旭くんもきっと愛してた

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 昨日と同じ駅に降り立ったわたしは、朔ちゃんに『駅に着いたよ』とメッセージを入れた。すぐさま既読になったかと思えば『気をつけて』と定型分が返ってきたのでスマホをしまい歩き出す。

 

 昨夜はなんだか変なテンションになってしまって誤魔化されていたけど、わざわざ家に呼び出すって?しかもわたしを?今朝になって、なんで呼び出されたんだ?という疑問が強く湧いてきていた。

 それは考えても仕方がないことだし、あと2、30分もすれば答えが聞けるわけなんだけど。分かってはいるが一刻も早く用件を聞きたいわたしの足はせかせかと動き、朔ちゃんの家を一心不乱に目指した。


 ほどなくして着いた朔ちゃんちを前にして、インターホンを押してもいいのか、とわたしは頭を悩ませる。そもそも今日、この家には朔ちゃんしか居ないのかな?もしお母さんが出たらわたしはなんて言えばいいんだろう。

 悩んで悩んで、それすら面倒になって、わたしは朔ちゃんに電話をかけた。もっと早くこうすればよかったんだ。そんな考えにもなかなか思い至らなかった自分自身の心中を察する。さては、よほど焦っているな。


『おー、着いた?』

「うん。着いたよ。入れる?」

『今開けるわ。俺だけしかいねーから、かまえんなよ』


 "俺だけしかいないから"と告げられた事実は、かまえんなよの言葉通り、朔ちゃんがわたしの心を軽くするために言ってくれたのだろう。実際、朔ちゃんだけの方が気を遣わなくて楽なのは間違いない。

 なのに、わたしなんでこんなにドキドキしてるの?急に苦しいほど締め付けられた胸を服の上からそっと撫でる。ふぅと深呼吸し、立派なお家へとつながる門扉を開けた。


「もう玄関だよ」


 繋いだままの電話で朔ちゃんにそう伝えた瞬間に玄関が開き、「よお、悪かったな」と柔らかいほほ笑みと共に朔ちゃんが姿を見せた。


 昨日瞼の上に貼られていたガーゼは絆創膏に変わり、痛々しさは随分と少なくなっていた。パッと見るに腫れてもいないようだし……良かった、と思ったのは少し時間が経ってからだった。

 朔ちゃんには悪いけれど、その顔の怪我の経過よりも一番に目に入ったのは黒くなった髪色だったからだ。


「朔ちゃん……それ……」

「あ?ああ、これな」


 わたしの目線のみで朔ちゃんは瞬時に悟り、黒くなった自分の髪を恥ずかしそうに撫で付けた。その表情にまたどきりとする。黒髪になって眉と口元のピアスを外した朔ちゃんは、途端に好青年という言葉が相応しい見た目に変身していた。

 くりっとした目やふっくらとした下唇のおかげで元々可愛らしい顔つきをしているのだ。これならもう因縁をつけられて絡まれることもないだろう。


「黒髪も似合うね」


 素直に褒めたが、あれ?地毛である色を似合うって、変な言い回しかな?と徐々に首を傾けだしたわたしを見て、朔ちゃんはふっと鼻で笑った。


「とりあえずんなとこ突っ立ってないで上がれよ」


 その声に自分がまだ玄関に立ったままであることを思い出す。まさかの黒髪に呆気に取られすぎていた。


「お邪魔します」


 と昨夜後にしたばかりの家に上がり、通された朔ちゃんの部屋の床に座る。「んな冷たいとこ座るなよ」と言う朔ちゃんの言葉に従いたいが、冷たくないとこってベッドの上しかなさそうだけど?と部屋を見回した。

 さすがにベッドの上は躊躇してしまう。「ここでいい……というか、ここがいい!」と強く言い切ったわたしに、怪訝な表情を見せた朔ちゃんは「んじゃ、とりあえずこれ」とベッドの上に置いてあったクッションを投げて寄越した。





 お茶が入ったカップをわたしに手渡した朔ちゃんはわたしの正面に腰を下ろし、「急に呼び出して悪かったな」と謝罪の言葉を改めて口にした。しっかりと交わった視線がわたしの胸をチリチリと焦がしていくようで、咄嗟に逸らしてしまう。


「怪我、どうだったの?」

「ほんとたいしたことなかったから。ピアスのせいもあって、瞼が切れただけ」


 瞼が切れだけ?だけと言えるほどの怪我ではないと思うけれど。とりあえず目の前にいる朔ちゃんは元気そうだし、一安心……なのかな?「念のため学校は休んだけど」と付け加えた朔ちゃんの黒髪はやっぱりまだ見慣れない。


「え?じゃあ、髪はいつ染めたの?」


 それを見ているとふと疑問に思ったので聞けば、朔ちゃんは「病院帰りだけど?」と悪気なく言ってのけた。えー?通院で学校休んだんだよね?昨日怪我したんだよね?そんなに一刻も早く染め直したかったの?ほんと、繊細なのか図太いのかよく分かんない男だ。

 わたしの苦笑いを見て、朔ちゃんは不貞腐れたように唇を歪ませた。朔ちゃんの唇はいつもピンクに色づいている。それがキスをねだるように尖るものだから、わたしはそこばかりを見てしまう。これじゃあ、まるでわたしが欲情しているみたいだ。相手は彼氏の弟。わたしにとっても手のかかる弟のようなものだ。落ち着け落ち着けと言い聞かせて、間を埋めるような話題を探した。

 

 あれ、わたし今まで朔ちゃんとなにをどうやって話してたっけ?意識し出すと話題が全然出てこない。焦っているのはわたしだけで、朔ちゃんは何を考えているのか読めない瞳でじっとわたしのことを見つめてくる。その視線にさらに焦って、わたしの心の中は環境が悪くなる一方だ。


「あ!初恋って実らない方がいいって言うよね!」


 突然なんの話をしてるんだ?それは口に出したわたしでさえ思うのだから、朔ちゃんにすれば殊更だったろう。眉間に皺を寄せたまま目を細め、朔ちゃんは「はぁ?」と凄んだ。

 ね、ほんと意味分かんないね。凄むのも仕方ないと思うよ。「あはは」とわざとらしく笑いまた別の話題を探し始めたわたしに、朔ちゃんは「実った方がいいに決まってんだろ」と答えた。あ、話続けてくれるのね?


「だよね、うん、分かる。ね、朔ちゃんの初恋っていつ?」


 いや、わざわざ話を広げなくてもいいじゃん!そう思うのに、隙間を埋めようとする頭が自分勝手に口を動かした。


「いつだと思う……?」


 まただ。また胸が苦しい。にやりと形容するしかないような意地悪な笑みが向けられ、わたしは何も言えなくなってしまう。さっきまで勝手に動いてたくせに!今動いてよ!そんなわたしの願いは叶えられず、口は固く閉じられたままで、辛うじて動く拳をぎゅっと強く握るしかなかった。


「ま、そんなことどーでもいいか」


 この話は早く終わらせたいと思っていたのに、いざそうやって畳まれると朔ちゃんの初恋を知りたがっている自分の気持ちに気づいてしまう。朔ちゃんの心の中にも、キラキラとしていつまでも褪せない誰かが存在しているのだろうか。あ、なんか嫌かも……。……え、なんで?

 俯いたまま何も言わなくなったわたしを見て、朔ちゃんは「そんな気まずそうにするなよ」と呟き、「そういえば」と口を開いた。







「え?どゆこと?」

「だからー、母さんにひまりのこと彼女だって言ったの!」


 言ったの!じゃない!わたしはそれがどういうことかと聞いているのだ。

 「そういえば」の後に朔ちゃんは衝撃的な内容を続けた。要約すると先ほど朔ちゃんが述べたように、わたしを彼女だと紹介したらしい。ほんとなんなの。


「まさか……だから今日呼ばれたの?わたし」

「そー。母さんが心配だから今日の仕事休むって言うからさぁ……彼女が来てくれるからって断った」


 な、なんだそれ。全然、全く、これっぽっちも分からない!!!


「困るんだけど……。だって、わたし……」


 そう。だってわたしは旭さんの彼女だ。朔ちゃんのお兄さんである旭さんの彼女なのだ。


「え、てかなんなの、その外堀から埋めてく感じ」

「え?お前俺が諦めたとでも思ってたの?」


 え、わたしがおかしいの?え、え、え?朔ちゃんの堂々とした物言いに、わたしの常識が崩れていく。朔ちゃんって常識人だと思っていたけど、どうやらそうでもないのかもしれない。なんなら貞操観念以外は旭さんよりぶっ飛んでない?


 黒髪に戻していくら見た目が好青年になったとは言え、朔ちゃんは朔ちゃんだ。片方の口角を上げ、得意げに笑うその表情がとてもよく似合う。  

 震えながら泣いていた朔ちゃんの面影はたしかにあるのに、その笑みは捉えて離さない捕食者のそれであった。

 

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