File:3-11_転化発動=Operation/

 No.340は色鮮やかな血管が浮かび上がっている白鎧の機械腕をギギギ、と鳴らす。


「……あの、これって大丈夫なの?」数歩下がり、不安げに私は尋ねる。

「ああ。奥さんに浮気疑われて携帯端末アイヴィー見せてって言われた境遇と同じぐらい大丈夫だ」

「修羅場じゃねーか」


 No.340の片腕が胡蝶蘭のように大きく開く。手指を割いてぐぱりと開け、奥から覗きこんでいたのは砲口。そこから機関銃のように無数の火を噴いた。

 しかし、向かってきた弾は僅かに形が歪だったので、私たちを集中的に狙うことなく、軌道が反れるものが多かった。地面や建物内の商品、ショウウィンドー越しのマネキンに被弾し、表面に穴を空ける。


「おっと」

 インコードは刀を振るい、弾を斬り、ことごとくを弾く。口で言えばなんてことないようにも聞こえるが、これはゲームじゃなく現実だとなると、その青年の為した技は神業に等しい。


「先ほど当てた一発で、あいつの表膜は崩れたはずだ。物理的なダメージを加えた上で今度こそエクティモリアを与えれば、あいつは消滅する」そうボードネイズは私とインコードに話す。「ただ、そう簡単に当たってくれるか」


 すると、また通信が入る。繋げたままだったので、ふたりは聞き流す形でNo.340の次の挙動を見ている。

 通信の声の主はエイミーだった。


『隊長隊長! やってしまいましたね! シフト数値が結構上昇しちゃってまして! ぶっちゃけて言えば数増えました!』

『THE・繁殖っすね』とラディも後から言ってくる。『オブジェクトNo.340-a, カテゴリはβっす』

 私は後ろを見る。


「っ!?」

 地面や壁、大小様々な商品や家具、そして服を着たマネキンに氷結晶色の蔦のようなものが湧き出ている。その根源は被弾部位――No.340が放った弾丸からだった。やがてそれらは巻きついたものを取り込み、蔦から粘液が滲み出てきては宿主を覆う。膨張、肥大、そして孵化。表情を不要とするのっぺらぼうの人型と、それを纏う外骨格がぬらりと出てくる。それは夜に照らされる桜と月光が照らす大海と同等の色と光沢を混ぜ合わせたような。


 三対の手足と胴体にわたるひらひらと、ゆらゆらとしたヒレは帯を巻いた着物のようにも思わせる。魂の揺らめきのように僅かに発光しているその体表面とノーフェイスは巨大な細胞が敷き詰められたかのような模様と細かな穴が空いており、まるで珪藻が巨大化し、人型になったようだ。


 地やガラスの壁を這い、私たちを囲む。No.340は未だに口の砲門を閉じようとはしない。そいつから生まれたNo.340-aの数は九十五。殺気すら感じない無に逆に恐怖する。


「なるほど、こいつの繁殖方法は中々攻撃的なものだ。絶対に当たるんじゃないぞお嬢さん。その肉体が瞬く間にあいつらの卵床と化すからな」

 顎鬚をさすり、ボードネイズは冗談でもないことを言う。

 ぞっとした気持ちを何とか切り替えようと、インコードを見る。


「もう一回聞くけど、これって大丈夫なの……?」

「ちょっとマズい方だ。今日までの企画書印刷しようとしたけど何故かそのファイルが見つからなくて後に昨晩間違えて削除してしまったことに気づいたときと同じぐらいのマズさだ」

「相当じゃん」思わず顔が引きつってしまう。

「それでも何とかするのが社会人ってもんよ」 

「ニートの方がましだわ」

「ま、とにかく……案の定って感じか」

「こりゃあ、ちと厄介な任務に当たっちまったんじゃないか?」とボードネイズは余裕を振舞った様子。


「そりゃあフィニジャンク統括がわざわざ社長に許可をもらおうとしていた件だ、ただの任務じゃないってことは全員分かってただろ」

「薄々な。にしてもあいつはまだ来ないのか」

「今連れてこさせる。ラディ、聞こえるか」

 インコードはイヤホンに手を当てる。そういえばあの装甲バンは隔離されているのか。イルトリック用に特別な電波を用いていると言っていた気もするが。


『はい先輩! 今なんとか「リプロダクト」の波長を乱してるんで相手は少しの間動きが……あ、違うっすか?』

「いや、グッジョブだ。カーボスはどうしてる。音信不通のままなんだ」

『カーボス先輩と連絡が通じないのは端末の損傷によるものっす。今からそちらまでのサイバールートをカーボス先輩に接続させるっすね』

「……?」

 ここまでカーボスを転送させるのだろうか。

 するとインコードは革ジャンの内側を広げ、取り出したのは十五mLサイズのネジ口試験管。中にはチャプチャプと無色透明の液体が入っている。


「登場ぐらいかっこつけさせてやる。ちゃんと察しろよカーボス」

 指に挟んだ一本の試験管を薙ぐように振るい、身動きができないカテゴリαの方へ投げた。ダーツのように飛ぶも、それは対象に届きそうにもない。手前で落ちるだろう。

 最初は何をやっているんだとは思った。その液体を飲まずに撒き散らすということは、薬ではなく揮発性のガスを出すものか毒物の類かと考えた。しかし、私の目に表示しうつったものはNaCl。れっきとした食塩水だ。

 そして、インコードがもう片方の手に持った特殊拳銃で銃弾に匹敵する電磁波弾を撃ったときだった。


 被弾し、中の液体が宙に撒き散らされ、インコードの前方六メートル先に樹脂の破片と液体の水滴が舞うその瞬間、そこから強い放電が発生する。

 一瞬だけの閃光と共に発生したリヒテンベルグ図形。その中心点から稲妻のような閃光が真っ直ぐ先――カテゴリαの方へと突っ切り、共に強い電磁波も発生した。


 まるで周囲の景観を包み込むような電気の流れを前に、何が起きたのかと眩んだ目を凝らす。しかし既に事が終わったかのように、立っていたNo.340の胴に槍で貫かれたような風穴が空いていた。それだけではなく、周囲の産まれたばかりのカテゴリβから感じる静電気。表面に電流が走っており、麻痺して動けないようだ。普通の人体ならば感電死しているレベルだといえる。

 そして街道奥の塔の前。小さ目の噴水が設置されている前に、人の姿があった。


「カーボスさん? なんで……?」

 No.340の後ろには抉れ、黒く焦げた線がカーボスの立つ足元まで走っていた。バチバチと電気を纏っている男は着地した体勢から立ち上がり、こちらへ振り返る。

「――うわっ!」

 目の前に感じた電気。同時にカーボスの顔がフッと一瞬で現れた。


「やっほーカナちゃん。驚いた?」

「え、え?」

 手をひらひらと振り、相変わらずの剽軽な口調。

 何が起きた。

 それに答えたかのようにインコードが話し出す。


「俺たちは不可解現象イルトリックに対抗するために、ある可能性を現実へと実現させる"カルマ"を託された。イルトリックあいつらが普通じゃないように、俺たちも普通の人間じゃない」

「普通の人間じゃない?」思わず聞き返してしまう。


「ま、ちょっとした超能力者ってことさ」

「それって……っ」

 私はあることを思い出した。まずは脳の可能性についての知識がふと湧き出てくる。

 脳には九〇%使われていない領域があると言う。サイレントエリアと呼ばれるその領域に、人間の秘めた力が存在する。それが発揮されれば、人間の未知なるスペックを出せることができる。

 なんてのは迷信だ。ほぼ一〇〇%使われている。同時には使われていないとはいえ未使用領域サイレントエリアはない。あったとすればそこはとうに腐食している。脳全領域をフル稼働させたところで、SFでよくある超能力が得られるわけではない。


 それでは何だ。人造有機生命サイボーグか、人工知能機体アンドロイドか。何かの遺伝子改良された強化手術の被験者か。それでも、今の現象を解明できる根拠にはならない。少なくとも、電撃そのものになれるなんて生物の原理原則に反しているはずだ。


「こういう試みをする輩は秘密裏に存在しているが、UNDER-LINEほどの能力開発技術は他では見られない」

 この超過技術オーバーテクノロジーの時代でさえ実現不可能とされた"常識"の刷り込み。それが可能だと理解するには時間が必要だった。

 カーボスが話を割こうと、顔の前に出した手からバチバチと放電させた。

「電気みてぇな外部からの"きっかけ"で、幻想みてぇな超能力カルマを実現させるんだよ」

「でもそんなのって――」

「受け入れろ。これが"現実"だ」


 そうインコードは端的に告げた時、右の建物から爆発に似た衝撃波が生じる。直撃したNo.340-aは粉砕され、近くにいた個体は軽々と吹き飛ばされた。

 床は土埃と化し、屋上から滝のように崩れていくガラスの建造物。煙に似たその結晶とコンクリの塵埃の中からしゃなりと歩いてくるのは流麗な金髪の女性。スティラスだ。

 相変わらず冷徹な目、いや、眠たそうな目をしている。その艶やかな紅色の唇が開くことはなかった。


「スティラスも来たことだし、これで面子は揃ったな」

 代表がそう言っては歯を見せる。

 そのとき、胴体に穴の開いたNo.340が口を開く。

『Evela-Inhamusneinga, ア、ァア……ここコちここコちらにオいデおいでおいdddd――アナタヲ連レ去リマショウ』

 そう言い、静かに手を合わせた途端、この隔離した世界と共鳴したように周囲が脈動しだす。


「え、何……っ!?」

「野郎、本気出しやがった」

 瞬時に氷結するような音は、踏む地面の一面が破片状に砕け、刺々しい床に豹変したことで起きたもの。単斜晶系の地に大きく突き出る幾つかの岩のような大きな斜方晶系の結晶。空間にはダイヤモンドダストのような結晶粒子が地面から真っ暗な宙へと降り注ぐように舞い上がっていた。


「空が……」

 何もない真っ暗な宙は――否、その遙か上空の先には深海のような透明感のある闇の海がゆらゆらと波打っていた。その音は天が唸っている様にも聞こえる。

 私たちを囲んだ結晶の世界。その中央に居座るイルトリックは一瞬で肉体を復元させていた。


『――環境とオブジェクトの強度を更新。随時対象の思考を上書き。インポート開始します』

「っ、おいマジかよ、相変わらずえげつないこと始めやがる」カーボスは苦笑した。

「でも結局は幻覚――」

「それを実現させるのがイルトリックあいつらだ。決着ケリつけるぞ。急がねぇとあいつらの世界ホームにご招待されることになる」

「そのまま転生できればいいがな、現実はそうもいかないだろう」

 ジェットハンマーを肩に置いたボードネイズの言葉に、カーボスは応える。


「いや、わかんねーぞ。信じれば形になる世の中だからな。異世界の転生もありえんわけじゃねぇし。その異世界が天国か地獄か、はたまた無なのかは行ってみてのお楽しみだっつぅことだぜ」

「……通信が利かない。コード、指示を」

 スティラスの最低限の言葉に、インコードは「ああ」と頷いた。

「全員、"カルマ"の使用を許可する。全対象の破壊処理を優先。直ちにこの状況を終わらせるぞ!」

「「「了解」」」

 彼らはホルスターから駆動拳銃を握っては、持った親指で何かを操作する。


「……っ!?」

 その銃口を上腕に当てるボードネイズと下顎に当てるスティラス、そしてこめかみに当てるカーボス。自殺行為に等しいそれは、本当に何をやっているんだとも叫びたくなった。

 同時、周囲を囲んでいたイルトリックの群れも一斉に動き出す。私はただ駆動拳銃を持っていることしかできなかった。


「さぁて、技術SF怪異オカルト、どっちが強いか試そうじゃないの」

 唯一銃を手にしなかったインコードは体勢を低くし、現実拡張の黒い電刀を単斜晶の大地に突き刺す。片膝をつき、体重を預けるようにその手を刀の柄に乗せ、口を開いた。

実行せよはじめるぞ

 そして、彼らはトリガーを引く。


「「「――転化発動Operation」」」

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