朔ちゃんは悲しみを隠してる

1

 昨日の夜はなんだか眠れなくて、それなのに朝早く起きてしまった。

 いつもより数本早い電車に乗って学校に向かっていると、同じ車両の離れたところに目立つ青を見つけた。

 朔ちゃん、この時間の電車だったんだ。どうりで今まで会わなかったわけだ。


 ホームに降り立つと人をかき分けながら青を目指した。頭が飛び出るほど身長が高いわけではないがーーと、言っても平均身長よりは随分高いーー朔ちゃんの青い頭はここに居る誰よりも目立つ。


「朔ちゃんっ!」


 背中をポンと叩いて、「おはよう」と言うはずだったのだ。しかしその言葉は振り向いた朔ちゃんの頬骨辺りにできた痣に吸い込まれてしまった。

 まさかわたしがいるとは思わなかったのだろう。朔ちゃんは驚きに目を開いた後、すぐに顔を逸らした。


「顔、どうしたの?」

「……べつに」


 べつに、じゃない。わたしの心配を鬱陶しいと思い、触れてほしくないことは朔ちゃんの態度からひしひしと伝わってくる。だけれど、昨日別れたときにはなかった痣だ。そうなれば、わたしを送った帰りに揉め事に巻き込まれた可能性が高い。それなのに知らんぷりを決め込めるほど、わたしは人間ができていなかった。


「もしかして、あの後絡まれた?」

「ちっげーよ」

「だって昨日はそんな痣なかったじゃん!わたしのこと送った帰りでしょ?ほんとごめん……」

「だから違うって!……兄ちゃんの手が当たっただけ」


 ……兄ちゃんって、旭さんのこと?だよね?告げられた事実に一瞬時が止まる。ただの不注意の事故ならいいのだ。いや、怪我をしたのはよくないが。

 だけど、先ほどの朔ちゃんの態度から察するに、恐らく旭さんと喧嘩をしたのだろう。そんなの送った帰り道に揉め事に巻き込まれるよりずっとわたしの責任問題じゃないか。


「え……ごめん、それってわたしの……」

「はー?自惚れんな。お前のせいじゃねーよ。俺が腹立っただけだ」


 今まで逸らされていた朔ちゃんの顔が突然こちらに向き、嫌悪に歪んだ顔を近づけられた。そして「これぐらいなんともねーよ」と付け足す。

 痣だよ?なんともなくない!わたしの歩調に合わせる気のない朔ちゃんの後を小走りで追いかける。


「ねぇ!今日放課後ヒマ?」

「暇じゃねー、忙しい」

「うっそだ。水曜日は予備校ないの知ってるもん」


 そう言ったわたしの声に朔ちゃんは歩幅を短くし、「分かってんなら、暇かどうかなんて聞くなよ」と柔く笑った。

 突然向けられた笑顔に思わずどきりとしてしまう。顔が良いって卑怯だ。


「い、一応だよ……!」

「ふん、そーかよ。で?暇だったらなに?」

「遊ぼーよ!」


 わたしの誘いに形ばかりの逡巡を見せた朔ちゃんは「遊ぶって何すんの?得意のセックスか?」と意地悪く煽ってきた。


「ち、がう……!話したいなって……!」

「これのことなら話す気はねーぞ」

「……朔ちゃんのいろいろ、だよ!」

「いろいろってなんだよ!」


 わたしの苦し紛れの言葉に朔ちゃんは大きな口で笑う。目尻の皺が優しさを匂わせていた。

 一頻り笑った朔ちゃんは「じゃあ、放課後な」とだけ言い残し、前を歩く友達を見つけて小走りで駆けて行った。



 高校生がお金をかけずゆっくりと話せる場所は案外少ないのだ。しかも、わたしと朔ちゃんは違う高校なので、学校という選択肢がごっそりと消去されるので尚更である。

 お互いの高校の最寄り駅で待ち合わせをしたわたしたちは行く先について話していた。

 カラオケにする?、と聞きそうになってすんでのところでやめたのは、この前のことを思い出したからだ。


「……公園行くかぁ」


 とても健全なワードなはずなのに、朔ちゃんはなぜだか気まずそうだ。そんな朔ちゃんに少しの違和感を覚えながら「いいじゃん」と返す。


「お前んちの近くにするか」


 と言って歩き出した朔ちゃんの横に並んで、タコ公園を目指した。






 公園に着く頃には17時を回っており、30分ほど前の日没で辺りは薄暗くなっていた。1時間前までは子供や付き添いの親たちで賑わっていただろうここも、今はポツポツと人がいる程度だ。

 しかもその人たちもグラウンドで球技をしている小学校高学年の子たちなので、わたしたちが腰掛けた遊具側のベンチ付近には誰一人いなかった。


「寒くないか?」

「うん、大丈夫だよ。ありがと」


 自動販売機で買った温かいお茶を口にしたわたしに、朔ちゃんは問いかける。さらりと気遣われたことに嬉しくなった。


「朔ちゃん、旭さんと喧嘩したの?」

「……そのことは話さねーっつただろ」


 そんなことを言いながら、朔ちゃんは聞かれることを分かっていたように口角を上げた。


「……だって。わたしのこともあって我慢できなくなったんじゃない?」

「まぁそれが引き金だったかもしんねーけど、前々から腹に据えかねてたんだよ」

「旭さんの女関係に……?」


 朔ちゃんはこくんと頷いて、「まじで理解できねー」とため息を吐いた。


「体で寂しさって埋められるんかよ」


 続けたその言葉はわたしに問いかけられたものだった。朔ちゃんにしてみれば、わたしも『理解できねー奴』の括りに入るのだろう。


「……どうだろ。そうなのかな……でも、結局虚しくなるばっかりだよ」


 それでも一瞬、その瞬間だけは埋められるのだ。それは身を持って感じていた。


「朔ちゃんはないの?どうしようも寂しくてしょうがない日。誰でもいいから縋り付きたい夜」


 そう言いながらわたしは、誰でもいいわけじゃないんだけど、と自嘲する。


「……あるよ。この世には俺のこと分かってくれる人なんていないって、悲しくてつらくて、逃げ出した」


 朔ちゃんはいつかの日を思い返すように暗くなった空を仰いだ。


「だからあの日泣いてたの?」


 口からついて出た言葉にハッとする。朔ちゃんもわたしと同様、いやそれ以上にハッとして息を飲んだ。ピリッとした空気が2人の間に流れ、唾を飲み込むことも躊躇してしまう。


「……気づいてたのかよ?」

「思い出したって感じ?かな?」

「……いつ?」

「夢を見たの……」


 わたしの言葉に朔ちゃんは「あ?夢?」と怪訝な声を出した。たしかにいきなり夢の話をされるなんて予想もしていなかっただろう。


「そう、夢。朔ちゃんと連絡先を交換して少ししたぐらいかな……」


 今居るこのタコ公園のタコを形取った遊具のトンネル。そこで今の姿の朔ちゃんが泣いている夢だ。その夢を見て思い出したのだ。わたしが中学に上がったばかりの頃、そこで出会った男の子のことを。


「もしかして本当に朔ちゃんかもって。そう言えば、その子もそんな名前だった気がして……やっぱり朔ちゃんだった?」


 朔ちゃんはそれに「知らね」と答えたけれど、十中八九そうなのだろう。というかそうでなければ、朔ちゃんの「気づいてたの?」という言葉の意味を説明できない。そういえば、朔ちゃんはいつから気づいていたのだろう。


「朔ちゃんはいつ気づいたの?」

「あー?知らねー」


 知らないって。教えたくないの間違いでしょ。


「もしかして初めから?ずっと覚えててくれたとか?」


 少しからかってやろうという気持ちだったのだ。つっけんどんでまともに答えようとしない朔ちゃんに対して、少しのいたずら心だったのだ。


「っ、は、はぁー?んっなわけねーだろ、ばっかじゃねーの?」


 だけどこんなに焦るんだもん。分かり易すぎるほど分かり易い朔ちゃんに思わず笑ってしまう。


「おっまえ、まじで性格悪いわ」

「ごめ、ごめんってー!だって朔ちゃんかわいくて」

「ほんとうっせー。今すぐ黙れ」


 凄んだって全然怖くない。朔ちゃんは照れ隠しにそっぽを向いて、それからさよならするまで一度たりとも目を合わせてくれなかった。

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