朔ちゃんは悲しみを隠してる

3

 これまでのセックスとは別物だった。丁寧に愛され、解され、ゆっくりと絶頂を教え込まれる。目が合えば「かわいい」と囁かれ、そのたびに蕩けそうなキスをくれた。

 流れる涙を舌で掬い、そのまま首筋に下りてきた唇にきつく吸われ、所有の印をつけられた。チリチリとした痛みが肌に降るたびに、「僕のものだよ」と言い聞かせられているようだ。


「あさひさ、んっ……!も、やだ。いれて、おねがいっ、いれて」


 今日何度そうやってはしたなく懇願しただろう。だけど旭さんはわたしの願いなどには耳を貸さず、ただ一方的に指と舌で責め立てるのみだった。

 中に欲しい。旭さんと一つになりたい。どれぐらい経った頃からかは定かではないが、わたしの頭はそれに支配されていた。


「あさひさん、いれて。もう、くるしい、はやくほしい……」

「……僕も挿れたい。ひまり、好きだって言って」

「っ、すき、あさひさん、すきぃ……!ずっと、すき、すきなの……あっ……!」


 挿れてもらえた瞬間に狂おしいほどの快感が全身を駆け巡った。身体が硬直し、目の前がチカチカする。


「あっ、っく……すっげぇ。めっちゃ気持ちいい」


 旭さんの恍惚とした表情がわたしをさらに昂らせる。そこからさらに何度も絶頂に導かれ、気づいた時には日付はとうに変わっていた。




 いつもは終わるとすぐにシャワーを浴びに行くのに、今日はわたしの横に寝転んだままだ。不思議に思い「シャワー浴びないんです?」と聞けば、旭さんは苦笑いを見せた。


「ねぇ、ひまりちゃんって僕のこと好き?」

「っえ?……好きじゃないって前に言いませんでした?」

「強がりだったらいいなって、本当は好きでいてくれてたらいいなって、……思ったんだけど」


 それってどういう意味なんだろう。好きになられるのは面倒なんじゃなかったっけ?わたしは期待してもいいってことなの?


「ごめん、勝手過ぎてびっくりした?」


 何も返さないわたしに旭さんは言葉を繋げた。


「ほんと、勝手ですね」

「だよね。手のひら返しもいいとこだよね」

「はい……虫が良すぎます」


 そう言いながら心臓はうるさいほどバクバクと音を立てている。


「もう、好きって言ってもいいんですか?」

「……え?」

「旭さんのこと好きって言っても、離れていきませんか?」

「……いかない。離れない。というか、離さないよ」


 きっとわたしのことを好きではないだろう。のぞみさんは、そんな簡単に忘れられる相手ではないはずだ。だけど数多の女の子の中からわたしを選んでくれた。寂しくてどうしようもない夜に、わたしをそばに置いてくれたのだ。

 それに好きと言っていいのだと許してくれた。今はそれだけでいい。だって絶対に叶わないと思っていた恋だから。それが細い糸でも、可能性があるならわたしは必死に手繰り寄せたい。


「好き、旭さん、好きです」


 セックス中以外でそう口に出したのは初めてだった。旭さんは面食らった顔をして、すぐに頬を緩ませた。

 僕も好きだよ。それを言わない旭さんはやっぱり優しい。





「クリスマスどうする?」


 シャワーを浴びた後、旭さんに聞かれて、しまったと思った。その日は朔ちゃんとすでに約束をしているのだ。それをそのまま伝えると、「えー?!朔の方はキャンセルしなよ」と簡単に言うのだから、ため息を吐くしかなかった。


「無理ですよ。先に約束してるんですもん。あ、クリスマス当日はどうです?」

「えっ!?まじでイブに会うの!?」

「はい。約束したので、朔ちゃんと」


 わたしが言い切ると、今度は旭さんがため息を吐く番だった。しかし心外だ。わたしは至極真っ当なことを言っている。


「いくら弟っつっても、男だよ?彼氏ができたら断るでしょー?」

「……え、彼氏?」

「へ?違う?」


 話の噛み合わなさにだんだんとおかしくなってきて2人で笑い合う。というか、わたしと旭さんって付き合うことになったんだー。って、笑ってる場合じゃないから!!!


「ちょ、ちょっと待ってください!わたしたちって付き合ってるんですか?」

「え、違うの?離さないって言ったじゃん?それにひまりちゃんは僕のこと好きなんだよね?」


 たしかに言われたし、たしかに好きだよ?だけど旭さんはわたしのこと好きではないよね?それでいいの?

 ま、いっか。後のことは明日以降のわたしに任せよう。今は幸せだけを噛み締めたい。


「じゃあ、付き合います」

「じゃあって……本当に僕のこと好きなんだよね?」

「?はい、好きですよ。朔ちゃんには謝っておきます」


 そんなわたしを見て、旭さんは「なんだかなぁ」と口を尖らせた。なにが不満なのか。


「ま、いいや。寝よっか」


 身体は数えられないほど重ねてきた。だけどこうやって夜を過ごすのも、寄り添って眠るのも初めてだった。

 暗闇に目が慣れた頃、旭さんが「おやすみ」とつぶやく。わたしもそれに「おやすみなさい」と返す。たったそれだけだ。だけどそれがこの上なく愛しい。

 瞼を閉じた旭さんに擦り寄ると、くすりと小さく笑みをこぼし、さらに強く抱き寄せてくれた。





 できるだけ早く伝えたいと、わたしは翌日ーー厳密にはその日だがーーの夜に朔ちゃんと電話をした。ほぼ日課のようになっている夜の電話に、朔ちゃんはワンコールで出てくれた。


「もしもし、スマホ触ってた?」

『おー、俺もちょうど電話しようと思ってて』

「そうなの?タイミングいいね」


 緊張を隠すようにいつも通りに振る舞ったが、鋭い朔ちゃんには『なんかあったのかよ、変だぞ』とバレバレみたいだ。

 わたしは意を決して「旭さんと付き合うことになったの」と告げた。


『……あぁ、兄ちゃんと?良かったな』

「あ、うん……ほんとに。ありがと」

『もしかしてクリスマス無理になったって電話か?』

「うん、そうなんだ、よね。ごめん」


 本当はもっと反対されると思っていた。あんな女にだらしない奴なんてやめとけよ、と。絶対に傷つくぞ、と。

 だけど予想に反して朔ちゃんはあっさり「おめでとう」と祝ってくれたのだ。その上電話の用件まで瞬時に理解してくれた。本当に良くできた子である。


『あ?別に謝ることなんてないだろーが。彼氏ができたら当たり前のことだろ?』


 そうなんだけれど。それでも一度した約束を反故にすることは良心が痛んだ。


「うーん、そうなんだけど、ねぇー?」

『んだよ、はっきりしねぇな。じゃあ、兄ちゃんに内緒で会うか?』


 それもそれでどうなのだろう。わたしは言葉に詰まり、二の句が継げないでいた。そんな曖昧な態度のわたしに、朔ちゃんは呆れたように深い息を吐いた。


『冗談だよ。お前が大事にしなきゃいけないのは兄ちゃんだろーが。俺に気を使う必要なんてないよ』


 そうだよね。そうなのかな?だけど、朔ちゃんとの約束を破ること以外に選択肢はないように思う。わたしが再度「ごめんね」と謝ると、『バーカ。謝るなって。幸せになれよ』と気の利いた言葉を贈ってくれた。

 朔ちゃんのこの言葉でわたしの心は軽くなる。


「幸せになれるかな?」

『んなの知るかよ。まぁ、お前ならなれんじゃね?』


 その言葉に今度は励まされて、幸せな気持ちのままわたしは電話を切った。そして旭さんに『イブ会えます。どこに行きますか?』だなんて、嬉々としてメッセージを送ったのだ。

 この時、朔ちゃんがどんな気持ちでわたしにその言葉を告げたのか。電話を切った後、朔ちゃんはどんな気持ちでいたのか。そんなこと微塵も考えもせずに。

 朔ちゃんはどうせ「お前は自分の幸せだけを考えてたらいーんだよ」と言うだろうけど。じゃあ、朔ちゃんの幸せは?朔ちゃんの幸せはどこにあるんだろう。

 きっと朔ちゃんは「そんなのお前の知ったことじゃねーよ」と突き放すのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る