ひまりちゃんは旭くんを愛してた
3
声も出せず体も動かなくなったわたしに、「お前が行かないなら、俺が帰るわ」と言った朔ちゃんは宣言通りに公園を後にした。
その背中が見えなくなった頃、あ、旭さんに会いに行こう、と時間も、旭さんの気持ちや都合も考えず電車に乗った。電車に揺られながら旭さんに『今から行きます』となんとも勝手なメッセージを送る。わたしならキレてるぞ、と思うが、旭さんは『夜遅いから駅に着く前に連絡して。迎えに行くよ』だなんて。ほんとに自分の矮小さがほとほと嫌になる。
駅に着けば旭さんが改札の向こう側でわたしに手を振った。1ヶ月ほど前に酔っ払い旭さんに呼び出されたときと同じシチュエーションにどきりとする。あの時はこんな風に付き合えるだなんて想像もしていなかった。人生なにがきっかけでどう転ぶかなんて分かんないもんだな。
「ほんとごめんなさい。旭さんのことめっちゃ振り回しちゃって」
「いーよいーよ。よっぽどのことがあったんでしょ?」
手を繋ぎながら旭さんの住むマンションまでの道を歩いている時にそう聞かれ、わたしはどこまで言っていいのかと頭を悩ませた。
「なに?朔に告白でもされた?」
すでに確信を得ているようなスムーズな話の流れに、事前に朔ちゃんから聞いたのかな?と思ってしまう。実際はそんなこと聞いているはずはないと思うんだけど……。
「う、うん?もしかして朔ちゃんから聞きました?」
遠回しの肯定に、旭さんは苦笑いと共に「やっぱりなぁ」と呟いた。そして「聞いてないよ」と首を振ったのだ。
そうだよね。朔ちゃんはわざわざ言いそうにないもん。じゃあ、なんで分かったんだろ。
「わたし、分かりやすかったですか?」
「いや、恋人の勘ってより、兄貴の勘ってやつかな?朔の方が分かり易いよ」
なるほど。朔ちゃんが分かり易いのは頷ける。って、そんな朔ちゃんの好意に全く気付いてなかったわたしが言うセリフじゃないけれど。
「で、どうやって断ったの?」
「……え?」
「えっ?……まさか断ってないの?」
信じらんないんだけど、と旭さんの表情に責められて肩身が狭くなる。いつの間にか着いていたマンションのエントランスで、「や、断ったと思うんですけど……」となんとも曖昧な返事をすることしかできなかった。
自分のコートをハンガーに掛けるよりわたしのコートを優先してくれる旭さんの手元を見ながら、わたしは依然として肩身の狭い思いをしている。
「詳しく話してよ」
自分のコートもハンガーに掛け、2人で手を洗い終えると早速旭さんは話の続きを促した。詳しくと言われても、告白をされて……え?告白ってなんなの、そもそも。
「好きです、付き合ってください」という関係の進展を求めるものをそういうのなら、朔ちゃんのあれは告白でもないことになる。
「うー……うーん。好きって言われただけなんです。何も望まないって……だから……」
わたしは勢いに任せて思ってもいない「嫌い」だなんて言葉を吐いて、それなのに朔ちゃんはそっちの方がいいって。
好きになってくれる?って聞かれて、わたしなにも言えなくて……なんて答えれば良かったんだろう。なにが正解だったんだろう。
「ひまりちゃん?」
「……っあ、ごめんなさい。だから断るとか、そんなんじゃなくて……朔ちゃん、いつからわたしのこと好きでいてくれてたんでしょう?」
それを旭さんに聞いても分かるはずなどないのに。当たり前に旭さんも困って、眉を下げながら「さぁ?」と返すのみだった。
「分かった。ちゃんと分かったよ」
そう言って、旭さんはわたしを抱き締めてくれた。だけどわたしの心はふわふわと宙に浮いている。
旭さんは分かったと言ったけれど、わたしは分からないことばかりだ。
この日、わたしは初めてセックス無しの夜を旭さんと過ごした。
▼
思っていたよりずっと引っ越しの準備は進んでいるみたいだ。部屋に積み上がった段ボールを見て感心する。抜けてるようでしっかり者、かと思えばどこか抜けてる。そんな彼女を好きになったのだ。
「結構進んでるじゃん」
「に見えるでしょ?けどまだまだ全然でめっちゃ焦ってるから!」
それは荷造りをしている必死の形相を見れば分かる。いそいそと動くのぞみを尻目に僕は空いたスペースに腰を下ろした。
「朔、寂しがってた?」
「うん。この前の電話で『寂しい』って言ってくれた。ってそうだ、旭たち喧嘩してるの?」
「いやー、喧嘩……なのかな?朔が一方的に怒ってる。しかももう3ヶ月も!」
素直にそう言えば、忙しなく動いていた手を止めたのぞみはこちらを見てため息を吐いた。それがなんだか責められているようで、心外だとばかりに僕もため息を吐き返す。
「朔が理不尽に怒るわけないでしょ?」
「……のぞみって、昔から朔贔屓だよね?」
子供のような嫉妬心を思い出し、彼女のことを好きだった頃に一気にかえってしまう。好きだった気持ちを懐かしむにはまだ時間が足りなさ過ぎる。
「まだそんなこと言ってるの?朔より旭のことの方がずっと心配だよ」
その言い草は親が子供に向けるそれだった。今さらになってまで、男として見られていなかったことをまざまざと見せつけなくてもいいのに。
「僕もしっかりしてると思うけどー?」
「そうじゃなくて……旭は無理に冷たく振る舞って、人との間に線引きするから」
そんな風に思われていたのか。今になって知らされたのぞみの心中に驚くと共に、確かにこれじゃあ恋愛対象に見てもらえるわけないか、と妙に納得した。昔から今までずっと、のぞみの中の僕は幼い旭くんだったわけだ。
「そうかな?そんなことしてる?」
「嘘。自分でも分かってるくせに。受け入れてくれた人からもし拒絶されたら、って怖がってる」
のぞみはここぞとばかりに思っていたことをぶつけてくる。こうもズバズバと的確なことを言われると、羞恥プレイみたいだ。恥ずかしさに耐えかねて、もうやめてくれ、と言おうとした時、のぞみは「怖くないんだよ」と僕を見た。
「え?」
「受け入れてもらうことは怖いことじゃないよ」
聞いたことのあるセリフに思わず笑ってしまう。突然笑い出した僕を、ついにおかしくなったか?という心配そうな瞳で見つめるのぞみに「それ、この前言われたわ」と返した。
「ひまりちゃんに?」
まさかすんなりと当てられるとは思っていなかったけれど。たった一度しか会っていないくせに、のぞみはやはりなかなか鋭い。
僕が「そうだよ」と頷けば、のぞみは嬉しそうに顔を綻ばせ「好きなの?」なんて、まるで中学生や高校生の会話だ。
「さぁ?でも大切だなって、傷つけたくないなって思うよ」
僕の答えを聞いたのぞみはより一層幸せそうに笑った。その笑顔を見て、抱えていた気持ちがすっきりと消えていくのを感じた。
「てか何しに来たの?突っ立ってるだけじゃん!手伝ってよ」
「やだよ、冷やかしにきただけだから。……幸せになりなね」
意地悪く笑った僕に、「なんなのよ?!」と文句を言いながらものぞみはやはり幸せそうだ。
ずっと好きだった。気付いたときには好きが当たり前すぎて、もうどうしようもなくなっていた。拗らせすぎて伝えることもできなかったけれど。
本当はこの手で幸せにしたかったし、一番近くにいたかった。だけどもう大丈夫だ。誰の隣でもいい。のぞみが笑っていられたらそれでいい。
僕の心からの祝福に、のぞみは照れながら「ありがとう。旭もね」と、僕の幸せを願ってくれた。
会いたい。いつまで経っても敬語が抜けない彼女に愛を伝えたら、どんな反応をしてくれるだろうか。
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