第6話 勇者パーティに参加したある婦女が死に至る直前までの回顧録。(後編)
あの日は最初からどこか物々しい雰囲気がありました。騎士団組は朝から殺気立っており、テレポーターが新旧の拠点を人員を抱えて何度も行き来する中、最後に騎士団組がテレポーターとともにわざわざ旧拠点に舞い戻り、それからしばらくして、誰も連れずに彼らだけで戻って来たのでした。
最後に残されたガザルは新拠点にはやってきませんでした。
ザワリとみなが動揺する中、騎士団組の一人が声を張り上げ宣言します。
「ガザルは俺達とはやっていけないと言った! 一人で残ると言った! 俺達はあいつを説得したが、あいつは我が儘を言い続けた! だから俺達はあいつを連れてこなかった!」
私はすぐに、嘘だな、と気付きました。ガザルはパーティの中では鼻つまみ者でしたが、少なくとも迷宮探索者としてはそれなりの実力者であろうことは伺い知れます。
深層を潜る第一級の探索者が、勝手な理由で一人残るような無責任な行動を取るはずがありません。
そんな事をするものが大迷宮で何十年もやっていけるほど、探索者の仕事は甘いものではありません。
私は一瞬だけ抗議の声を上げようかと迷いましたが、すぐにそれは思いとどまりました。
正直彼は問題児です。仮に彼を助けたところで、この先パーティに良い事があるようには思えません。
ガザルには悪いですが、彼はそろそろ退場してもらった方がよいでしょう。
正直に申しまして、こういうことはままある事です。世の中きれいごとだけで回らないのは私も良く知っています。
例えば私の両親が生まれ育った田舎の村では、12の歳くらいまでにどうにもならない子供は人買いに売るようなことは当たり前なのだそうです。
あるいは、それなりに大きくなった冒険者のクランでどうしても抱えきれない問題児は、難癖をつけて無理やり追い出すようなことは致し方がないそうです。
特に人が大勢集まると、どんなに仲良しを目指しても、一人二人、どうしても邪魔になることがあるのです。
今回はそれがガザルだったと言うだけの話なのです。
なにもガザルの命を奪う訳でもありません。
ガザルは置き去りにされますが、腐っても彼も高位の探索者です。彼が後生大事に抱えていた荷物も奪ったりしていません。
運が良ければ生き延びることもできるでしょう。
それが私達が彼に出来る温情なのです。
彼は私達を恨むでしょう。けれどもそれは私達が背負うべき業というものです。
私達は彼を助けません。
代わりに私達は魔王を倒さねばなりません。
その為に彼を見限るのです。
彼の恨みを受け止めた私達に出来ることはまさにそういうことなのです。
勇者様の逃げ場がなくなる事だけは残念な話ですが、むしろガザルがいなくなる今だからこそ、私が頑張って少年の逃げ道を作ってやればよいではありませんか。
あの獰猛なお姉様がたを敵に回すのは些か恐ろしくもありますが、私とて勇者様パーティの一員なのです。
可愛らしい勇者様のためにお姉さんとして一肌脱ぐくらいはやぶさかではないのです。
料理人組のみんなと結託して、勇者様の隠れ場所ぐらい何とかしてみせる所存です。
私は一人頷きました。
周りの皆を見渡すと、それぞれ思うことはあるようでしたが、みな一様に黙っておりました。
どうやら誰もガザルを助けようなどというものはいないようです。
いえ、一人だけ、そう、たった一人だけ、この状況に異を唱えるものがありました。
「嘘だ!」
泣きそうな声でそう叫んだその人は、誰あろう勇者アレク様でした。
次の瞬間、まるで掻き消えるようにして、アレク様はその場からいなくなりました。
斥候のマニャがすぐさま動き出しました。
斥候職の部下7人を引き連れて、あっという間に森の中へと消えてゆきました。
公爵家令息のベルナール様はざわつく皆に向かって「静粛に」と声を掛けると、そのまま騎士団組の方へと向かってゆきました。
ベルナール様はよくみなにも聞こえるような通る声で、騎士団組に声を掛けます。
「さて君達、君達の不用意な行動で勇者様がいなくなってしまわれたが、どう落とし前をつけてくれるのかね?」
静かで優しい口調に見えて、その実その声色は凍てつくような鋭さを持った響きでした。
「お、俺達はただ、あいつが一人残りたいというから……」騎士団組のリーダー格の男が震え声でそう反論を述べます。
「そんなことはどうでもいい!」ベルナール様が声を荒げます。
「そんなことはどうでもよいのだこの馬鹿者めが! お前達、あの勇者にどう言い訳をするのだ! あのガザルを一人置き去りにして、どう勇者を納得させるのだ!
ガザルがどういったかなどはこの際どうでもいい!
お前達がどう勇者に言い訳をするつもりなのか、それを私は聞いているのだ!」
騎士団組のみなは押し黙りました。
しばしの沈黙の後、再びベルナール様が口を開きます。
「つまりお前達は、勇者があのガザルと懇意にしていることを分かっていて、ガザルを排除すれば勇者が心を痛めることを分かっていて、その対策を一切考えぬまま私怨でガザルを置き去りにしたと、そういうのだな?」
騎士団組の皆は黙りこくったままでした。
「この愚図どもが!」ベルナール様は激昂されると、腰に佩いたサーベルを鞘ごと引き抜き、容赦なくそれを騎士団のみなに打ち据え始めました。
ばしん! ばしん! と痛々しい音が鳴り響きます。
騎士団組はみな項垂れ、その仕打ちを甘んじて受け入れるばかりです。
私達は唖然となって見守る事しかできませんでした。
「貴様らが! 余計な事をしたせいで! 勇者との関係が! 面倒なことになったではないか! 貴様らは! 私がどれほど苦心して! あの勇者に取りいり! 世話をしてきたと思っているのだ! ガザルなど面倒がなければ! とっくに排除しているに決まっている! それを私が堪えてきたのに! 全てを台無しにしおってからに!」
ばしん! ばしん!
何度も打ち据えられるその音に、騎士団組の皆はただただ黙ってベルナール様の仕打ちに耐えるばかりです。
ある程度一通り全員が打ち据えられた頃合いを見計らって、後ろに控えたベルナール様の側近のものが後ろから押さえるようにしてベルナール様をお止めになります。
「もうそれくらいでよいでしょう、ベルナール様。
我らは次の手を考えねばなりません。まずはともかくいったん休みましょう。」
ベルナール様はまだ振るいたりないといった表情ではありましたが、次第に落ち着き、大きくため息をつかれると最後にこうおっしゃいました。
「程なくマニャ達が勇者様を連れて戻ってくるだろう。忌々しい事にガザルも一緒であろう。
間違ってもガザルを責めるようなことはしてはならん。
むしろ騎士団組は誠意を込めてガザルに謝り、勇者様にも謝り、なんとしても勇者様の温情を勝ち取るのだ。それが出来なければ貴様らを置き去りにしてやる!
それと、ガザルのやつの待遇をよくせねばならん。
勇者様と常にそばにいられるよう、配置や仕事を考え直さねばならん。
みなガザルをよく扱うようにせねばならん。
お前達、ここにいる全員のうちで、この先一人でもガザルに辛く当たるようなものがいたら、そいつも今後は置き去りだ! 分かったな!」
最高位のお貴族様であるベルナール様がこうおっしゃるとみな一様に頷くしかありません。
何より私は、自らの考えの甘さに恥ずかしい思いでいっぱいとなりました。
正直私はガザルがいなくなってせいせいした気分になりましたが、それではいけない状況だったのです。
勇者様はガザルに大変懐いており、ガザルに何かあれば勇者様がお心を乱されるのは当然の事です。
ですからガザルは本来、あまり無下にも出来ない状況だったのです。
私はこの時初めて、実はこのパーティは以前から大変危うい状況にあったのではないか? そんな予感に思い至りました。
このパーティは勇者様を中心として結成されたチームなのですから、本来私達はもっと勇者様と仲良くし、その信頼を勝ち取る努力をすべきだったのです。
ですが私などの下っ端は面倒をすべてベルナール様などの高貴な方々に任せてしまい、更には女性陣の色仕掛けから逃げ回る勇者様を憐れに思っても、助けるようなことは一切してきませんでした。
そうこうしているうちに勇者様はガザルなどになついてしまい、はみ出し者のガザルと、どうにも扱いに困る勇者様の二人が親密になっても、面倒な二人がくっついてくれたなどと安堵する気持ちすらあったのです。
私達は何か大きな間違いを犯していたのではないか? 私はここにきて初めて、漠然とながらも不安を覚えたのでした。
けれども私に出来る事など一つしかありません。私は料理人なのですから、料理を作る以外にすることなどないのです。
私は他の3人に声を掛け、ともかくご馳走を作ろうという話になりました。
飛び出した勇者様を迎え入れ、今まで邪険にしてきたガザルと仲直りし、みなが改めて一丸となるための、最高のおもてなしをせねばなりません。
ガザルは私達の料理を嫌がって手を付けたがらないでしょうが、それではこの先仲良くしていけません。
そんなガザルも思わず口にしたくなるような、最高級のおもてなし料理を作らなければなりません。
私達の責任は重大です。
これまでの諍いを水に流すほどの素晴らしい料理にみなで舌鼓を打ち。
最後にはベルナール様とガザルが笑って握手をして。
これは大変な高難易度ミッションです。ですが私達はやり遂げねばなりません。これは本当にやりがいのある仕事です。
私は料理というものの素晴らしさを信じています。
手を尽くして精を込めた料理には、人の心を動かすだけの力があると信じているのです。
こうして私達が最高の技術と真心を込めて作り上げた料理は……。
この話を続けるのはやめましょう。私にとって、精魂を込めて作り上げたものが無下に扱われる様を思い返すのは辛い事なのです。
ともあれそんな理由で私達料理人が食材と格闘しているうちに、事態はさらに大きく動いたのです。
最初の一報を持ってきたのは、ベルナール様付きの侍女の一人、おしゃべり好きのナターシャでした。
「勇者様を人質に斥候の皆様が捉われたそうです! マニャ様が救援の通信を送ってこられました! 今戦闘部隊が準備を進めています! 大変な事態です!」
私達は事態の急展開に声も出ませんでした。
料理人の一人、騎士団から派遣されたハンスが心配になった様子で飛び出してゆきました。
ハンスは騎士団組の皆様と大変仲が良いのです。様子を聞きに行ったのでしょう。
それからしばらくたち、戻ってきたハンスが興奮した様子でまくし立てます。
「戦闘部隊総揃いだ! みんなで旧拠点にテレポートしていったよ! 大変な騒ぎだ! こりゃあ身内同士で戦闘になりそうだ! この旅初めての死者が出ることになりそうだよ!」
死者とはもちろん、あのガザルの事でしょう。どうやら私達がガザルを迎え入れるために準備していたこの料理は無駄になりそうです。
私は少しだけ悲しい気持ちになりました。
それでもとにかく、皆が無事に戻ってくることを信じて、私達は残りの料理の準備に取り掛かります。
ハンスが無駄に外していた時間がある分、私達の準備は遅れがちなのです。
あっという間に夕食の時間がやってきました。
慌ただしい準備のため私達は気付けませんでしたが、食堂に集まった皆の表情は暗く、まるでお通夜のようでした。
本来なら一刻も経たずに戻ってくるはずの戦闘職の皆さん、テレポーターのお二人、捉えられたという斥候職の皆さん、そして何より、私達の勇者様。
肝心な皆様方は一人も戻ってきておらず、53人もの人間を収容しいつもにぎわっているはずの食堂が、今やたったの31人しかいないのです。
私達はともかく、腕によりをかけた料理を侍女や侍従の皆様と手分けして配膳してゆきます。頑張って作った自信作ばかりですから、少しでも皆のお顔が明るくなれば良いと思ったのですが、誰一人口を開かぬ重い晩餐となってしまいました。
そんな中、公爵令息のベルナール様が直々に私をお呼びたてくださいました。
「わざわざこれほどまでの料理を準備いただきご苦労でした。とてもおいしかった。ありがとう。」
なんとわざわざ労いの言葉をかけてくださったのです。
私は感激のあまり、思わず言葉を失ってしまいました。
なにせ私は怒られるものだとばかり思っていたのです。パーティがこんな大変な状況であるというのに、勝手な判断でこんな豪華な夕食を作り上げ、結果食材などを無駄にしてしまったのですから。
そんな私の様子を汲み取ってくださったか、更にベルナール様がお声を下さいます。
「本来であれば我々は勇者様を迎え、お互いのわだかまりを解くための和やかな会食になるはずでした。
今日のディナーは勇者様のお心を開くに足る、素晴らしい出来上がりだった。
それが私の判断の甘さから彼らは返ってこず、あなた方料理人の苦労を無駄にしてしまった。
まことに申し訳ない。」
こう言ってベルナール様は一介の料理人であるだけの私に対し、深々と頭をお下げになったのです。
高貴なるお方の謙虚なお姿に私は思わずその場に跪きました。
「いいえ、ベルナール様! いいえ!
ベルナール様にいったいなんの過ちがございましょう。悪いのはすべてあの荷物持ちガザルなのです。
あのものが勇者様を拐かし、斥候どもや騎士様方などを姦計に嵌めたのです。
これはすべてガザルの悪行の為せる業です。
ガザルめは昔からそういう男なのです!
ベルナール様に何の問題もございません!」
すっかり興奮しつつそのように申し伝えるわたくしの言葉に、ベルナール様は眉をひそめになりました。
「ガザルが姦計を? あのものにそのような知恵があるとはにわかには信じがたいが。もしやあなたはガザルについて何か知っていることでもあるのですか?」
このようにご質問いただいては、我が意を得たりです。私は冒険者の父母から聞いたガザルの貴族殺しの噂をベルナール様にお伝えいたしました。
「なんと! そのような話が!」これにはべルド様も驚かれます。「いや私は過分に知らぬ話でした。これはよい事を聞きました。
マーロウ伯爵家のご令息の迷宮での不幸な一件は私も耳にしたことがあります。あの件にガザルめが関わっているとは、これはどうやら私は大きな思い違いをしていたようだ。
いやありがとう。とても重要な情報でした。
どうやら私は少し、ガザルの事を甘く考えすぎていたのかもしれません。」
そうしてベルナール様は、深く何かを考え込むような素振りをお見せになりました。
どうやら私の進言がベルナール様のお考えのお役に立てたようです。
私は自らの役を果たしたと考え、その場を立ち去ろうと致しました。
「お待ちになってください。ご令嬢!」ベルナール様がそんな私に更なるお声をくださいます。
私としては慌ててまたその足元に跪くしかございません。
「いやすまないご令嬢。あなたはなかなかの知恵ものと見受けられたので、もう少しお話をお聞かせいただきたかったのです。すまない。」
「とんでもございません、べルド様。私にお役に立てることがございましたらどうぞ何なりとおっしゃってください。」
ここでベルナール様は周囲を気にされ、声を一段低くなさいました。
「ご令嬢。ここはあなたを見込んで尋ねるのだが、いなくなった斥候や騎士のものどもは今どうなっていると思う? ぜひあなたの忌憚のない意見をお聞かせいただきたいのだが、どうだろう。」
これには私も声をひそめるしかありません。
「恐れながら申し上げます。正直に申しまして、もうこの世にはないものと考えるのがよろしいでしょう。
私の父母は冒険者としてこのように教えてくれました。常に最悪を想定せよと。
むろん生きてくださればこれに勝る喜びはありませんが、為政者たるベルナール様におかれましては、彼らは亡きものとして検討をされるのが良いでしょう。」
「したり!」ベルナール様は大きく頷かれました。「まさにその通りであると私も考えているのです、ご令嬢。してその場合、私達が今一番にすべきことは何だと考えますか?」
これは大変なご質問です。私のようなものが安易に答えてよい内容とも思えません。
けれども私には一つ心配事がありました。
ですからそれをベルナール様にお話しすることにいたしました。
「正直今の状態は大変危険な状況かと存じます。私達は移動に必要なテレポーター2名を失い、探索に必要な斥候を8名全員失い、戦闘のための人員のうち騎士6名、剣士3名、戦士2名の11名を全て失ったのです。
私達は撤退を一番に考えねばならないと存じます。
けれどもそこで思うのです。
私達は今まで、テレポーターによる飛び石作戦で3日と開けずに拠点を転々と移動しここまで足を進めてきました。
しかしこれからは肝心のテレポーターの数が足りません。専任の2名はおりませんし、一部の魔術師様が同じ魔法を使えても専任ではございませんから、大規模な高速移動はもうできないのです。
私達はこの地に長くとどまることになりそうです。
しかしてそれは、今までのように安全で居られるでしょうか? 何日もこの場にとどまって、魔族のものどもに見つかりませんでしょうか? あるいは化け物どもが襲ってきませんでしょうか?
私達はいつまでこの地にとどまるべきでしょうか?
私はその事が気がかりでならないのです。」
私がここまでお話をお伝えすると、ベルナール様はまた考え込まれてしまいました。
今度は私は勝手に立ち去るわけにはまいりません。
ベルナール様に相談を持ち掛けられた以上、許可をいただくまでこの場を退出出来ないのです。
充分な時間が過ぎた頃合いで、ベルナール様が顔をお上げになります。
「いや、大変参考になる意見だった。考慮の余地があるように思う。ありがとう。
ところでご令嬢。君はガザルについてはどう見る? 先の話を鑑みるとあれは凶暴な存在のようだから、我々はガザルが襲ってくる危険を一番に考えねばならないかと思うのだが、あなたはそれについてはどう考える?」
これについては私はすぐにお答えできます。何故ならガザルに襲われるなど、あり得ない事だからです。
「その心配はせぬでも良いでしょう。ガザルはそもそも、私達の新拠点がどこにあるか知らないのです。あのものは最初のテレポートで置き去りにされましたからまったくここを知りませんし、テレポートで移動した騎士様達もこの場所を正確には知りません。
マニャ達斥候組は拷問に掛けられてもこの場所を吐かないでしょう。斥候にはもともとそういう訓練があるのです。
唯一恐ろしいのはテレポーターが脅されてこちらにテレポートしてくることですが、それならばしばらくの間転移ビーコンの周りを監視するようにすればいいのです。」
ここで私はよい事を思いつきました。
「そうですわ! なんならこちら側のビーコンの周りを牢のように囲ってしまえばいいのです。
万一ガザルめが一緒になってテレポートしてくればこれを取り押さえればいいだけですし、騎士様達だけが戻ってくれば事情を説明すれば笑い話になると思いますわ。いかがでしょう?」
「それはよい!」ベルナール様は楽しそうに笑い出しました。
「全く良いアイディアだ。すぐにでも採用させてもらおう。いや! 此度はいろいろ勉強になった。とても良い話をたくさん聞けた。
ありがとう。
私達のパーティはあなたのような無名の才人が影日向なく力を貸してくれることで成り立っているのだ。
私達はまだまだ戦えると確信したよ。とても良い時間だった。ありがとう。」
ベルナール様がそう言って私を何度となく持ち上げるので、私はすっかり恥ずかしくなってしまい、ともかくその場をお暇させていただくべく何度も頭を下げました。
「ご令嬢! 私はあなたの事をすっかり気に入ってしまったよ! ぜひとも次の機会には作戦会議の席で議論を交わせたいものだ!」
まったく勘弁していただきたいものです。私は親が少しばかり有名な冒険者をやっているだけの、一介の無名の料理人なのですから。
けれどもそんな一幕があったおかげで、私もすっかり未来に希望が持てるようになり、何やら落ち込んでふさぎ込んでしまった同僚のアンなどの背中を叩きつつ、私達は日々の生活に戻っていったのです。
拠点の移動の話が出たのはそれから3日後の事でした。
いなくなってしまった22人の皆様は変わらずでしたが、これ以上とどまっても彼らは戻ってこないと上層部が判断し、長くとどまるのは危険という事でともかく場所を移動しようという話になったのです。
移動は困難を極めました。斥候職が出来るものがいないため、半端な知識を持ったもの達だけで殆ど手探りで次拠点を探し出し、テレポーターの数が限られるため、多くのものが自らの足で次の場所まで歩いていかねばなりませんでした。
殆どのものが初めて出歩く魔王領の深域では、恐ろしい化け物の襲撃も幾度かあり、魔導士主体の戦闘ではなかなかとどめを仕留めきれず、ついには直接の犠牲者も数名出てしまいました。
それでもとにかく新しい拠点に移動し、いよいよ新しいコテージなどを組み立てようと準備に取り掛かる前段になって、とても恐ろしい事故が起こったのです。
前拠点に残っていた補助人員の皆様を運ぶため、ビーコンを用いてのテレポートを敢行してきた魔術師の方が、そのまま地面の中へと突っ込んだのです。
ああ! この悲劇について、私はなんと説明してよいのか分かりません!
俗に『石の中にいる!』と呼び表されるこの現象は、熟練したテレポーターでは滅多に引き起こりません。
空間把握が未熟な若い術者などがテレポートをうまく制御できなかったときに、本来感知できたはずの地面などの障害物を把握できずに、重なり合うようにしてその中にテレポートしてしまうのです。
人間を構成する細胞と石などの原子は、実際には充分な隙間がありますからこれがそのまま分子衝突に至ることはまずありません。ただ、固体である石がそのまま人体と重なり合って存在してしまうため、そのまま人体は破壊されてしまうのです。
つまり、移動してきた直後に取り返しのつかないような怪我を負い、あるいはそのまま死に至ります。
そんな悲劇が目の前で起こり、瞬く間に7名の命が失われました。
即死できたものはまだ幸せだったでしょう。
あるものは、下半身だけが地面に埋まり、「痛い! 痛い!」と泣き叫び、あるいは身体を突き破るように岩が刺さっているように見えながら、血などは一切出ずに「これなに? これ……なに……?」などと茫然とした様子で口を開きます。
けれども彼らはもう、どうすることも出来ないのです。
埋め込まれた部分はそのまま地面と融合し、人体としての正しい機能を有していないのですから。
皆がパニックになりました。その場が騒然となり、大声で泣き叫ぶもの、茫然とたたずむもの、神の名を繰り返し呟くもの、へたり込んで失禁するもの、狂ったように駆け出して茂みの奥に消えてしまうもの、ともかく殆どみんな、まともな判断がつかなくなっておりました。
そんな中で私は……。
私は冒険者としてもそれなりの経験がありますから、こう言う事態に対する心構えがありました。
おかげさまで私は比較的早くに冷静になる事が出来、状況を検分する心の余裕がありました。
確かに今の事態は異常です。
ですがよくよく状況を確かめてみると、おかしな点にすぐに気づきます。
それは、テレポートしてきた7名それぞれの距離が離れていることです。
通常、テレポートはビーコンを目標に数メートル以内に収まる範囲に移動してきます。多少腕が悪くとも、10m以上バラけるようなことはありません。
それがどうでしょう? 今回のテレポートでは最も離れたもので目算で30mほども遠いところに出現しています。
確かに今回のテレポートは一般の魔術師の方が術を行使なさいましたが、いくら慣れていないとはいえ、通常ならここまでバラけるようなことは考えられません。
私はすぐにその原因に思い至りました。
魔素の濃い場所では空間魔法が安定しない場合が多々あります。大迷宮深層などがよい例です。こういった場所ではテレポートもストレージ魔法も役に立ちませんから、あのガザルめのように、重い荷物を担いで二本の足で移動せねばならなくなります。
とはいえ、魔素の濃さが必ずしも空間に大きく影響を及ぼさないこともあります。高濃度の魔素帯でも場所によっては安全にテレポートできることもあるのです。
そして当然、その逆もあるのです。つまり……。
私はハッとなりました。この新しい拠点はもちろん、魔素メーターを使って充分に低魔素と判断できる場所を選んだつもりです。
けれども魔素濃度は低くとも、空間に大きな影響を及ぼす恐ろしい場所なのです。
テレポートは失敗しました。では、ストレージ魔法は……?
私は思わず駆け出していました。茫然とたたずむストレージ魔法の使い手、魔術省出向のジョンの身体を揺さぶります。
「ジョン! なんでもいいから食料を出して! あなたが格納している食材をなんでもいいから確認させて頂戴! お願い!」
ジョンはぼんやりとした表情ながらも私の声を聞き入れ、無言でその場になにものかを呼び出しました。
それを詳しく確認するまでもなく、事態が最悪であることがすぐに伺い知れました。
腐敗し、ドロドロになって猛烈な臭気をまき散らす塊らしきものがとめどなくその場に溢れ出します。
ジョンが何やら焦った様子で声を上げます。
「あれ? あれれ? 魔法が……。魔法が止まらないよ……? ボクは術を止めているのに、止まらないよ……?」
次から次へと腐った何かが溢れ出します。びちゃびちゃと汚らしい液体の中に溶けたそれらは、恐らくある程度温かくなった状態で恐らく数か月以上は放置されていたのと同じような状態であると見受けられます。
恐らく先ほど失敗したテレポート魔法と同じく、うまく制御が出来なくなっているのでしょう。
歪んだストレージ魔法が格納空間内部の時間を大幅に進め、水、肉、野菜、調味料などと分けて保管されていたそれぞれが混じり合い、恐らく更には温度管理なども出来なくなっているのでしょう。
おまけに今は空間解放が止められなくなくなり、とめどなく中身が溢れ出しているのです。
「どうしようこれ? どうしよう?」ジョンが泣きそうになりながらこちらへ話しかけてします。
私だって知りません!
そうこうしている間も、彼の周りからぼとぼとと腐った何かが大量に溢れ出してきます。
「うわっ! うわあっ!」ジョンは悲鳴を上げながら後ずさりますが、空間魔法は彼を中心に展開しているので、彼が移動すれば腐敗物の雨も一緒になってついてきます。
そんな彼に対し、周りの誰も近寄ることも出来ず、ただ唖然と遠くから見守るばかりです。
「どういう事なんだ!」
異常に気付いたベルナール様が駆け寄ってきます。私はともかく手短に事情を説明します。
「なんてことだ!」ベルナール様は手で顔を覆うようにして、天を睨みます。
ベルナール様は、さらに続けてこうおっしゃいました。
「空間魔法が制御できなくなる特異点がこんな低魔素帯に生成されることがあるなんて!」
……え?
私は思わずおかしな声が出そうになりました。
空間特異地点が低魔素帯にも生成されうるのは、ある程度の経験を積んだ冒険者であれば誰でも知っている周知の事実です。まあ、なかなかお目にかかれないものではありますから、私も実物を見るのは今日が初めてです。
けれども私でも知っている程度の常識です。
もちろん対策のため専用の計器類がありますし、熟練の斥候職であれば魔素計を確認するのと同じタイミングで、このあたりのデータは毎回チェックをしているはずです。
他にも二酸化炭素計や地磁気計、ガイガーカウンターなどはまとめてこまめにチェックするものです。
ですからここまで数か月の間は安全にテレポートもストレージ魔法も使えてこれたのです。
今回このような悲劇が起こったのは熟練の斥候職が全滅してしまい、不慣れなにわか斥候が確認を怠ったことが原因であるのには間違いありませんが、私としては、本職でない人間がこの緊迫した状況で見落としがあっても、あまり強くは責められないだろうと思います。
けれども責任者であるはずのベルナール様がこんな初歩的な知識を持ち合わせていないとは、これは一体どういうことなのでしょう?
私は今、ここにきて初めて大きな疑念が生まれました。
この勇者パーティにはそもそもとてつもなく大きな問題があったのではないか?
この数か月の間ここまで無事にこれたのは全くの偶然で、実はいつ全滅してもおかしくない薄氷の上を歩いていたのではないか?
私は思わず一歩、後じさっておりました。
ベルナール様はそんな私に気付かずブツブツとまた何かを考え込み始めます。
そんなベルナール様の様子を不安げに見守る侍従のもののうち一人が、小脇に抱えた水筒からコップに水を汲み取り、サッとベルナール様に差し出します。
ベルナール様は煩わし気にそれを払いのけ、コップの中の液体は地面に零れ落ちました。
ベルナール様? その水の代わりはもうありませんよ?
私達は水や食料の全てをジョン一人のストレージ魔法に格納させていましたが、残念ながらその中身はドロドロに混じり腐り果て、ストレージ解放が止められなくなったジョンが今あたりにばらまいているところです。
私は……。
私は、みなで置き去りにしたガザルの事を思い返しておりました。
大迷宮に潜るもの達には独特の決まりごとがたくさんあります。
私だって中層までの探索の為にきちんと講習を修めました。それは例えばこんな具合なのです。
・ストレージ魔法は大迷宮では当てにならないので信用してはならない。
ええそうですね。
・食料などは分散して持つようにする。そして必ず持ち手が一か所に固まらないようにする。
全くです。
・必要以上に仲良くせず、お互いに相手を少しづつ疑うようにする。
返す言葉もございません。
思えばここは魔族領深域です。大迷宮深層に勝るとも劣らない魔境です。
そんな場所で一般的なフィールド探索の常識がどれほど通じるというのでしょう。
私は一体今まで、何を勘違いしていたのでしょう。
あの荷物持ちのガザルは本当は……。
その時でした。
「なんだか面白れぇことになってんなぁ!」
大きな声があたりに鳴り響きます。
「いやーまさか、じっとしてりゃあ2週間は生きられるところを、わざわざこんなヤベーポイントに自ら移動してきて、自爆みてーなテレポート魔法にストレージ魔法の暴走で食料も全滅、3日にして後はもう死ぬしかねー最悪の状況じゃねぇか。オレは殆ど何もしてねーのにお前ら勝手に自滅してんじゃねーか。お前ら馬鹿にもほどがあるだろう。」
楽しそうな声でそう皆に語り掛ける大男はそう、本来この場にいるはずもない荷物持ちガザルでした。
傍らにはあの美しい少年勇者、アレク様が並んでおります。
「な、な、な!」ベルナール様が顔を真っ赤にしてガザルを指差します。「何故貴様がここにいるっ!」
「何故ってそりゃあ、後をつけてきたからに決まってんじゃねぇか……。」ガザルがつまらなそうに頭を掻きながらそう答えます。
私は「あっ!」と声を上げます。
私はガザルはこちらの新拠点を知りようがないと決めつけましたが、一つだけ簡単に知る方法があったのです。
勇者様がガザルを拠点へと手引きすればよいのです。
私はあの時、「ガザルが勇者様を人質に取った」と聞いたものですから、勇者様がこちらの居場所を伝えるようなことはないと無意識に除外しておりました。
けれどもそもそも、この二人は仲良しだったのです。今もとても気安い間柄で心を許し合っているように見えます。
ならば当然、勇者様がガザルに新しい拠点の場所を教えるのは当然の事です。
どうして私はこんなことに気付けなかったのでしょう。
私はその理由について考えを巡らせ、あるとても恐ろしい事実に思い至ります。
そもそも私は、54人の勇者様パーティの中で、ガザルは一人孤立していると考えていました。私達は勇者様も含め53人で結託し、ガザルは一人のけ者であると決めつけておりました。
だから勇者様が人質になったと聞いた際に、ガザルは一人で53人を敵に回したのだと勝手にそう解釈してしまったのです。
けれども本当のところはどうだったのでしょうか?
勇者様は、この美しいかんばせをもつ可愛らしい少年は、本当に私達の仲間だったのでしょうか?
私は勇者様がガザルととても懇意にしているところを目撃しております。
あんなに嬉しそうに笑う勇者様を、私は他で見たことがありません。
私が傑作と自信を持てる料理でおもてなしをさせていただいた時も、勇者様ははにかむように少しだけ口元をほころばせる程度でした。
本当に私達は勇者様の仲間だったのでしょうか?
本当は、勇者様とガザルは二人だけで孤立をしていて、二人だけで結託をして、彼ら二人だけで勇者パーティを組み、残りの私達は全く関係のない赤の他人だったという事はないでしょうか?
本当のところは、ガザルとアレク様二人と52人だったのではないでしょうか?
私がそのような事を考えているうちに、いつの間にかガザルや勇者様とベルナール様との間で言い争いのようなものが始まっておりました。
「お前は誰だ!」とベルナール様。
「僕は勇者アレクだよ。」勇者様が応えます。
「どこから見ても女ではないか! おまけになんだその美しい顔は! お前のどこが勇者なのだ!」
「こいつにも色々事情があるんだよ。女であることを隠すためにハイエルフのまじない師が男に見える魔法をかけていたんだ。
なんでも欲深い人間にはそいつの望み通りの容姿に映るらしいぜ? お前にはどんなふうに見えていたんだ?」
ガザルのこの説明に私は驚きが隠せません。なるほどよく見れば勇者様には胸のふくらみなどもあり、うら若い少女であることが分かります。けれども私には以前とほとんど変わらぬお姿に見えるのです。
「勇者などは間抜け面でヘラヘラ笑うばかりの鼻たれ小僧だったではないか! そのような女は見たこともない! 偽物だ!」
こうおっしゃるベルナール様に「えええええっ?」と勇者様がげんなりした様子でお声を発され、傍らに立つガザルがゲラゲラ笑い出しました。
「うるさいうるさいうるさい! 貴様ら私をたばかろうとしているな! 私は信じぬぞ!」
「いや別にお前が信じなくてもさぁ。……まあいいや。もうどうでもいいからお前、そろそろ死んどけ?」
「待ってください!」ここで異をとなえるのは勇者様です。
もしや助命を嘆願くださるのかと思いましたが、続く言葉はより残酷な内容でした。
「僕はこのベルナールという男が大嫌いです。この3か月の間、偉そうに指図するばかりでまるで僕を都合の良いおもちゃのように扱うのです。
こいつが僕に何と言ったと思いますか? 『お前は子供を作るためだけの種馬だ』ですよ! 僕は女なんです! こいつは僕の正体も知りもせず、そんな事ばかりを毎日当たり前のようにそう言うんです! 僕はこいつを許せません! こいつは僕に殺させてください!」
ああ! 勇者様はベルナール様をこんなにも憎んでいる! 私はもっと、勇者様のお心を知る努力をするべきだった! こんなひどい事になっているなんて知りもしなかった!
ベルナール様が何かをぎゃあぎゃあ叫び始めます。「何故私が殺されねばならん!」だとか、「私を誰だと思っている!」だとか。
でもガザルも勇者様もまるで聞き入れる様子もありません。私も正直どうでもよい事のように思えました。
ガザルが口を開きます。
「駄目だ。お前はこの男を殺してはならねぇ。」
「どうして!」勇者様が声を荒げます。
「憎しみで人を殺しては囚われる。俺たちはこいつらを仕方なく殺すんだ。そう思えて初めてこいつらの死を真っすぐに受け止めることが出来るんだ。
お前はこいつを殺すな。
こいつはオレが殺す。」
ガザルの言っていることは滅茶苦茶です。私にはガザルが何を言っているかさっぱり理解できません。
それでも勇者様は感じるところがあるようで、「はい……。」と悔しそうにしながらも小さくそう頷きました。
「代わりにアレク。お前は残りのやつらを全員殺してこい。後のやつらは大して恨みもないだろう?」
ガザルがそういうと、「はい!」と嬉しそうに返事をした勇者様が、矢のごとく駆け出してその美しい聖剣を人に向かって振り回します。
ああ! 私は声にならない叫びを上げました。あの美しいお姿の勇者様が、ガザルなどという狂人にそそのかされ、かつての仲間を嬉々として殺すような悪童へと造り替えられてしまっているのです。こうなる前に皆でお止めするべきだった!
けれども私はそんな勇者様の様子をじっくりと見ている暇もありませんでした。
なんとベルナール様が腰に差したサーベルを引き抜くと、あろうことかこの私を後ろから羽交い絞めにし、その切っ先を私の喉元につきつけてきたのです。
「待てガザル! この私を殺そうというのならこの女の命はないぞ!」
私は一瞬頭がくらりとなりました。どうしてこの局面で私がガザルたちに対する人質になるのでしょう。
こんなことをしてもガザルは私とベルナール様をまとめて殺せばよいだけではありませんか。
私はえいっと身体をひねり、若いころに母より教わった合気の技を用いてベルナール様の腕を取ると、そのまま地面へと投げ倒しました。
受け身の体制の取れないベルナール様が背中から固い地面に身体をぶつけ、「ぐえっ」と潰れたカエルのような悲鳴を口にされます。
次の瞬間、ぶんっ! っと大きな風切り音が鳴って、私の顔の真横をガザルの戦鎚が通り過ぎました。
戦鎚はそのままベルナール様の頭部を直撃し、辞世の句なども呟く間もなく命を損なわせます。
私は慌てて飛び起きるようにして距離を取り、ガザルに対して身構えます。
私の身体にはベルナール様であったはずの肉片やら血やら脳漿やらがかかり、おぞましさに吐き気が止まりませんでしたが、ともかく臨戦態勢を取らねばこちらが殺されてしまいます。
ガザルはそんな私に対して構えるでもなく、泰然とその場に立っています。
程なく勇者様が戻ってこられ、「あれ? ベルナール死んじゃった? 後はお姉さん一人? じゃあ僕が殺すね?」などと言いつつ、聖剣を上段に構えられました。
「待って!」私あらん限りの声を張り上げます。
「お願いだから待って! 殺さないで!」ともかくなんでもいいから口に出します。
勇者様がお構いなしに一歩踏み出しますが、そんな彼女をガザルが手で制します。
どうやら私は話し合いのテーブルにつくことが出来そうです。
ともかくなんでもいいから話を続けなければなりません。
この異常な状況で、少しでもわずかな可能性にかけ、命の手綱を手繰り寄せねばなりません。
「どうして! どうして私があなた達に殺されなければならないの!? 私達が何をしたっていうの!?」
私がともかくそう質問を投げると、ガザルはやれやれと言った様子で返事をくれました。
「お前達がオレを置き去りにした。オレを助けに来てくれたのはアレク一人だった。だったら残りの全員はオレ達の敵だろ? だったら全員に報復する権利がオレ達にはあるだろ?」
私はともかく反証を試みます。
「あなたを置き去りにしようとしたのは騎士の皆様の独断だった! 残りの全員はどちらともいえない立ち位置だった! あなたの味方はアレク様一人だったかもしれないけれど、あなたの敵は残り全員じゃない! あくまで敵は一部のものだった!」
ガザルはにんまりと笑ってみせます。
「いいや違うね、お嬢さん。オレの敵は確かにそうかもしれないが、アレクの敵は、お前ら全員だ。
オレは一人置き去りにされるだけならお前らを殺すつもりはなかった。
アレクがオレの味方についてくれることになったから、お前ら全員を殺す必要が出てきた。」
「待って! 意味が分からない! 私にはその質問をする権利がないのかもしれないけれど! 私が気付かず過ちを犯しているだけなのかもしれないけれど! 私は理由もわからず死にたくはない! 出来ればちゃんと理由を教えてほしい!
なぜアレク様がいると、私達は敵になるの! お願い! 教えて!」
ガザルははあっとため息を一つつきます。
「見て分かんねーかな? アレクは女だったんだよ。勇者が女とバレればアレクは殺されちまうだろう?
いいかい? お嬢さん。勇者利権って言葉は知っているかい?」
「知ってるわ! 勇者様のお子をもうけると金一封がもらえるの! 私も雇い主の子爵様に努力するよう言われたわ! でも私は最初から諦めていた! 私はアレク様に何もアプローチはしていない!」
ガザルが勇者様の方を見ます。勇者様はこくりと頷きます。
「そうかい、お嬢さん。そいつは賢明な選択だったな。
けどお嬢さん。お貴族様はそうは思わないんだぜ? 勇者が男であれば種馬にして女を宛がえばいくらでも子供を手にいられるが、女勇者は子供の数が限られちまう。
だからアレクみたいな庶民の女が勇者と分かると殺されちまうんだぜ? そこに転がってる公爵令息なんていい例だ。こいつはアレクの事を『種馬』ってはっきりそう言っていたんだろう? つまりはそういうことだ。女とバレた瞬間そいつはアレクを殺す。だから先んじてオレが殺したんだ。」
「待って! それってお貴族様の話でしょう!? 私はただの冒険者の娘よ! そりゃあ今の私の雇い主は子爵様だけれど、私はお貴族様のまつりごととは無縁の存在よ! 私まで殺す必要はないじゃない! 庶民のみんなも沢山いたのに、全員殺す必要はないじゃない!」
ガザルはそんな私の発言を鼻で笑ってみせます。
「そういう問題じゃねぇんだよ、お嬢さん。この勇者パーティに参加する全員には、それぞれが所属する団体や組織の見えない糸が絡みついていて、全員がなにがしかのひも付きなんだ。
そんな状態で勇者アレクが女であることがバレると、必ず良からぬことを考えるものを引き込んじまうんだ。
だからオレはお前ら全員を殺さなきゃなんねぇんだ。あんたが庶民である事はこの際いっさい関係がないんだよ。」
ガザルがのそりと一歩、こちらに近づいてきます。手には大きな戦鎚を掲げるようにして。
ともかく私は必死になって叫びます。
「待って! 私が黙っていればいいでしょう? 私、決して話さないと誓います! 勇者様が女の子だなんて決して口にしません! 子爵様のひも付きがよくないのなら仕事もやめます! あなた達の監視の元に暮らしてもいい! ね? それならいいでしょう?」
するとガザルはゲラゲラと笑い出しました。
「全く信用ならねぇなお嬢さん! そもそもお嬢さんとオレの間には信頼関係なんて少しもなかったじゃないか! あんたがこのオレを軽蔑の目で見てきてたこと、オレは知ってるんだぜ? そんなあんたが言うことを、どうしてこのオレが少しでも信用すると思ったんだよ? おめでてぇお嬢さんだな! あんた!」
ガザルは笑いながら、更に一歩、こちらへと近づいてきます。
「待って! 私の両親は冒険者組合にも顔が利く一級の冒険者なの! あなた達の力になれると誓うわ! 私を生かしておけば色々役に立つ! 逆に私を殺してしまうと、いぶかしんだ両親があなた達を追及することになるわ! 面倒は嫌でしょう!? 少しでも味方が多い方がいいでしょう!? 私ならあなた達の力になれる! 私を殺せば面倒な事になる! 落ち着いて考えてみて! どちらが得か、ちゃんと考えて!」
ガザルは笑うのを止め、こちらの顔をまじまじと覗き込むようにしてきました。
「あんたの両親は知ってるぜ。一級冒険者のマッケンジー夫妻。ワイバーンの少人数討伐で名を上げたそれなりの名士だ。けどそれだけだ。大迷宮じゃあ深層入り口に辿りつけるかどうかの中堅どころだ。
大した力は持っちゃいねーよ。別に味方にならなくてもさして困る事なんてねーよ。
オレはパーティメンバー全員の身辺調査をしてるんだぜ? あんたのバックグラウンドは全部お見通しだよ。
それよりあんた、親に頼んでオレの背後も調べてもらっただろう? マッケンジー夫妻がオレの周りをうろちょろ嗅ぎまわっていたのはオレも知ってるんだぜ? まったく笑っちまう話なんだが、勇者パーティに参加する話がきてからこっち、まともにオレの調査に来たのはマッケンジー夫妻くらいなんだ。
みんな、探索者協会でオレがどれくらいの地位にある人間かまるで知らねぇんだ。
あんただけが多少なりともオレの立場や地位を知っていたんだ。
知っててあんた、オレの事どう思った?
すげえ実力者だからきちんと対応しようと思ったか?
オレの事、ちゃんと相手しようと思ったか?
ちゃんと敬意をもって向き合ってきたか?」
私は何も返す言葉がなかった。だって私はガザルの事を……
ガザルはにっこりと微笑んでみせた。
「だから別にあんた、オレにとってはどうでもいい人間なんだ。あんたは俺を馬鹿にしてたかもしれないが、人を馬鹿にするやつは相手からも軽んじられるんだぜ。
あんたは別にどうでもいいや。
死ぬ前にいい社会勉強になったな?
それじゃあそろそろ死んどくか?」
「待って! 確かに私に悪いところもあった! あなたが探索者協会の重鎮だって知ってて、あなたを不用意に見下していたところもある! でも待って! 私はあなたを尊敬する! ちゃんとする! 私に至らないところがあるなら全部直す!
話し合いましょう! ちゃんと理解し合いましょう! 私達、お互いに少し気持ちがずれていただけなの! ちょっとした誤解が積み重なって、こういう関係になってしまっただけなの!
いわばこれは不幸な事故のようなものなの!
話し合えばまだ修正がきくわ!
私達人間でしょう? 言葉の通じる、人間同士でしょう?
話し合いましょう!? お互いに一番メリットがあるよう、ちゃんと話し合いましょう!?」
するとガザルは無表情になりました。
まるでじたばた足掻く虫けらの羽をつまらなそうにもぐ幼子のような、のっぺりとしたまるで感情のない能面のような顔になりました。
「あんた今まで、何してきたんだ?
あんたこれまで3か月も時間があったのに、俺達と話し合う努力を少しでもしてきたのか?
勇者アレクは3か月間、女である自分の正体を明かせずに苦しんできたのに、少しでも気にかけて話す努力をしたのか?
この俺は大迷宮深層のエキスパートで、高魔素地帯でのあれこれを色々知っているというのに、あんた一度でもこの俺と腹を割って話そうと思わなかったのか?
あんた、自分が3か月の間何もしてこなかったくせに、今さらこのオレと話し合おうだなんて世迷言を言うのか?
あんた今さらなに言っているんだい?
話し合いの時間なんてとっくに終わっちまっているんだぜ?
あんたは別にオレを恨んでくれていいぜ。
オレは別にあんたに恨みはねぇけれど、自分がひでぇことをしてるって自覚はあるからな。
恨まれて当然だって、そういう覚悟は出来てるぜ。
けどそうだな、こんな時こういう風に言ったらいいのかな。
ほら、近頃王都ではやりの小説のさ。
えーっと。」
ガザルという男は、語りつつも片手で軽々と戦鎚を振り上げる。荷物持ちは戦闘技術はあまりなくとも、とにかく力だけはすごいから、あんな重そうな鎚を軽々と持ち上げて見せるのだ。
あんなものが振り下ろされたら、自分など一撃で命を奪われてしまう。
ああ! 何か会話を続けなければ!
あああ! とにかく何でも話をしなければ!
ああああ! なんでもいいから思いつけ! 何か喋れ! なにか!
あああああっ! 父さん! 母さん!
「今さら話し合いなんてもう遅い。」
そんな一言とともに、黒光りするそれが私の頭目掛けて落ちてきた。
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