File:3-14_第三隊隊長の実力=Blessing Physical/

「え……?」

 何が起きたと私は頭の中で問う。いや、すぐに答えは出た。初対面の時、不意打ちで私に向けた一蹴り。あれと同じだ。同じ法則だ。


「さぁさ、もっとかかってきなさいな」とインコードは余裕の笑みでリラックスしたスタイルをとっている。胸部にこぶし大の罅が穿たれたNo.340は、音速を越えた突進、あるいはその速度を力学的作用へと変換した一撃をインコードにぶちかます――はずだった。


「へぇ、意外とまっすぐな性格なんだな」

 とん、と。


 拳を突いたNo.340の背中に、腕を組んだインコードが背もたれていた。

 この目で読み解いた一コマの光景。避けた原理はすり足歩行という至極単純なもの。だがそれだけで瞬間移動レベルの超短距離回避ができるのは明らかにおかしい。

 バッと離れては蹴りをかますNo.340だが、ひょいとインコードは後方へと避ける。そのまま高速のジャブを放った。


「っ、まただ」と私は口に出る。

 当然、その拳はどんなに繰り出しが早かろうと距離的に届いていない。届いていないはずなのに、当たっている。相手は見えない弾に撃たれたように殴られたであろう顔面を首ごと仰け反らせ、一歩下がる。


 もう一発。当然No.340はバックステップで右後方へ避ける。私も避け切ったように見えた。しかし、パァン! と軽快な、しかし強い一発ストレートを顔面に喰らった。


 一撃を受けた勢いを利用し、地を流れるように駆ける。視認できないほどの速さの後、インコードの背後を蹴りで突いた途端。彼の体は風を含む羽毛のようにふわりと流れ、No.340の腕と体を縫うように身を滑らせては背後へと着地した。左フックを高速で繰り出すも対象は振り向かないまましゃがみ、足払い。一瞬浮いたインコードの体を、払った右脚で背部へ膝蹴りした。


 もろに喰らった。踏み込みの左脚を中心に地面が深くひび割れたあたり、その威力は並の人体はおろか、軍用アンドロイドでも胴体が穿たれるはず。だがそれと同時、No.340の側頭部が粉砕する。そこにはインコードの左手が添えられているが、まさか膝蹴りの運動量を掌の先へ流したとでもいうのか。あの無防備な体勢、それも滞空中で。

 横へと転ぶもすぐに起き上がるNo.340は地を蹴り、すとんと着地した無傷の彼へ追撃を繰り出そうとした。


「あ、さっきの避けたと思ってるだろ」

 刹那、一発の衝撃がNo.340の頭部に生じ、吹き飛ぶボディは結晶の塊へと激突する。あのときの空振りした左フックが時間差で繰り出された現象を理解することは、今の私には難しいことだった。


「どうした。カルマは使ってないからあんたも真似できるはずだぞ」

 短く切った呼吸と共に放たれるその蹴りは距離的にも、軌道的にもずれている。しかし避けた相手は見えない何かによって蹴られた挙動をとり、吹っ飛ばされる。


 その繰り出しがいずれも弾丸のように早い。あのとき私に向けて放った蹴りよりも断然。まるで音速を突破した鞭だが、実際の速度はそれ以上か。その身は筋肉繊維や骨格の規則を無視している。目を凝らそうとも、人より比較的優れた私の動体視力でさえまともに捉えることができない。


 吹きつける風のように速く、流れる水のように滑らかで、無駄がない。感嘆するほど綺麗な動き、そして一貫的な力強さがあった。

 否が応でも原理は導き出される。だが、それがこの物理的化学的法則の制限がかかっている世界バースで可能だということに、納得したくない自分がいた。


「どうなってんの……?」

 だからこそ、この言葉が出た。


 唯一、超能力や異能力であるカルマを発動させず、彼の素体――体術や肉体だけでイルトリックを圧倒している。それが何よりも異常に思えた。


 No.340は黒い右腕をかざし、力ませる。力を集中させた右腕はピシ、と割れるような音を立てながら蔦の如き白い紋様を浮かべる。体表面に留まらず、立体投影のように浮き出てきては腕を軸に巡り回る。蔦型から電子回路模様に切り替わっていく。


「――っ」

 それを見たインコードは咄嗟に拳銃を懐のホルスターから抜き取り、自らの下顎に突きつける。

 その瞬間、その挙動が静止する。彼の時間だけが止まっているようにも見えた。


「まさか……っ」

 この目に映ったインコードの筋肉硬直状態で、私は気づく。しかしただの筋肉の硬直ではない。神経の電気信号を止められている。心臓の鼓動も一気に小さくなった。

 いくらなんでも活動電位と神経伝達物質を抑止されては太刀打ちできない。身体を動かすどころか生体活動にもかなりの影響が出る。心臓の音が止まるのも時間の問題――。


「おまえら"現実"舐めすぎだ……!」

 息を吹き返したように、インコードは瞳孔を開く。喉を絞っては声を出し、動かない指を震わす。その指はトリガーをかけていた。No.340は咄嗟に構えた片腕から空間をも歪ませる波動を発し、インコードの周囲の地面を熱で熔かしては球状へと包み込んだ。


「――ぁあああ゛っ!」

 伝達しない電気信号を強制的に送り、否、それだけではなく他の細胞が筋肉活動の代わりを補い、担ってくれていた。無理矢理動かした指はとうとうトリガーを引く。スタンガンと同等以上の強い電撃が銃口から放たれ、彼の首の皮膚と筋肉を伝い、脊髄へと穿つ。


 致死レベルの全身感電。強度の神経麻痺。それによってNo.340の金縛りから解放された。

 ドーム状と化した赤熱の溶岩が両断された途端、No.340の両腕が斬り落とされる。ほぼ同時、その頭部にインコードの後ろ回し蹴りが炸裂し、頭部が微塵に破裂した。極めた早業は、複数の動作が同時で起きたように見えることを、この男は体現している。


「殺す気で縛るなら、もっと強く縛っておけ。ワケわかんねぇ存在が手抜きを覚えんじゃねぇよ」

 吹き飛ぶ胴体へとインコードは駆動拳銃を咄嗟に向け、電磁波の光線を放った。

 その間、頭部と両腕を再生したNo.340は着地と同時、左腕を盾のようにかざし、腕から湧き出た銀色の蒸気が瞬時に円盤状のシールドを形成させる。しかし、その光線に含むものはイルトリックの特異分子をエネルギーごと消滅させる反物質エクティモリア。簡単にシールドは貫通し、被弾した左腕と共に膨張・破裂。ボタボタと黒い液をまき散らした。


『……!』

何世紀いつまでも神気取りでいられると思ってんなよ。未知の恐怖あそびは終わったんだ」

『……Eíste i ágnosti apeilí.』

人類おれたち神に扮した現象テメェらに打ち勝つ手段を手に入れたんだよ」

『――Den xérete óti oi paraliritikés pepoithíseis sas, pou prospoioúntai tous theoús, eínai akrivós aftá pou sas férnoun pio kontá ston dikó sas thánato!』


 Dub-Stepのような機械的な音声で、No.340は言葉を発する。

 刹那、大気を歪ませ、地面を凹まさんばかりに強く蹴り、インコードに空色の炎を纏った一蹴を繰り出す。

 大気ごと切り裂かんばかりの猛威。しかし薙刀のように振られた脚をしゃがんでかわし、重心であった軸足を蹴る。金属バットが勢いよくへし折れたような音は髄ごと脚を折ったことを示す。その足は大地から離れ、一瞬だけ浮いた。


「飛ばすぜ」

 人体では弱点である鳩尾みぞおちに正拳突きを与え、No.340は大きく吹き飛んだ。ショックウェーブが生じるほどの速度で十万平方メートルを有する建造物イオンアークヒルズの壁をすべて穿ったのだろう、立体駐車場を最後に、車をひしゃげるほどまでに激突しては、自動車共々島船外部の臨海へと飛沫を立てて落ちていった。そう耳に届いた音と肌に感じる空気の波や流れより読み取る。


 とてもただの人間が殴ったとは思えない程の衝撃と威力はまさに見えない爆発そのもの。それだけじゃない、一度の殴打にも関わらず衝撃の波は〇.五秒以内に三度、この肌のしびれを通じて感じ取れた。


「あんたホントに人間?」

「何をどう定義するかによるな」と拳をさするインコード。「それよか油断するなよ、まだ終わってないから」

 すると、何かが滴る音と、海水の臭いを感知する。咄嗟に振り向くと、海水に濡れていたNo.340がこちらを見て佇んでいた。降って湧いたような出現に私は目を丸くした。


「そら来た」

「あれだけ喰らってもまだくたばらないの……?」

「単純な火力パワーだけじゃNo.340の完全な処理はできない。物理的なダメージを重ねた上でエクティモリアを打ち込むのが攻略法だ」

 軋む音を立てて、唸りを上げる。堅硬な黒いボディの鳩尾にはこぶし大の穴が穿たれていた。

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