ひまりちゃんは旭くんを愛してた

4

 待ち合わせの駅前で、旭さんが開口一番「ごめん!」と謝罪をしてきたので、何事か?と面食らった。なにか謝られるようなことをされただろうか、と考えてみたが、全く思い当たらない。


「なんのことです?」

「いや、詳しくは部屋に入ってから話すよ」


 えぇー、めっちゃ気になる言い方するじゃん。と思ったが、旭さんがそう言うのだから仕方ない。わたしは意向に従い部屋に着くまでは大人しく雑談に花を咲かせた。




 部屋に入るや否や「教えてください」と言えば、旭さんは「実はのぞみに会いに言ったんだ」と申し訳なさそうに眉を下げた。

 その事実に眉を顰めたが、旭さんの「もうすぐ引っ越すって言うから、最後に顔を見たくて」と言った切なげな表情を見れば、責められるはずなどなかった。


「会えてよかったですね」

「……怒らないの?」

「怒られたかったんですか?」

「や、そういうわけじゃないけど」


 ん?2人して首を傾げながらお互いの真意を探ろうと見つめ合って、それが急におかしくなる。同時に吹き出し笑い合えば、旭さんの手のひらが頬を包んだ。親指で頬を撫でるように優しく往復され、心地良さに目を閉じる。これが幸せだというならそうなのだろう。

 しかしその幸せに浸かってしまいたい気持ちを瞼の裏で朔ちゃんが邪魔をする。強烈な青を引き連れて、朔ちゃんが「俺にかまうな」と手を伸ばすのだ。変な朔ちゃん。言ってることとやってることが真逆なんだもの。

 薄っすらと目を開けると旭さんと視線が交わった。


「キスしたいから閉じててよ」


 恥ずかしそうに言われた言葉に従い目を閉じれば、甘い空気が2人の間に横たわる。しかしそれは旭さんのスマホにかかってきた着信によりいとも簡単に壊されてしまった。

 

 最初は無視しようとしていたのだ。しかしあまりの長さと、切れても再びかかってる着信に重要な用件かも、と「出てください」とわたしが促した。それに「ごめん」と断りを入れ、画面を見た旭さんが「母親からだ」と呟く。

 お母さんからの繰り返される着信はどうしてこうも嫌な予感がするのだろう。旭さんも同じように感じたのか、「もしもし」と発した言葉はどこか沈んでいた。


『朔が、朔が血だらけなのー』


 わたしにまで聞こえてきたその声に心臓がどくりと音を立てる。旭さんの顔も一瞬で焦ったものに変わり「え、ちょっと落ち着いて。どういうことなの?」と上擦った声で問いかけた。

 それから少し話をして落ち着きを取り戻した旭さんは「分かった……今から行くよ」という言葉を最後に電話を切った。

 わたしの顔も余程不安げだったのだろう。わたしの顔を見るなり、旭さんは「朔が怪我したって。本人はたいしたことないって言ってるみたいだけど」と優しく背中をさすってくれた。


「でも血だらけって……」

「あぁ。母さん大袈裟だから。後ろで朔が『平気だ』って叫んでたよ」


 それを思い返して、あははと笑っている旭さんを見てもわたしはうまく笑い返せない。怪我ってどれほどなんだろう。お母さんが焦って旭さんに助けを求めるぐらいなんだから、よっぽどじゃないのかな。またあんな風に顔に大きな痣をつくるような喧嘩をしたのだろうか。それとも事故……?

 尚も不安に揺れるわたしの瞳を覗き込んだ旭さんが「そんなに心配なら一緒においで」と微笑んだ。




 旭さんと朔ちゃんの実家は所謂高級住宅街と呼ばれる所にあった。わたしの自宅から車で20分ほどのところに位置するここから小学5年生の朔ちゃんは家出してきたのだなぁ、と考えるだけで胸が苦しくなる。


「父さんは出張でいないからね」


 旭さんは「だから緊張しなくていいよ」と言いたいのだろうが、今さらながら勢いで「ついていきます!」と言ったことを後悔していた。だって完全に部外者じゃん……!しかし今さら帰るとは言えず、しずしずと旭さんの後に続く。

 持っていたキーケースから実家の鍵を取り出した旭さんは、インターホンを押すことはせずにそのまま玄関に入った。

 玄関の扉が開く音が聞こえたのだろう。旭さんのお母さんは待ってましたと言わんばかりのスピードで現れ、「夜に呼び出してごめんねぇ」と今にも泣き出しそうな声を上げた。そして旭さんの後ろに隠れるようにして立っているわたしをみとめ、「あら?」と首を傾げた。


「あ、あの……」

「なにも言わずにごめん。彼女、朔の友達なんだ。すごく心配してたから僕が無理言って連れて来た」

「そうなの。ほんとごめんなさいね。さ、上がって」


 旭さんからの流れるようなフォローが本当にありがたく、心が一気に軽くなった。スリッパを出してくれたお母さんに「ありがとうございます」と頭を下げ、改めて自己紹介をする。


「突然伺ってしまいすみません。月島ひまりと申します」

「ひまりちゃんね。旭と朔の母です。今部屋にいるから、ちょっと声かけてくるわね」


 パタパタとスリッパを鳴らしながら走り去る背中を見て、ふぅと安堵の息を吐いた。まさかこんなタイミングで旭さんのお母さんに会うとは想像すらしていなかったのだ。


 旭さんに玄関を上がった脇に設置されている手洗い場を案内され、そこで手洗いを済ませたタイミングで再びお母さんが現れた。「朔の部屋に来てもらえる?」と言ったお母さんの声に「はい」と返し、旭さんの後をついて行く。

 朔ちゃんの部屋の前で旭さんは3回ノックをし「入るよ」と簡潔に声をかけた。そして朔ちゃんの返事を待たずにドアノブに手をかけ扉を開ける。

 壁際に置かれたベッドに寝転んでいる朔ちゃんは、こちらに目も向けることもしなければ、なにも発しない。


「大丈夫か?」

「……うん。母さんが大袈裟に騒いだだけだから、もう帰っていーよ」


 いつもより柔らかい口調の朔ちゃんは旭さんを見るついでに、わたしのこともちらりと見た。そして「ひまりも帰れ」とわたしにだけ冷たい目を向けたのだ。

 

 朔ちゃんの怪我は血だらけと聞いていた割には軽そうだったが、瞼の上にガーゼが貼られているところを見るにそこを切ったのだろう。目は大丈夫なのかな……。わたしが投げた不安げな視線から逃れるように、朔ちゃんはふいと顔を背けた。


「朔……わざわざ来てくれたのにそんな言い方はないでしょ?」


 お母さんが朔ちゃんの態度を嗜めるが、当の本人はどこ吹く風だ。

 旭さんが「また絡まれたのか?」と朔ちゃんと目線を合わせた。朔ちゃんはそれに頷き、肯定の意を伝える。また、ということは以前にもあったのだろう。それは恐らく、旭さんの部屋で会ったときに目立っていた青あざをつけられた出来事を指しているのだと理解した。


「だから、その目立つ青い髪と顔のピアスをやめなさいって言ってるのよ」


 お母さんが言うように朔ちゃんの青い頭は目立つ。いつから染めたのかは知らないがお母さんの言葉を聞くに、絡まれ出したのは髪を染め、ピアスを開けた頃からなのだろう。

 お母さんのその言葉に朔ちゃんは一瞬わたしのことを見た。そして「これは……」と口にし、言い淀んだのだ。その視線の意味や、言葉の続きが理解できず首を傾けたわたしを見て、朔ちゃんは悲しげに目を細めた。それはまるで遠い昔を思い返しているような瞳であった。

 それを見て切なくなるのは、できることなら時間を戻したい、と到底無理な願いを抱いているように感じたからだろうか。


「いや……そうだな、染め直すよ」


 朔ちゃんはバカバカしいとでも言うように言葉を吐き捨てた。それを聞き、お母さんと旭さんは安心したかのように笑う。この場でわたしだけが取り残されたような心地だ。

 俯いた朔ちゃんの、恐らく最後になるだろう青い髪がわたしを誘うようにハラハラと流れ、朔ちゃんの瞳を隠した。





 その後すぐに朔ちゃんの部屋を出たわたしたちに、お見送りをしてくれたお母さんは「ごめんね」と謝った。


「お父さんが出張中だとつい旭に頼っちゃって……」

「大丈夫だよ。というか呼んでくれてよかったよ。病院は明日?」

「うん。本人は行かなくてもいいって言ってるんだけどねぇ」


 そういうわけにもいかないでしょ?とお母さんは困ったように眉間に皺を寄せた。旭さんはそれに同調し、「病院行ったらなんて言われたか教えてよ。心配だし」と付け加え実家を後にした。

 帰り際にお母さんがわたしに「朔のことよろしくね」と言ってくれたが、わたしは曖昧に微笑むことしか出来なかった。だってわたしがよろしくしなきゃいけないのは、旭さんなのだ。

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