File:3-9_一触即発=Object α/
インコードとボードネイズについていく形で後ろを歩く。
先程の真っ黒な
「なにも『映らなかったから』……?」
「どうした」
「え、あ、いやなんでも」
独り言を言ってしまったようで、しかも聞かれていたことに恥じらいを感じた。インコードは何かを察したのか、申し訳なさそうな表情になり、
「あぁ、ごめんな。トイレに行きたかったら別にいつでも――」
「普通に違うわ! てかあんたの気遣いはトイレしかないんかい!」
数時間前にも同じこと言っていた気がする。私はそんなにお手洗いに行きたそうな顔をしているのか。いや、こいつの目がおかしいだけだ。
「映らなかったと言っていたな。どういうことだ」
しかし、ボードネイズは初老ながら聞き取れていたようで、尋ねてきた。
「私の目にはいろんなものが見えるのは既に知ってると思います。目に映った物や生き物のサイズから質量もわかるし、何でできているか成分的にも構造的にも、全部の情報が数値や色相として一瞬で頭の中に入ってくるんです」
何故か動いているエスカレーターに乗り、屋上の街道に出る。特質ガラス構築の店の数々と洒落た街灯、表示され続けている道路の電子模様、空を見上げれば屋根はなく、真っ暗な空間が広がっていただけだった。どんな都会でも星の一つや二つは見えるはずだが、虚構という言葉がその果てがあるかどうかすらわからない夜空を体現していた。
当然、
「そうだな。それをインコードは買ってお嬢さんを勧誘したし、事実イルトリックの区別がつくほどの精度もある」
「でも、まだ
「ただ、逆に言えばその空白やノイズは目立つ。つまりこの限られた範囲でなら、どこにいるかぐらいは読めると――」
「カナ、止まれ」
唐突な命令にびくりとする。声色の変化で、私はすぐに把握した。
「この辺りか」と既に分かっていたのか、ボードネイズは手首のウエアラベル端末で出現させた電子画面とキーボードの立体投影を片手で操作している。
複数の街道へと通じた、交差点のような街中の広場。木々もあり、環状に等間隔で床下ライトが設置されている。
「ああ、近くにいる」
確信づけた言葉を放つ。どうして彼らには感じ取れるのか。私のような能力を持っていないはずなのに。
「……人がいない」
周りを見渡す。ショウウィンドーと街路樹が並ぶガラス街。ひとつの複合施設とは思えない、一つの街に音はなかった。そして、気絶して倒れていた人々が一人残らず存在ごといなくなっている。あまりにも自然に消えていたため、すぐに気づくことができなかった。
「またかくれんぼか。カナ、見つけられるか?」
「……まったく」
あのときはうんざりするくらい見慣れている情報の海の中に異物が紛れ込んでいたから特定できたようなもの。この目に映る景色は日常のそれと変わらないはずなのに、読み解かれる情報は異物だらけだ。画素の一つ一つを解析できるはずが、砂嵐のようにノイズばかり、あるいは信号無し――虚空を見ているかのよう。読み取ろうとするほど気がおかしくなりそうだ。
「んん、やっぱ不安定だなその体質。ま、リプロダクトの中じゃ当然か」
肩をすくめたインコードは駆動拳銃を取り出す。それを構えた先は左前のショウウィンドウ。その中には今どきのストリートファッションを着こなしたマネキンが並んでいた。
「正解は――あそこだ」
トリガーを引き、刹那の光弾が放たれる。
舞い散った煌めきは、ショウウィンドウを貫通した光弾による
「なんで解るの」
「プロだから」
勘なのか、
先ほどのストリートファッションを着こなした、一体の首なしマネキン。それが人間のように滑らかに動いていた。表面のコーティング剤によって非常に人間の肌に似せているが、それもやはり私の目から見れば人間の持たない分子配列が敷き詰められた色材化学塗料にしかみえなかった。
それを確認したインコードは告げる。
「全員。αを確認できた。オブジェクトNo.340[無個性アブダクト転移体]。今夜は夕飯の時間が遅くなりそうだ」
既に頭に入っているのか、UNDER-LINEのサーバと脳接続されているのか、冗談を交えてインコードはそのマネキンの名前を通信を介して述べた。
ベージュのトレンチコートにカットソー、蒼に近いパギンスに白寄りのパンプスは似合っていると言いたいところだが、マネキンに対してそう考えるのもいかがなものか。
「ねぇ、
「つっても
「だからってセルロースから合成ルートすっ飛んで
「あんたが見てんのは普通に在る物体じゃない。全宇宙どこ探しても観測できない
「……っ」
冷静にインコードは言う。私は今の現状とその相手を再認識した。
これまでの知の巨匠と礎を築いた者たちの自然科学則に従うなら、かつこの宇宙に存在する
悍ましい。表面の一ナノメートル先は高分子でできているどころか炭素や酸素、その他の典型元素や遷移元素で構成されているかさえわからない。本当に
そのとき聞き慣れない音が聞こえる。首の無いマネキンからだ。喋り出すその様子に、不気味と疑問以外の言葉が見つからなかった。
これが、
『……sta-dem-trad-oimas……Beysydore, Gal Damkia, Amad Canesys……My Name Is is is……ア、アー、ワレワレハちきゅうじん……んん、これでつうじます?』
機械音のような無機質音からどこの国の言語でもない呪文のような言葉、そして私たちの国の言語へと切り替わっていった。実に滑らかな三十代女性寄りの声だった。
「ああ、通じるぞ」
会話していいのかと思わず言いだしてしまいそうだった。
『それならよかったです。では改めまして、その身体をください』
「直球すぎてえらいぶっ飛んでる」
心の中で呟いたつもりが、思わず声として出てしまった。
『はい、用件はまず結論から簡潔に述べることが大事ですから』
ファッションを着こなしたマネキン――元人間だとされるNo.340は
『アナタ方はとても良い
しかし、誰も答えはしなかった。警戒態勢だが、ふたりとも自然体だ。
ふとボードネイズの方を見る。インコードが拡張現実の刀を転送した時と同じ『DOWNLOAD』の表示だが、未だ『57%』だ。
「カナ、分かってると思うけどこれ本番だし、一発でも当たれば死ぬサドンデス戦だ。俺らから離れるんじゃないぞ」
「……っ、わ、わかった」
小声で軽く言い放った重い台詞。目の前の光景を見、ただ了解するしかなかった。No.340は腕を組み、首を傾げる代わりに胴を傾けた。
『んん、通じていないのですか。プリーズ、ギブ、ミー、ユーア、ボディ、オーケー?』
マネキンのくせして挑発してくる。ノリノリな感じで振舞う様はどこの外国人だ。
しかし向こうから仕掛ける様子はない。こちらも同じく――。
ほんの一瞬電光が閃く。その光に重い発砲音が伴う。横を見れば、インコードが私の持っている駆動拳銃と同じものを、喋るマネキンに向けていた。不意打ちに等しい早撃ちはいいとして、急に躊躇なく先手を打つ。
一切の音を上げることなく、そいつはただ後方へと吹き飛んで、横に倒れた。
しかし、発砲したインコードはすぐに気づく。
「うっわ、
相手が通常のイルトリックならば、分子を解体し、素粒子ごと消滅させる効果をもたらすはずが、変化ひとつ起きない。
その首なしマネキンは起き上がるも身体を屈めたまま気怠い溜息をついた。途端、複数の声が重なって鼓膜にへばりついた。
『Auf Wiedersehen』『バイバイ』『See yoU』
見えなかった。
目に捉えたのは、インコードが吹き飛ぶ様。あのマネキンが一撃を放ったのはすぐにわかったこと。しかし、その一撃が見えなかった。
化粧品店に激突し、商品をまき散らす。壁をも壊し、隣の洋服店にまでその身体は吹き飛んだ。
唖然のあまり声すら出なかった。反射的に目を見開いただけ。
そして先程の一言より把握する。
再起不能。死。
その言葉が脳裏を過った。
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