ひまりちゃんは旭くんを愛してた

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 今日は自由登校前の最後の登校日である。センター試験を控えている受験組は対策や準備、注意点などの最終確認のために特別室に集められていた。なので教室には就職や推薦などで卒業後の進路がすでに決定しており、センター試験を受けない生徒しかいない。専門学校へ進学するわたしもそこに入っており、自習とは名ばかりの騒がしい教室で一人スマホをいじっていた。


 画面に映し出されているのは着信履歴だ。つい2日前の夜にかかってきた朔ちゃんからの電話は、出ようと思った途端に切れてしまった。すぐに折り返したが朔ちゃんの声は聞こえないまま、『ただいま電話に出ることができません』とアナウンスが流れるのみだった。


 朔ちゃんから再び折り返してこないということは、きっと急を要するような用事ではなかったのだろう。もしかして世間話をしたいだけだったのかもしれない。

 電話に出ないと分かるや否や『どうしたの?なにかあった?』と送ったメッセージにも返信がないことを考えると、間違ってかけてしまった可能性も否定できなかった。


「ねぇ、明後日買い物付き合ってよ」


 わたしが、もう一度メッセージを送ってみようかな?とアプリを立ち上げたとき、前の席で漫画を読んでいたエマがこちらを振り返った。


「買い物?いいね!服?」

「そうそう!狙ってたのが明後日からセールになるんだぁ」


 エマもわたしと同様進路がすでに決定している。どうやら年上の彼氏と旅行に行くときの服が欲しいようだった。


「旅行かぁ……いいなぁ」

「ひまりも行けばいいじゃん!」

「わたしバイトしてないし、そんなお金ないもん」

「彼氏お金持ってるんでしょ?出してもらいなよ」


 エマは簡単にそう言うけれど、そもそも旭さんのお金の出所は不明なのだ。バイトをしていない所を見るに、もしかしたら、というか高確率でご両親からお小遣いとして渡されている気がする。

 旭さんが自分で稼いだお金でも申し訳ないのに、ご両親からのお小遣いだとすればそんなの申し訳ないを通り越して、それに頼ることはわたしの良心が許せなかった。って、クリスマスディナーをご馳走してもらったわたしが言えることではないが。





「ってことで、明後日はエマと買い物に行くことになりました」

『旅行かぁ……僕たちも行く?』


 夜の旭さんとの電話の中で直近の予定を聞かれたので、彼氏と旅行に行く友達の服選びに付き合うことを伝えれば、そんな風に誘ってきた。旭さんも簡単に言うもんだから困ってしまう。そりゃわたしだって行きたいよ?だけど現実問題難しいのだ。両親にはエマとの卒業旅行の費用を出してもらうことになっている。なのでこれ以上頼めるはずもなかった。


「行きたいですけど、お金がぁ……。わたしバイトしようかな?」


 バイトは専門学校の授業に慣れた頃に始めようと考えていたのだが、短期のバイトを入学するまでしてみてもいいかもしれないと思い始めた。それなら春休みまでに旅費を稼ぐことができそうだ。


『僕が出すよ?』

「いえ、申し訳ないです。というか、旭さんもバイトしてないですよね?」

『まぁそうだね。バイトはしてないねぇ』


 やっぱり。それなら予想通り、お金の出所は旭さんのご両親なわけだ。絶対にダメだ。旅行に行くならわたしがバイトしよう。


『あ、分かった!さすがに旅費は親のお金で払わないよ。僕が自分で稼いだものだから』


 だから気兼ねしないでね、と付け足した旭さんの声がわたしを甘やかす。それなら行きたいと軽々しく承諾してしまいそうな自身を戒めていると、『僕が一緒に行きたいんだよ。断らないでね』とさらに甘やかされて、わたしは遠慮する気持ちを手放した。


「嬉しい!ありがとうございます。すーごく楽しみ」


 わたしの弾む声に旭さんが思わずと言ったように笑みを漏らす。


『じゃあ、明後日お買い物終わったら僕んちにおいでよ。日程と場所を決めよう』


 それに素直に「はい」と返事をして電話を終えた。

 行くと決めてしまえば頭の中は旅行のことでいっぱいになる。エマとは沖縄に行くので、旭さんとは逆方向の北海道とか、海外だと韓国もいいかも。ウキウキとしながらお風呂に入り、その日はすぐに眠りについた。

 




 買い物が終わってちょうどおやつどき、わたしとエマは休憩がてらカフェで限定のチョコドリンクを飲んでいた。もうすぐバレンタインだからだろうか、それとも冬に食べるチョコレートは最高に美味しいからだろうか。実際のところは分からないが、そこかしこでチョコレートドリンクが発売されている。


「よかったじゃん!なんだかんだ幸せそうだし、安心したよ」


 旅行行くことになったんだ、と言ったわたしにエマはそう返した。元々旭さんに対して良くない印象を抱いていたエマも、わたしたちが彼氏彼女の関係になってからは応援してくれている。


「てか、バイトしてないのにお金稼いでるってどゆこと?」

「詳しく聞いてないからわたしも分かんない。株?とか?かな?」


 悪いことをして得たお金でなければそれでいいのだ。旭さんに限ってそんなことはないと言い切れる。セフレ作りまくりの感情欠落人間であることは否定できないが、付き合ってからはとても大事にしてくれているし、なによりそこ以外の倫理観に関しては信用しているのだ。


「タイミングがあれば、この後会った時にでも聞いてみようかな」

「そうしなよ。めっちゃ気になる」


 わたしよりエマの方が気にしてるみたいで、なんだかおかしい。それから卒業旅行先の沖縄でのことを話し合って、エマとは別れた。


 16時を回っていたので旭さんに『今から行きます』とメッセージを送り終え、それを鞄にしまおうとした時、手の中でスマホが震え出した。

 もう旭さんから返信があったのかな?と思ったが、メッセージにしては長い震えに電話だと悟る。急いで画面を見れば、そこには朔ちゃんの名前が映し出されていた。

 電話を取ろうとしてスマホを落としそうになったぐらいには焦っている。いったい何にそんなに焦ることがあるのか。全く思い当たらないけれど……うん、ほんとに。


「も、もしもし!?朔ちゃん?」

『……ごめん』

「ん?なんて?」

『……会いたい』


 続け様に『公園で待ってる』と告げ、電話は突然切れた。通話時間の最短記録を更新したし、きっとこれからも破られることはないだろう。用件だけを一方的に告げられ、わたしの心は置き去りのままだ。

 いったいなんなの?会いたいって、公園で待ってるって……わたしこれから旭さんちに行く約束があるんだから。


『用事があるから公園には行けない。話したいことがあるなら電話しよう』

 

 そうメッセージを作成して、わたしは小走りで駆け出した。






「ほんとなんなの」


 その言葉はほとんど自分に対して向けたものだった。なんでここにいるんだろ。朔ちゃんの青い髪が街灯にさらされ鈍く光っている。


「なんで来たんだよ」

「はぁー!?」


 なんでわざわざ来てあげたのにそんなことを言われなきゃいけないのか。しかも旭さんとの約束を破ってまで来てあげたのに!

 思わず出た強い語気も仕方ないと納得してしまうほどの朔ちゃんの酷い言い草に、思わず顔を顰める。


「朔ちゃんが会いたいって、公園で待ってるって言ったんじゃん」


 朔ちゃんは大きなため息を吐き、わたしの怒りから逃れるように俯く。そして「ふらふらしてんじゃねーよ」と呟いたのだ。

 ふらふら?それってわたしに言ってる?意味が分からないんだけど。謂れのないことで責められて、いよいよ本格的に腹が立ってきた。


「ふらふらってなによ?」


 わたしのどこがふらふらしていると言うのか。自慢じゃないけど、わたしは旭さんに一途なんだけど!?誰かと勘違いしてんじゃないの?


「ふらふらしてるだろーが。兄ちゃんだけみてろよ」

「どこが?わたしは旭さんだけを一途に想ってるけど?」

「じゃあ、今なんでここにいる?会いたいって言われてのこのこ会いに来たのはお前だろーが」


 それは、それは、あんたが切羽詰まった声で頼むからじゃん!!何かあったのかって心配になったんだよ。優しさじゃんか。朔ちゃんにはいろいろと助けてもらったから、それを少しでも返せればって……。別にふらふらなんてしてない。下心なんて少しもないし、朔ちゃんのことは本当に可愛い弟みたいな……。

 次から次へと言い訳じみた言葉が浮かぶのに、それらが口から出ることは最後までなかった。優しさを踏み躙られた心地になって、悔しいのか悲しいのか、もうなんだかよく分からない感情に支配される。少しでも気を抜いてしまえば溢れ出そうな涙を、歯を食いしばって必死に堰き止めていた。


「ま、俺が言えたことじゃねーけど」


 なにがおかしいのか。呆れたように笑った朔ちゃんにまた苛立ちが沸き起こる。だけど口を開こうものなら泣いてしまいそうで、悔しいけどなにも言い返せない。


「なぁ、頼むから兄ちゃんだけみててよ。じゃないと俺が諦めらんなくなるだろ?」

「……え?」


 ぽとり。案の定涙が落ちたけれど、そんなことは今取り上げるべき問題ではない。

 今朔ちゃんはなんて言った?わたしのことを諦められないと言ったの?

 困惑を隠し切れず、険しい顔をして下唇を噛んだわたしに、朔ちゃんは困ったように眉を下げた。そして今にも泣き出しそうな笑顔を見せたのだ。

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