ひまりちゃんは優しく愛されたい

3

 結局わたしは、旭さんからの謝罪メッセージへの返信はしなかった。

 気にしないでください、だなんて口が裂けても言えない。かと言って叱責する気力もなかったのだ。まぁ、わたしがなにを言っても旭さんはどこ吹く風だろうけど。

 返信がないことに気づいてはいるだろうが、あれから旭さんが新たに何かを言ってくることも、アクションを起こすこともなかった。結局わたしは、その程度だったというわけだ。


 朔ちゃんのことを呼びつけることこそなかったものの、彼は夜毎わたしのくだらない電話に付き合ってくれている。たまに『まだ予備校にいる』という断りの返事がくるのだが、そのたびに朔ちゃんが通う高校の賢さを思い出していた。




 先生に進路のことで呼び出されたエマを教室で待ちながら、昨夜の朔ちゃんとの電話を思い返す。

 旭さんの部屋で会ったときに朔ちゃんの目の下から頬にかけて広がっていた青あざについて話したのだ。


「そういや、いつの間にか綺麗に治ったね、青あざ」

『あぁ、青あざ?割と長引いたけどな』

「見た時びっくりしたよ。ケンカ?」

『……まぁ、かな?』


 なんとも煮え切らない物言いだった。その場では「へぇ。気をつけなよ」とさらりと流したが、朔ちゃんは何か秘密を抱えていそうなのだ。

 隠されると暴きたくなるのは人間の性なのか、それともわたしの習性なのか。しかし突っ込んだ話は電話よりも顔を見てしたい。いつなら会えるかなぁ……あ!朔ちゃんはわたしが寂しいと言えば駆けつけてくれるのだった。

 そういった人が存在してくれている、という事実だけで心は強く、温かくなる。




「あ、いた!校門にひまりのこと待ってる人がいるよ!」


 このまま旭さんとの関係を終えられるかもしれない。エマを待ちながらそんな所にまで思い至った直後、クラスメイトが息を切らしながら教室に入って来た。


「え、わたしのこと?」

「そそ。イケメンだった、めっちゃ」


 イケメン……ふと旭さんの顔が浮かんだが、彼の人物は校門でわたしを待っているのだ。前科がある朔ちゃんならまだしも、旭さんがそんなことをするはずも、する理由も見当たらなかった。となれば誰だ……?


「髪、青かった?」

「え、青?普通に黒だったと思うけど……?」


 だよね。これで朔ちゃんの可能性はなくなった。いよいよ見当がつかなくなって困惑する。とりあえずエマに手早く、校門で待っている、とメモを書き、机に貼り付ける。念のため、スマホにメッセージも送っておこう。




 クラスメイトにお礼を言って、わたしは階段を駆け下りた。ローファーを履きながら昇降口を出て、校門までを急いだ。


 息を切らしながら着いたそこに立っていたのは、まさかまさかの旭さんだった。驚きすぎて言葉が出てこない。そんなわたしに気づいた旭さんは「ごめんね」と切なげに微笑んだ。


「な、なんで……」


 新堂家には校門で待ち伏せしなきゃいけない家訓でもあって、この兄弟はそれを忠実に守っているんだろうか。特に旭さんなんて、わたしといつでも繋がれるスマホを持ってるじゃない。……返信してなかったわたしが言うセリフじゃあないけど。


「うん。この前のこと、謝りたくて……」


 今さら?と思ったが、あの日からまだ1週間も経っていない。わざわざ謝りに来てくれたのだ。話ぐらい聞いてあげてもいいか、とエマに一緒に帰られない旨のメッセージを送り直した。





 2度目のお宅訪問がこんな形になるなんて想像もしていなかった。相変わらずの物々しい入室方法に緊張しながらエレベーターへ乗り込む。


 正直に言うと、わたしの怒りの気持ちは旭さんの顔を見た瞬間に綺麗さっぱり消え失せてしまった。……ううん。本当は、朔ちゃんに慰められたあの日にほとんど消えてしまっていたんだと思う。

 だから道中の気まずい雰囲気には、中々耐え難いものがあった。何度「もう気にしてないですよ」と告げようと思ったことか。だけどあの旭さんがしょんぼりと申し訳なさげにしている姿が新鮮で、もう少し見ていたいという気持ちが勝ってしまった。我ながら、朔ちゃんに「性格腐ってる」と評されただけはあると思う。だけどこれぐらいの仕返しは許してほしい、というのが本音だ。


 わたしをリビングに通した旭さんは、前回と同じようにソファに座らせ、自分はキッチンへ飲み物を入れに行ったようだった。

 少ししてからカップを両手に持った旭さんが現れ、「はい」と片方をわたしの前に置いた。


「ありがとうございます」


 カップに口をつけると紅茶の上品な香りが鼻をくすぐる。相変わらずお洒落なものを飲んでいるなぁ。これも朔ちゃんの趣味かな?と思うと、一気に肩の力が抜けた。


「あのさ、この前ほんとごめんね」


 わたしがカップをテーブルに置くなり、旭さんは謝罪の言葉を口にした。本当に申し訳ないと思っていそうな表情に、わたしの心はさらに晴れていった。


「大丈夫です。そりゃ悲しかったですけど、もう気にしてないですよ」

「……うん。あの、信じられないかもだけど、次こそちゃんとデートしよう」


 なんで急に優しくするんだろう。諦めさせてもくれないなんて、本当に酷い人だ。

 いつものように、傷つけても知らんぷりしていてくれたなら良かったのに。……いつもは傷つけていることにすら気付いていないのか。本当にわたしに興味ないんだな……。というか、のぞみさんにしか興味がないのか。

 分かっているのに好きの気持ちは膨らんでいくばかりだ。わたしに身体だけの関係は早すぎた。出会ってまだ2ヶ月やそこらなのに、もう泣きたくなるほどに苦しいんだもの。


 旭さんからの仕切り直しのデートの誘いを、わたしは緩く首を振って拒否した。今デートに行けば、好きの気持ちを隠してはいられないだろう。そうなれば旭さんは離れてしまう。

 もう自分がどうしたいのかさえ分からないのだ。関係を終わりにしたいのに、旭さんのそばにいたい。どちらも本心なのに、その2つの願いが共存する道はないのだ。


「え、なんで?僕のこと嫌いになった?」

「……嫌いもなにも、好きじゃないですよ、旭さんのこと。デートなんていらないんで、セックスしてください」


 セックスをしているときだけは、旭さんはわたしのものだ。わたしだけを見つめて、わたしのために時間を使ってくれる。

 それがはっきりと分かる、今の最高だった。


 わたしの言葉を聞いた旭さんは、「ふっ」と鼻で笑い「僕もひまりちゃんとしたいと思ってたんだ」と身体を近づけた。

 先ほどまでの殊勝な態度が嘘みたいだ。瞬時にわたしをソファに押し倒した旭さんは、食べるようなキスでわたしを惚けさせた。

 シャワーを浴びる気配もない早急なセックスの開始に、シャワーを浴びたいと言った朔ちゃんの姿を思い出す。


「あっ、ん、まっ、て……朔ちゃんは?」

「っは、……朔?」


 この前のように帰宅した朔ちゃんに目撃されることは絶対に避けたい。前回はお互いのことを深く知らなかったのでなんとか耐えられたが、もし今日再び目撃されたら……耐えられる自信は微塵もなかった。


「朔ちゃんに見られたくない……」

「……そう。わかった。じゃあ、僕の部屋に行こう」


 そう言った旭さんは、徐にわたしの膝下に腕を差し込むと、そのまま抱え上げて歩き出した。初めてされた、所謂お姫様抱っこ。少しの不安定さに、旭さんの首に腕を回す。そんなわたしに、旭さんはくすりと笑みをこぼした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る