File:4-3_生きる亡霊=Empire of the Dead/

 眠れない夜なんていくらでもあった。いや、眠りたくない夜の間違いかもしれない。

 あれから日が経った。正確には3日と16時間21分37秒。


 神経伝達物質の不足に懐かしさを覚える。自律と情緒の乱れを手元の錠剤で抑えつける。どうか消えてくれと願うも鬱陶しい自我はあいも変わらずジャンクな思考を止めることはない。どうでもいいことは"解る"くせにこの感情の止め方が未だに解らない。いや、止めたくないんだ。ネットとコーラがやめられないように、こうして雑念に溺れて、逃げようとして周りを責めて、自己嫌悪に陥って自分を責めて、またSNSの雑多な腐海に飛び込んで添加物まみれの電波を貪る繰り返しだ。それを飽きもせず私の脳は一秒ずつ刻み込んで現実ときのながれを突き付けてくる。


 この体は既に手術を――BHOという人体改造手術を施してあるようで、思うように体が動かないのもそのせいだろう。自分の肉体や神経のことも解るために、以前との違いは明らかにある。ただ少なくとも、雷や超合金のようなあからさまな体質の変化系ではなさそうだ。


 また、イルトリックに汚染された体は回復期に入り、今日明日には復帰できるというが、嫌で仕方がない。ずっとこのまま病人として扱われ続けたいとずっと思っている。やっぱり私にはニートが似合う。

 白いベッドの上。膝を抱え、正面のホログラムパネルから流れる組織内の報道を見つめる目はさぞ虚ろだろう。


 というかなんだよ全人類が私の存在を忘れるって。イルトリックに喰われたらって話じゃなかったのかよ。記憶も記録も消されて、とどめに私の匿名アカウントも消え去ってるし。ただ初期化されたアイヴィーを機関内仕様にして使えることは命拾いした。一からSNSと動画サイトとオンラインゲームのアカウント作り直せたのも、私にとっては唯一の希望だ。ただ、何一つ楽しめる気持ちになれやしない。


 私は何のために生きている。突き放していたつもりだったが、縋ってきたのだと今更になって気づいた。このつながりがすべて途絶えたような感覚は、脳科学的・精神医学的な解答を経ても苦しいことに変わりはない。


 誰もいないなら何のために今を生きる。自分のため。それはそう。でも、自分のためだけに生きられるほど、私は私の人生に価値など見出していない。大事にしたい人がいたから、あのときだって乗り越えたんだ。

 蝕まれ、また溺れていく。


「……もう、いやだ」


 逃げなきゃ。

 そう思ったときには、私の脚は動いていた。病室のドアは特に施錠されているわけでもなく、白い廊下に出ても警報が鳴ることもなかった。どうぞご勝手にと言われているかのように、逃げる私を追うような気配は感じない。


 人の赤外線と振動けはいがあれば隠れる。監視カメラやセンサーは完備しているから無意味だと解っても、私の人間性がそれを否定した。

 痛みに慣れてきた足は次第に速くなる。臓物が響くも構わない。とにかくここではないどこかへ逃げ出したかった。幻想クソみたいな現実いまを見たくなかった。


 どうして?

 どうでもよかったのに、どうして逃げる。違う。どうでもよくなったわけじゃない。だから私は。でも。どうでもよくないのに、どうして無下にする。

 逃げたのはいい。病棟のエリアを抜け出せたのは良い。ただ、出口が解らない。これまで一度も道に迷ったことのない私がだ。


 無我夢中で走り抜けた先は、どこかの屋上だった。手入れされた植物の数々を見る限り、ここは庭園の役目もあるのだろう。だが、外ではない。眼前に広がるのは小さな高層都市。沈みかける夕日は人工製。奥には巨大な壁があり、上空には地上と鏡写しになったかのように、ビル群が逆さに釣り下がっている。


 そもそも、なんで地下の中に都市まちがあるんだよ。

 ところどころにそこへと通じるエレベーターらしき筒形の透過塔が見える。そこへ行けば上空の都市へ、つまり地上へと向かえるはず。いや、もしかすると私のいる場所の地下深くが地上へと通じるのかもしれない。


 でも、もう脚は動く気になれなかった。"解答"が出たから。

 地上に通じるルートはない。いや、まったくないわけではない。権限がなければ出られないだけ。だから追手が来なかったのだ。

 パラペットのガラス手すりに背を預け、座り込む。


「……なんだよクソ」

 ようやく見つけた希望を、生きる目的を失った。

 まっとうに生きればよかった。先走って目の前のぶら下がった希望まやかしに食いつかなければ、こんなことにはならなかった。まだやり直しだってできたのに。


「いい場所だろう」

 前方からの声に思わず俯いた顔を上げる。

 筋肉質の大柄な初老。スーツの上にコートを羽織るロシア系デンマーク人の名は確かボードネイズ。同じ第三隊の副隊長だ。


「……ずっと監視してたんですか」

「隊長の命令だ。悪く思わないでくれ」と肩をすくめる。「それに、ちょうど俺もここに用があったのでな。それで顔を出したんだ」

 私の横に立っては缶コーヒーを渡す。受け取ると、彼はもうひとつの缶コーヒーを開けて一口を付ける。フェンスにもたれるように肘を付け、街並みを眺めている。


「……なにも言わないんですね」

「何がだ?」

「その、勝手に抜け出して、逃げようとしたこととか」

「ああ、そんなことか。別に咎めるほどのことじゃない。むしろ、その意思があって安心しているよ」

「……どういうことですか」

 珈琲を一口。その間を挟んでから、彼は口を開いた。


「逃げることはお嬢さん自身を守る行為そのものだ。あんな心境で、どこかもわからん組織の病室で一人過ごそうものなら誰だって憂鬱と不安に苛まれるだろう。なにひとつ信じられなくなったらなおさらだ。だが、頼ることもなく一人で足掻いたままでは結論何も見えなくなることもある。コーヒーの温かさと苦みだってわからないままだ」

 缶コーヒーに口を付ける。炭酸がないと物足りない。でも確かに、苦くて温かい。


「沁みるだろう」

「……はい」

「こういう仕事やってると、当たり前だと思っていたものがあっけなく壊れるなんてことがざらにある。あいつのもとで世話になってからだいぶましになったが、腹立たしくて仕方がない時や気が狂いそうな時だって珍しくない。馬鹿みたいに叫んだり、そこらの物に当たらなきゃやってられないさ」

「意外ですね」

「ははは、よく言われるよ」

「あいつはここの人たちのことを人の皮を被ったなにかだって言ってましたから、みんな血も涙もない鬼なのかと思ってましたけど」

「インコードがか? まぁ、確かに人の形をしたバケモノだろうな俺たちは。人間を越えた完成形を求められているのは間違いない」

 珈琲を一口付けてから、ボードネイズは口を開く。


「だが人間だれしも完璧や万能なんてものは存在しない。どれだけテクノロジーで欠点を補おうともな。ここにいる連中もそうだ、だからこうして組織として手を組んで、助け合っている」

 自然と頭が冷静になっていくのを感じる。ここの人間はどういった経緯で、どうしてここに務めているのか、疑問を抱き始める。

 少しの間が訪れたときだった。


「ここにいる人間は皆、行方不明や死亡扱いになった"亡霊"だ」

「……え?」

 思わずボードネイズの方へと顔を上げた。


「もちろん俺もその一人だ。地上せけんじゃ紛争で殉職したと記録されて、ちゃんと墓もある。残された家族とはもう五年は会っていない。精々、画面から元気そうな顔を見ることができるくらいか。それでも、お嬢さんの境遇に比べたらまだいいかもしれないが」

 組んだ腕から見える、左手の指輪へと目を落とす。その視線に気づいた彼は苦そうに笑う。


「恥ずかしながら、未練はある。年相応の経験を重ねてきたつもりだが、過去というものはそう簡単には手放せなくてな。だから、その過去すら消されてしまって、いないものとして忘れ去られることは死ぬことよりもつらいだろう」

「……」

「だが、まだその人は生きている。少なくとも、俺はそう考えることにしているよ」

「つらく、ないんですか」

「こればかりは俺もわからない。ただ……失う苦しさを思えば、希望はある。そう思うよ」


 その言葉に、思わず納得してしまった。

 そう、家族が死んだわけじゃない。私自身も死んでいない。ただ、つながりが途絶えただけ。望んだものではなかったが、命があるだけまだ救いはあるのだろう。


「すまないね。親しくもない老いぼれの私情を聴いたところで、うんざりするだけだったろう」

「いえ、そんなことは」と立ち上がる。「その、珈琲、ありがとうございます」

 ボードネイズは微笑むと、思い出したかのように話した。

「そうだ、明日か明後日に退院するんだったな。みんなお嬢さんのことを心配していた分、会えるのを楽しみにしているよ」

 珈琲を飲み干すとパラペットから離れ、ボードネイズは背もたれる。


「それとひとついいか。インコードのことだ」

「はい……?」

「あいつは馬鹿なところもあれば、勝手気ままで思い切ったこともする。先を見てるのかその場の思い付きなのか、単純なのか複雑なのか、頭の中がどうなっているのかよくわからんやつなのは既に感じていることだろう。だがな、失う怖さをあいつは誰よりも知っている。だからというわけでもないが、あまり彼を恨まないでやってくれ。ああ見えて、必死なんだよ」


 とてもそういう人物には思えないが、内面を読み取れないが故の偏見だからかもしれない。何より、ボードネイズの優しくも重みのある声が、疑う余地をなくしていた。

「わかり、ました」

「もちろん、この話はここだけだ。少なくとも我が隊長に知られちゃあいつの顔が立たん」

 いたずらな笑みを浮かべる。その場を後に、ボードネイズは歩き始めたが、すぐに踵を返した。


「そうだ、担当医は誰か知っているか」

「イズナ先生ですね。まだ会ったこともないですし、機械やアンドロイドが大体の世話をしてくれてましたけど」

 途端、若干だが彼の顔が強張った気がした。

「……それはまずいな」

「……え?」

「俺も一緒に謝りに行こう。ただ、今夜は覚悟した方がいいかもな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る