ひまりちゃんは優しく愛されたい

4

「あっ、あぁ、んっ、だめ、やだ、もうやだぁ……!」

「やだじゃない。僕がまだしたい」


 お願いやめて、と懇願しても、旭さんはやめるどころかさらに激しくわたしを責め立てた。僕がまだしたい、って子供の駄々と同じじゃん。こちらは気持ち良さで頭がどうにかなってしまう一歩手前なのだ。


「ごめんなさい、またイッちゃう……!」

「あぁー、それすげぇ好き。かわいい。ひまり、ほんとかわいい」


 旭さんの口から、滅多に聞けない甘い言葉が思わずといった風にこぼれる。それさえもわたしを絶頂へと誘うスパイスになるのだから、本当にたまったもんじゃない。


 今日もわたしは好きの気持ちを必死に手繰り寄せて、口からこぼれないように一生懸命だ。なのに、今日の旭さんは軽率に「好き、ほんと好き」とうわ言のように呟く。

 なんの意趣返しなの?わたしになんの恨みがあるって言うの?その意味のない「好き」に引っ張られて、わたしも「好き」と言ってしまいそうになる。


「まーた下唇噛んでる……力抜きなよ」


 下唇を無意識に噛んでいるのは最後の抵抗なのだ。だけど、そこを舌先で優しく舐め上げられ、わたしはだらしなく口を開いた。


「ひまり、かわいい。ひまりも僕のこと好きって言って?」


 これは旭さんの気まぐれラブラブプレイだ。きっとドタキャンの罪滅ぼしに、普段じゃ絶対しないプレイをサービスしてくれてるんだ。

 あれ、でもこれがプレイならわたしもノッたフリして「好き」だと言えるじゃん。それになにより、旭さんがそれを望んでいる。

 最高の大義名分を手に入れたわたしは、手繰り寄せていた気持ちをを思いっきり手放した。


「す、き。あさひさん、すき」

「っ、ほんっとかわいい。僕も好きだよ」

「んっ、あ、ぁっ、っ、すき、すき」


 好きだと言葉にする度に身体は切なく震えた。気持ちを再認識し、やっぱりそばにいたいと思った。

 ぐちゃぐちゃに犯されながら、合間に髪を優しく撫でつけてくれるその手で、わたしは幸福を知ったのだ。




 行為を終えると、旭さんはわたしの体を抱き起こし、「シャワー浴びよっか」と誘ってきたのだ。

 まだお詫びの恋人ごっこを続けているのだろうか。だけどこんなに優しくされると、もういつも通りの雑な扱いに耐えられなくなりそうだ。そんな一抹の不安を覚えるが、今はただこの幸せを純粋に享受しておこう。

 差し伸べられた手を素直に取れば、また甘い口づけを落とされた。嬉しくてどうにかなってしまいそうな心地に包まれながら、旭さんのこの優しさは本当はのぞみさんへ向けられるものなんだよね、と冷静に思い直す。

 小学生男子のようなーーいや、それよりも酷いーー意地悪な態度を取りながら、旭さんは優しさも関心も全てをのぞみさんに捧げてきたのだろう。


「どうしたの?もしかしてさっきのじゃ足りなかった?」


 手を取りながら難しく考え込み出したわたしの顔を覗き込んで、旭さんは眉を上げる。そんなわけないと分かっているが、暗くなった空気を和らげるために発した言葉だろう。


「まさか!もう充分です!恋人ごっこも……もうしなくて大丈夫ですよ」


 これ以上続けられるとわたしが辛くなってしまう。手に入らないものを目の前で見せつけられて我慢ができるほど、わたしの精神力は強くなかった。


「……そっか。楽しかった?恋人プレイ」

「はい。だけど、もうしたくないです。いつもみたいに酷くしてください」


 酷くして。それはなにもいじめてほしいとか、痛いことをしてほしいと言っているわけではない。ただ優しくしてほしくないのだ。間違っても愛の言葉など囁いてほしくないのだ。


「え、僕いつもそんな酷いことしてる?」

「えー?うーん、旭さんは優しいですよ?」


 そう、彼は優しい。無用な期待などさせてくれないほど分かり易く扱ってくれるから。旭さんは優しい。


「わたし、このまま帰りますね」

「……そうなの?シャワーは浴びて帰りなよ」


 たしかに旭さんの言う通りだ。ドロドロになった体のまま帰ることに抵抗はある。そもそも制服に腕を通すのも憚られるほどなのだ。


「……でも、朔ちゃんもうすぐ帰って来ますよね?」


 この部屋に時計は無さそうだったが、閉められたカーテンの隙間から薄らと感じる暗さが時間を物語っていた。


「そういえば、この前朔とはなにしたの?」


 わたしの質問には答えず、旭さんは問いかけた。この前とは、旭さんがドタキャンをして朔ちゃんを派遣したあの日を指しているのだろう。「朔に聞いても教えてくれなくてさぁ」という旭さんのセリフに思わず苦笑いがこぼれる。そりゃそうだ。ラブホに行きました、だなんて言えないよね。


「特になにも。少し話して帰りましたよ」

「ふぅん。ね、朔のことどう思う?ひまりちゃんのタイプそのままじゃない?」


 えー、わたしなんて言ったっけ?以前テキトーに並べて答えたタイプをいちいち覚えてなどいなかった。


「そうですね。朔ちゃんはあったかいです」

「……あったかい?」

「はい。朔ちゃんといると変に気を揉んだり、勘ぐったりしなくていいので楽です。とっても落ち着きます」

「……へぇ。……好き?朔のこと」


 それは恋愛対象として?まぁ、話の流れからしてそうなのだろう。ここはなんと答えるべきか。間違わないようにしなくては。

 旭さんの凛とした瞳が、わたしの本心を探るように細められた。


「ひまりー!!来てんのかー!!?」


 どう答えようか考えあぐねていると、急に名前を呼ばれたものだから本当に驚いた。しかも大声で、だ。

 朔ちゃん、帰って来たんだ。大声で名前を呼んだ朔ちゃんの意図を理解し、苦笑いする。この前みたいにセックスの最中だったら困るもんね。

 前回とは訳が違う。わたしと朔ちゃんは顔見知り、ーーどころか友達と言っても差し支えないだろうーーになってしまった。さすがに実の兄と友達が致しているところは見たくないだろうし、声も聞きたくないだろう。


「はーい、待ってぇ」


 朔ちゃんに返事をしながら散らばった制服を集めた。「朔ちゃん帰ってきましたね」と旭さんにこそりと告げれば、「ざんねーん」と旭さんも自分の服を着出した。

 ベタベタの体に制服を着るのはかなり抵抗があったが、こうなっては仕方ない。急いで着終えると、部屋の扉を開けてリビングへと向かった。



 ソファにどかりと腰を下ろした朔ちゃんはこの上なく機嫌が悪そうだ。貧乏ゆすりはしてるし、なんなら舌打ちまで聞こえてきそう……。

 声をかけることを躊躇してしまう雰囲気にわたしが戸惑っていると、気にもしていない旭さんが「おかえり」と声をかけた。


「……ひまり、帰るぞ」


 朔ちゃんはそれを無視して、突っ立ったままのわたしの腕をがしりと掴んだ。突然の展開に頭がついていかず「え、え?」と困惑し通しで旭さんの顔を見れば、「困った弟だねぇ」とでも言いたげな表情でこちらを見ているだけだ。

 助ける、というか、間に入る気もさらさらないみたい。旭さんは朔ちゃんに引っ張られるわたしにひらひらと手を振り、「またね」と挨拶をした。


 


 無言でずんずん進んで行く朔ちゃんの後を必死で追いかけた。少しでも気を抜けば足が絡れて転けてしまいそうなほどだ。

 エレベーターに乗っても相変わらずムスッとした朔ちゃんは一言も話さない。気まずすぎて息苦しい。


 マンションのエントランスを出て少し歩いた辺りでやっと「なんで俺を呼ばなかったんだよ?」と不貞腐れ顔でわたしに詰め寄ってきた。それで拗ねてたのか、と納得がいく。


「旭さんが高校まで謝りに来てくれたんだよ。で、その流れでだから……寂しくなって会ったわけじゃないよ」


 朔ちゃんより旭さんを取った、とかそういう話ではないのだ。わたしの話を聞き終わるなり、朔ちゃんは「高校まで?まじかよ」と絶句していた。

 いや、連絡先聞くために高校まで来た朔ちゃんには引かれたくないと思うけどね?


「てか、もう会うのやめろよ」

「うーん……やめらんないんだよね」


 だって今日、やっぱり好きだと再確認してしまったのだ。心配してくれてる朔ちゃんには申し訳ないけれど。


「バカだと思ってるでしょ?」


 朔ちゃんの呆れたような視線が本心をありありと映し出しているようだ。だけどそんな風に思ってしまうのはよく分かる。

 わたしの冷静な部分は朔ちゃんと同じように「やめときなよ」と警鐘を鳴らしているのだから。身体や心をどれだけすり減らしても旭さんは手に入らない。それどころか、扱いはどんどん雑になっていくだろう。おまけにそれを許しているのがわたし自身なのだ。

 救えないと思う。一番大切にしなければならない自分自身を差し出してる。しかも見返りを期待できないことに、だ。そりゃあ、傍から見ていれば「バカだな」の一言ぐらい言いたくなるだろう。


「……いや、んなこと思ってねーよ」


 思いもよらなかった優しい声音に面食らった。優しいのにどこか苦しくなってしまう。正面を向いたまま話す朔ちゃんの表情はこちらからは見えない。だけれど、だからこそ、優しい声がこんなに切なく感じるのだろうか。


「どうにもなんないのにな。やめられたら楽なのにな」


 ふっ、と鼻で笑った朔ちゃん。まるで自分に言っているかのようだった。朔ちゃんもやめたくなるような恋をしているのだろうか。

 身震いするほどの冷たい風が朔ちゃんの青い髪を遊ぶように揺らした。



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