
全員にカメラでも付いているのか、それとも全員があの砂嵐を体感したのか。インコードが報告していないにもかかわらず、誰もが現状を把握していた。
「悪い悪い。でもカナの力はわかっただろ」
『だとしてもだ。力があろうと新人でもない一般人に発砲許可を出す馬鹿がどこにいる!』
「いやぁ、まさか適合試験前でイルトリックを見極められるたぁ思いもしなかったんだよ。ただ一点、あれがキングじゃなくただのダミーってところまでは区別できなかったようだけど」
『カナちゃんすっごーい! 普通できる芸当じゃないよさっきの』とエイミーの声が通信越しで聞こえてくる。だけど現場にいない彼女らと違って、こっちは必死だ。
「どういうこと? キングって?」
二階に降りる。しかし、このフロアも同様、客が全員気を失っている。インコードは合流しようと、もう一度下の階へと降りていく。
「オブジェクトNo.1029[フェリシウム・テルシピエンス]。いま確認できたあいつにはキングがいて、ワーカーをどんどん生み出したり、その群体を操作する脳としても機能したりする。だからそれを処理すれば一気に解決ってわけ。まぁ、まんまと
「わ、悪かったっての」と謝る私の声は小さかった。
先程の
ショッピングフロアを抜け、噴水のある広間をインコードは走り抜ける。
「んで、あのイルトリックに気づかれたら何がやべぇのかっていうと、大抵は
「普通に説明しろ!」
どこまでふざければ気が済むんだこいつは。しかも冗談めかすとかでなく真顔で淡々と言っていることに神経と感性と人間性を疑う。
「まぁ襲われちまったら前に言ったとおりだ。経緯はどうであれ大体はイルトリックの一部になっちまう。けど、あいつらのように"リプロダクト"っつー任意の
「怖すぎでしょ!」
一階奥を曲がり、オブジェがあちこちに点在している屋内緑地公園に着く。温室のように壁や天井、さらには床までもがガラスでできた空間にあり、木漏れ日のようなライトアップされた中、浮遊感があってならない床下をふと見れば、ガラス越しで緑が生えている。
出入り口の自動ドア前のちょっとした広間にインコードは立ち止まり、私をぱっと落とす。「急に落とすな馬鹿」と起き上がってはヘッドフォンを外す。流石にここまで静かだったら不要だろうが。
「でもこの騒動は監視カメラにばっちり映っているはずでしょ? この異常事態に警察とかが気づかないはずがないし」
「いや、もう既にここはあいつらの陣地だ。端末は起動できても、外部との電波はすべて遮断されただろうし、ここから出ても、動いている時間はこの複合施設の中だけ。外みりゃわかる話だ」
そう言われ、私は大型の自動ドアの先を見る。夜の都会とは思えないほどの真っ暗闇がどこまでも続いていた。外の世界の時間が止まっているどころではない。空間ごとこの世からおさらばされてる。近づいてもドアが開くことはなかった。
「成程ね、とは言いたくないけど」
とりあえず、これは現実。認めるしかない。こんな、ホラーゲームでもありがちな時空間を隔離させるようなトンデモ現象でも、今は信じるしかない。
「ただ、そういう時の為に備えて、俺らの隊との連絡は取り合えるようになっている」
「だからさっきラディさんやエイミーさんと連絡が――」
『おい! なんか黒い骸骨みてぇなエイリアンがこっちに――』
ブツッ、と音が途絶える。同時、大きな物音が聞こえ、振動が伝わってくる。今の無線端末から聞こえてきた声の主はカーボスだったはず。
「……いま一人取り合えなくなったよね」
ゾワリと悪寒が走る。あまりにも生々しすぎる。それでも正常を保っていられるのはゲームのし過ぎだからだろうか。年齢制限高三以上のグロゲーのゴアモードもやりこなしているし。いや、今はそんなこと考えたところで微塵にも役に立たない。
「人のことより自分のこと。あいつはやられ役に定評のあるやつだけど死にはしない悪運強い奴だから」
「ほれ、後ろ見てみろ」とインコードが指差す。この後ろを振り向く動作がどれだけ怖かったことか。
躊躇っても仕方がないと、勇気を出した結果、予想とは反したものが目に入った。
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