ひまりちゃんは旭くんを愛してた

5

 さすがに今日はこのまま帰ろうか、となって、旭さんがわたしを家まで送ってくれることになった。最寄り駅に着いて2人で歩いていると、あのタコ公園が目の前に見えてきた。


「あ、ここですよ。朔ちゃんの家出先」

「……あぁ、ここで会ったのか」

「そうです。あのタコのトンネルの中で」


 わたしがふざけて「少し寄ってみます?」と誘えば、旭さんは「いいね」と思いもよらない返事をした。驚きを隠せないわたしが「いいんですか?」と返せば、旭さんはおかしそうに笑いながら「いいよ」と肯定の返事を繰り返した。


 タコ公園に入り、朔ちゃんが泣いていた遊具へ向かう。「このトンネルです」と言ったわたしに「へぇ」と興味なさげに言葉を返した旭さんはトンネルの中を覗き込み「狭いな」と呟いた。

 それは自分が大きくなったからだろうと思う。わたしもそこを覗き込んだのは朔ちゃんのことを見つけて以来5年、いやほぼ6年ぶりだが、同じ感想を持った。わたしより随分と背の高い旭さんがそんな感想を持つのは、当たり前なことのように思う。


「そういえば、のぞみさん元気でしたか?」

「ん?あぁ、相変わらずだったよ」


 その言い方にダブルデートーーと呼ぶには色気が全く足りなかったがーーの日ののぞみさんの姿を思い出す。本当に太陽みたいに明るい人だった。

 話が長くなりそうだと思ったのか、旭さんは「ベンチに座る?」とわたしの腰を抱いた。ぐっと距離が縮まった事実にドキドキしてしまう。旭さんとは、ゼロ距離になるようなもっと過激なことをしているのに、こんな些細なことでいちいちドキドキするなんて。

 そのドキドキを隠すように明るく「はい」と返事をすれば、「そんなに嬉しかったの?」と的外れなような、当たっているような旭さんの言葉にもう一度頷いた。


「のぞみへの気持ちとはキッパリと決別できたよ」


 とベンチに座るなり旭さんは告げた。恐らくわたしを安心させるために早めに言ってくれたのだろう。こちらからは聞きづらい内容を旭さんから言ってくれたことにも優しさを感じた。


「そうですか……旭さんがすっきりしたなら良かったです」

「……ひまりちゃんは?」

「え?」


 よく聞こえなくて聞き返したけれど、旭さんは「いや」と首を横に振り「初恋だったんだよね」と静かにこぼした。冬の痛いほどの寒さの中にスッと同化してしまうほど、その声は凛としていた。

 そしてそのワードを聞いてわたしの初恋はいつだったかな、と少し考えた。幼稚園のときに転園してきたカズヒロくんをかっこいいと思ったことは覚えている。だけどそれは初恋と呼べるような代物ではなかった。いわば初恋の先駆けだ。

 それなら小学6年生のときに付き合ったたっくんかな?付き合ったといっても友達に毛が生えた程度のおままごとみたいなものだったけれど。

 なんだか思い返してみれば全てが褪せてしまっているようだ。その時のわたしは間違いなく本気で真剣に恋をしていたはずなのに。

 初恋だったんだよね、と言った旭さんはわたしの胸が苦しくなるほどに美しかった。

 

「初恋は実らないほうがいいって……あれなんでですかね?」


 ふと思ったことをそのまま声に乗せれば、旭さんは「うーん」と一考した後、「思い出は綺麗なままでってやつじゃない?」と自分の答えに納得するように頷いた。わたしはその答えを聞いて、それは初恋に限らず、恋全般に言えることではないのかな、と考える。


 実らなかった恋はそんなにも綺麗なまま心に残ってくれるのだろうか。それならのぞみさんも旭さんの中でずっとキラキラした存在で居続けられるわけだ。それはなんだかとても魅力的で、同時にとてもうらやましくもある。

 だけど、それはあくまで自分が想われる立場のときのみだ。


「なるほど。でもわたしは汚くてもいいから好きな人のそばにいたいです」


 それがわたしの本音であった。好きな人が心の中で綺麗な思い出になるより、汚くてドロドロとしたヘドロを煮詰めた様な思い出でもいいから、この手に欲しい。その存在を直に感じ、愛の言葉を囁いて、わたしを特別だと猫可愛がりしてくれたなら……それが最上ではないの?

 だからかな。こんなことを言っているからわたしの恋は全て褪せてしまっているのだろうか。


「そうだね。僕もそう思うよ」


 その優しさを含んだ声にハッとする。わたしは今かなりデリカシーのない言葉を旭さんに投げつけてしまった。そばにいたくてもそれを許されなかったから実らなかったのだ。

 

「ごめんなさい、わたし……」

「大丈夫だよ。そろそろ帰ろっか」


 差し出された手を遠慮がちに握れば、旭さんは強く握り返してくれた。そしてにこりと微笑む。

 いつかこの恋に終わりがくるとして、この瞬間も全て今までと同じように色褪せてしまうのだろうか。それはいやだな……。それなら実らないほうがよかったのかも。こんな考えも酷く残酷なものなのかな。

 

「次は旅行の話をしようね」


 別れ際の言葉に笑顔で頷けば、旭さんは安心したかのように微笑みを返してくれた。それを見て、涼しげな目元が優しく細められるこの表情がなによりも好きだな、と思った。




 家に帰ってぬるめのシャワーを浴びる。冷えた体にはこのぐらいの温度がちょうどよかった。それでも手や足の先のビリビリと痺れるような感覚に余程寒かったんだな、と改めて冬の公園の威力を実感した。

 いの一番にお風呂に入ったものだから旭さんにお礼のメッセージも送れていない。湯船に浸かって一人ぬくぬくと至福を享受しながら、まだ寒空の下にいるであろう旭さんに連絡を入れた。


 ダラダラと気になる動画を見ながら、そろそろ上がろうかな、でももうちょっと浸かってようかな、と本当にどうでもいいことを考えていると、スマホがメッセージを受信した。恐らく旭さんからだろう。そう思いながら開いたメッセージアプリを見て目が点になる。


「朔ちゃん……」


 思わず送信者の名前を呟いて、スマホに顔を近づけながら目を凝らした。うん、やっぱりどこからどう見ても朔ちゃんだ。

 約1ヶ月ぶりの対面の後にメッセージまでくれるなんて。もう絶対に連絡はくれないと思っていたのだ。

 なんと書かれているのだろう。開くのがなんだか怖い。しかし開かないわけにもいかない。恐る恐るきたメッセージを開けば、そこには以前と変わらない調子の朔ちゃんがいた。


『明日の昼過ぎに俺んちに来て』


 用件だけが簡潔に書かれたメッセージを見て力が抜ける。足りない……色々と足りなさすぎる。いや、そのメッセージを読めばわたしがどうすればいいのかはすぐに分かるよ?明日の昼過ぎに朔ちゃんちに行けばいいんだよね?めっちゃ伝わってきたわ。

 ……いや、なんで?なんのために?肝心のそこには一切触れてこないのが朔ちゃんらしい。


 スマホに向かって思わず「意味分かんない」と呟いてしまう。もちろんスマホからはなんの返事もない。

 意味分かんないだなんて言いつつ、朔ちゃんへはちゃっかり『わかったー』と返信してしまうわたし自身のこともよく分かんないけれど。

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