朔ちゃんは悲しみを隠してる

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 付き合ったことを報告した日から、朔ちゃんからの連絡がパタリと途絶えた。わたしたちは友達だと思っていた。だからこそ彼氏ができたという事実だけで無くなってしまう繋がりが悲しかった。

 だけどそれも仕方のないことなのかな。お兄ちゃんの彼女と個人的に連絡を取ることは、わたしが感じているよりもずっと躊躇われるものなのだろうか。旭さんと付き合うよりも前から友達だったのに。


 旭さんとの付き合いは始まったばかりなので、特に波風が立つことなく順調だった。わたしが想像していたよりずっと、旭さんが一緒にいたがることには驚いたが。


 今日はクリスマスイブデートだ。旭さんが「定番だけど、イルミネーション観に行く?」と誘ってくれたので、今日は車に乗って少し遠出をしていた。

 道中にコンビニで飲み物とお菓子を買って、今流行りの歌を流して、旭さんが運転する車は高速を走っている。彼氏の運転する車に乗るなんて初めてのことに少し緊張しながらも、大学生にもなるとこんなデートも出来るのだな、とときめいた。

 以前友達が「付き合うなら絶対年上!」と熱弁していた時には、そうかー?と同意できなかったが、今なら大いに賛同できそうだ。同級生や年下では行けないところに連れて行ってくれる、しかも車という手段を使って。それはかなり魅力的だった。

 

 さらに運転をする男の人ってかっこいいんだなという事実に今更ながら気づく。今まで知らなかったというか、知る機会がなかったのだが。

 だけどそう思うのは旭さんだからだろうか。彼の横顔はとても美しかった。通った鼻筋はもちろん、締まったフェイスラインやつんとした顎、そして控えめに主張する喉仏。真剣な眼差しはいつものように凛々しく、談笑に時折り下がる目尻が柔らかかった。いつもは照れてしまって見つめられない横顔を、会話に託けて思う存分堪能できる。ドライブデートって最高だな?!


「なに?そんな見られると照れるんだけど……!」


 バレてないと思っていたが、盛大に気づかれていたようだ。「気づいてたんですか?」と恥ずかしそうに伺えば、「そりゃ気づくよ」と笑われた。運転中も前ばかり見ているわけではないのか。それとも熱い視線を送りすぎていただろうか。


「朔ちゃん元気ですか?」


 あまりの恥ずかしさに咄嗟に新しい話題を出せば、旭さんは「さぁ?まぁ元気なんじゃない?」となんとも曖昧な返事をした。

 それを聞いて話題選びに失敗したことを悟る。結局あの喧嘩?から仲直りしていないのかもしれない。


「僕よりひまりちゃんの方が知ってるんじゃないの?朔のこと」

「……いえ、最近連絡こなくなっちゃって」

「ふぅん。ね、そろそろ敬語やめない?前もちらっと言ったけど」


 朔ちゃんの話題を早々に切り上げた旭さんは、前を向いたまま話題を変えた。それは付き合った翌日にも言われたことだった。しかし今の今までずっと敬語を使ってしまっている。


「う、うん。なかなか慣れなくて……」


 これでも敬語の頻度はだいぶ下がったと思う。旭さんは「無理にとは言わないよ。そんなところが良いと思ったんだし」と緩く口角を上げた。

 旭さんの口からわたし自身のことを聞くのはこれが初めてだった。"そんなところ"それはただ敬語を使うという額面通りの言葉ではないだろう。旭さんは明確に人と心の距離を取りたがっている。自分の心に踏み入られないようにしているのだ。

 わたしは数多の女の子の中で、旭さんにとって一番心地良い距離を取る人物だったのかな、と漠然と思った。だから彼はわたしを選んだのだろう。




 まるで雪が降り積もったかのような白さと煌めきを纏った木々のライトアップに「すごい……」と感嘆の声を漏らした。


「すごいねー、僕イルミネーションって初めて見たよ」


 寒さに肩をすぼめながら、旭さんは意外な一言を口にした。意外と言うのは失礼な気がして口をつぐんだけれど、本音はその一言だった。

 わたしが「嬉しいです、一緒に来れて」と返せば「寒い寒い」と戯れるように身を寄せてきたので、そのまま2人で歩き出す。その距離は歩きにくいことこの上ないものだったが、無邪気に笑う旭さんが可愛くて文句を言う気も起きなかった。


 ここは春になれば桜が咲き誇る、いわゆる桜並木と呼ばれる場所で、毎年11月頃からはイルミネーションが施されていた。

 歩いても歩いても、色を変えながらどこまでも続くイルミネーション並木がクリスマスの雰囲気を盛り上げてくれる。さらにどこを見てもカップルしか見当たらないことが、わたしを大胆にさせた。


「旭さん、好きです」

「……え、突然どうしたの?」


 脈絡無く告げられた言葉に、旭さんは戸惑っているような、照れているような反応を見せた。


「いえ、今急に言いたくなって」


 今言わなければ、この好きの気持ちがわたしの中で溢れ返って爆発してしまう心地になったのだ。我に返った途端に恥ずかしさが込み上げてきた。「忘れてください」と旭さんの顔を見上げれば、「ぜんぶ覚えてるよ」と泣きたくなるような笑みを見せたのだ。

 

 体だけを繋げていたときにも優しい眼差しだと感じていたが、その比ではなかった。吸い込まれて溶けてしまいそう。そう感じた旭さんの瞳は、どのイルミネーションよりも煌めいてみえた。




 イルミネーションを充分堪能したわたしたちは旭さんの車に乗り込み、予約をしてくれたというレストランへ向かっている。


「綺麗だったけど、まじで寒かった……!」


 車に乗ってある程度の時間は経ったが、旭さんの体は温まっていないみたいだ。しきりに寒いと言っていたことも考えると、随分と寒さに弱いようだった。

 そんな姿を見て、ふとあの日の朔ちゃんを思い出す。朔ちゃんが公園で泣いていたのは春だったのだが、なぜか彼は震えていたのだ。今となってはその日が春にしては寒かったのかどうか覚えていないが、朔ちゃんは震えながら泣いていた。


「……朔ちゃんから聞いたことあります?わたしと朔ちゃんが昔、一度会ってること」

「……え、え?昔ってどれぐらい前のこと言ってんの?」


 旭さんからすれば、なぜこのタイミングで!?という話の内容だったと思う。その証拠に彼の眉間には深い皺が寄っている。し、普段の穏やかな口調ではなくなっていた。

 続きを話そうとしたわたしを遮り、「落ち着いたとこで話そう」と提案してきた旭さんは、レストランへと車を急がせた。


 


 着いたレストランでは鉄板焼きのコースを予約してくれていた。わたしは未成年だし、旭さんは運転があるのでソフトドリンクで乾杯し、一品ずつ運ばれてくる料理を味わう。

 黒毛和牛のステーキがメインなのだが、脇を固めているのがフォワグラの茶碗蒸しや伊勢海老なんていう高級食材ばかりなのだ。初めから終わりまでずっと感動しっぱなしで「美味しいです」「これも美味しいです」しか言えなかった。

 そんなわたしを旭さんは満足げに見ては「よかった」と目尻を下げるのだった。



 結局レストランで朔ちゃんの話をすることはなかった。旭さんから切り出してくることがなかったし、そうなれば話すタイミングではない気がしたからだ。

 

「ごちそうさまでした。ほんっとーに美味しかったです。感動しました」


 車に乗り込み、エンジンをかけ終えた旭さんに向かって改めてお礼を伝える。旭さんは「そんな喜んでもらえるなんて、連れてきて良かったよ」と嬉しそうに微笑んだ。

 お腹も満腹だし心も満たされている。これ以上の幸せってないのでは?と本気で思ってしまうほどの多幸感に包まれているわたしに、「僕んち来るよね?」とさらなる幸せの予感が舞い降りてきた。



 わたしがリビングのソファに腰を落ち着けるや否や、旭さんは「で、朔とはいつ会ってたの?」と待ちきれないとばかりに口にした。


「わたしが中学1年生のときです」

「ちゅ、中1……思っていたよりずっと前だったよ」


 旭さんはどこか安心したように笑い、そして続け様に「どこで会ったの?」と聞いてきた。


「公園です。近所の。朔ちゃんが家出?した時にたまたまわたしが見つけたんです」


 わたしが当時を思い出し、くすりと微笑めば、旭さんも「そんなことあったなぁ」と懐かしむように目を細めた。


「なんで家出したか聞いた?」

「その時の朔ちゃんからは聞いたと思うんですけど、はっきりとは覚えてなくて……ただすごく泣いてたなってことぐらいしか」

「まぁ、そうだよね。朔は、両親が僕のことを贔屓してるって思ってるんだよ」


 その言い方は今でもそう思っていると捉えられるものだった。わたしが頷くと、旭さんは深く息を吸い込み「『俺は兄ちゃんにはなれない』ってよく泣いてた」と柔く笑った。

 朔ちゃんは旭さんにコンプレックスを抱いているのだろうか。好きだという欲目を抜きにしても旭さんは素敵な人だと思う。見た目も学歴も、人格……は完璧ではないけれど、表面上は穏やかで、だけど芯がある。

 そりゃそんな人と比べてしまえば「俺なんて……」と思ってしまう朔ちゃんの気持ちも分からなくはない。が、わたしからすれば朔ちゃんもそう大差ない気がするのだけれど。見た目も学歴も性格も人に羨まれるようなものばかりを持ち合わせている。

 しかし本人にしか分からない悩みや葛藤があるのだろう。だからこそ小学5年生が一人、家を出て公園で震えながら泣いていたのだ。わたしは思わず触れてしまった朔ちゃんの柔らかな部分に、どう反応をすれば良いのか分からず戸惑いを見せた。旭さんはそんなわたしを時折微笑みながらただ見つめるだけだ。


「僕からすれば朔の方がずっと器用でなんでもできるけどね……」


 少しの沈黙の後、旭さんは独り言のようにぽつりとこぼした。わたしの返事を待たず、「あいつ、得意なことを聞かれたときなんて言ったと思う?」と言葉を繋げる。

 たしかに疑問系だったが、それはわたしが答えても答えなくてもどちらでも良さそうな投げやりな聞き方だった。


「ないですって即答したんだ」


 案の定、旭さんは間髪入れずに正解を告げる。わたしは旭さんの真に伝えたいことが理解できず、眉間に皺を寄せた。


「なんでも簡単に人並み以上に出来ちゃうから気づいてないんだよ。自分がどれだけ恵まれているか。……ね、やになるでしょ?」


 明るく笑った旭さんを見て、彼は彼で朔ちゃんへのコンプレックスを抱えていることを悟った。長男だからとプレッシャーを感じることも多々あったのだろうか。その度になんでも器用にやってのける弟を見て自分の無力さに打ちのめされたりしたのかな。だけどそれを誰にも見せず、一人で真面目にコツコツと積み重ねてきたのかな。

 全てはわたしの憶測だけれど、それは旭さんの悲しみを含んだ笑顔が物語っていた。こちらまで切なくなってしまうほどの笑顔に、思わず旭さんを抱き締める。


「でも、やっと分かったよ。ひまりちゃんだったんだね、朔を救いあげたのは」


 わたしに抱かれながら呟いた旭さんの言葉の意味は分からなかった。

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