ひまりちゃんは優しく愛されたい
2
わたしの突拍子もない提案に朔ちゃんは「ばっかじゃねーの?!」と叫んだ。それは周りにいた人が何事?と振り返るほどの声量だった。
「バカじゃない。本気なんだけど!」
「……はぁ……だからバカだって言ってるんだよ。なんでそうなる?自暴自棄じゃねーか」
朔ちゃんはわたしを宥めにかかっている。どうやら旭さんにドタキャンされて、余程頭がおかしくなったと心配されているようだ。
当て付けかと聞かれればそうかもしれない。だけどわたしはこのモヤモヤの発散の仕方を、セックス以外でどう晴らせばいいのか知らないのだ。
だけど、カラオケに行って大声で歌うのも、感動モノの映画を観て思う存分泣くのも、旭さんと行くはずだった観光地を巡るのも、どれもこれも違うと分かる。
セックスをして、頭を空っぽにしたい。逞しい腕ーーというには、朔ちゃんは些か幼いがーーに抱かれて、わたしは可愛い女だと自覚したいのだ。
「そうじゃないけど……ま、童貞の朔ちゃんには分からないか……」
これは挑発だ。出会ってから日は浅いが、単純な朔ちゃんのことはだいたい分かってきていた。
「ど、童貞じゃねーわ!てか、今それは関係ねーだろ」
「ふーん?ま、いいよ、帰れば?わたしはここでナンパ待ちしてるから」
「おっまえ、まじで性格腐ってんな?」
なんとでも言えばいい。根性無しに用はないのだ。ふーん、とでも言うかのようにそっぽを向けば、朔ちゃんは悔しそうに言葉を詰まらせた。
「わかったよ、わかった!とりあえずラブホ行ってやるよ」
観念した朔ちゃんにとびきりの笑顔を向ければ、「するかしないかはまた別の話だからな?」と凄まれた。ふふん、なんとでも言えばいい。ラブホに入ればこっちのものだ。
▼
朔ちゃんのぎこちなさが伝わってきて、わたしまで緊張してしまう。部屋を選ぶのもなんだか大仕事だ。
「お前が選べよ」
「どこでもいーよっ!!」
お互いに半ば喧嘩腰なのだから、情緒も色気もあったもんじゃない。どこでもいーよと言いながら一番安い部屋を選んだわたしに、「そこで良かったんかよ」と今さらの気遣いだ。
部屋まで向かいながら、一向に近づく気配のない身体的距離にヤキモキもするが、これはこれでわたしたちらしいか、と納得もする。
そして部屋に着いて扉を開けるなり、「お前、ほんとに後悔しねーんだな?」と一言。なんだ、わたしが後悔しないと言ったら、朔ちゃんはセックスしてくれる気はあるんだ。
なんとか宥めすかせてセックスに持ち込もうとしていたのだ。手間が省けて助かった。
「しないよ。わたしは朔ちゃんとしたい」
「……はぁ……ほんと馬鹿。……俺もどうかしてるわ」
またバカって言ったな。だけど今回のバカは朔ちゃん自身に言い聞かせているようだった。
最後に長いため息を吐いて、朔ちゃんは玄関に突っ立ったままわたしに軽く口づけを落とした。旭さんとそっくりだと思った唇は、とても温かい。まるで別物。
わたしのささくれだった心をほぐして、溶かして、一からまぁるく作り替えてくれるようなキスだった。
「ピアス、あんま気になんないね」
唇が離れたので率直な感想を述べると「あ?あー、まぁ、小さいしな」と言いながら、朔ちゃんは指先で口元のピアスを触った。
初めてのキスの後の第一声がこれとは、色気がなさすぎやしないか。分かってはいるがこれはあえてだ。思っていたよりずっとドキドキし出した心臓に気づかないふりをするため。
朔ちゃんも蓋を開けてみれば案外、というか全く平気そうで。わたしばかりドキドキしているような気がして悔しかったのだ。
ようやく部屋に上がり、2人でソファに腰掛けた。やっと身体の距離も近くなり、顔を上げればまたすぐにキスできそうなほどだ。
「なんかテレビ観るか?」
「……観なくていい。早くしたい」
「……俺、シャワー浴びたいんだけど」
思わぬ言葉にずっこけそうになる。今は10月の下旬。そうそう汗をかく季節でもない。そもそもまだお昼にもなっていない。活動時間を考えればシャワーなんて必要ない気もするけど。
「……じゃあ、一緒に入るー?」
「は?やだわ!」
冗談だよ。冗談に力強い拒否をもらい、思っていたよりダメージを受けた。「はい、じゃあ行ってらっしゃーい」と力無く朔ちゃんを送り出し、わたしはベッドに横になった。
そしてずっと触っていなかったスマホを手に持つ。さすがに旭さんから謝罪の一つでも入っているだろうか。そんな想いから恐る恐る覗いた画面には、やはり旭さんからのメッセージが通知されていた。
『今日ほんとにごめん。朔と会えた?』
馬鹿みたい。こんなメッセージだけで泣きたくなるほど好きだなんて。
『会えましたよ。今ラブホに来てます』
そう送れば、旭さんはどう思うだろうか。少しは罪悪感を感じたり、あわよくば嫉妬の感情などを持ち合わせてくれるだろうか。
そんなことは絶対にないのに。「付き合ったの?おめでとう」と心の底からお祝いしてきそうだ。やだやだ。あんな感情欠落人間、好きになるんじゃなかったなぁ……。
「寝てんのか?」
「……起きてるよ」
「そ。お前はシャワーどうする?」
「浴びる」
目を閉じているとシャワーを浴び終えた朔ちゃんに声をかけられた。泣いていたことがバレないように俯き加減で横を通りすぎる。
脱衣所の鏡に映った顔は酷すぎて笑えなかった。泣いたせいでアイメイクはほとんど取れてしまっているし、もちろん薄くつけたチークも遥か彼方だ。唯一口紅だけが薄っすらと存在感を主張している。唇を重ねても色残りをしているのだから、やはり優秀な口紅なのだろう。しかし、家を出る前に鏡で見た艶やかさは消え失せていた。
▼
今しがた脱いだ服と下着をもう一度付け直す行為は、なかなか慣れない。シャワーを浴びた意味ないじゃん、と感じてしまうのだ。しかし裸で出て行くわけにもいかない。
「お待たせ」と声をかけながら部屋へ戻ると、朔ちゃんはベッドに寝転びスマホを触っていた。
「おー」とわたしの顔を見ないまま返事をするので、なんだか面白くない。わたしはそのまま朔ちゃんの横に寝転び「キスしてよ」と可愛げのカケラもない言い方でねだった。
わたしのそのおねだりに、ちらりと視線を寄越した朔ちゃんは、スマホの画面をベッドに伏せてわたしの身体を跨いだ。
馬乗りの体勢になった朔ちゃんは、わたしの顔を挟むように肘をつき、緩慢な動きで舌をべろりと出した。今からディープキスをするぞ、この舌がお前を犯すからな、と宣言されたかのような行為に、お腹の下がずくりと疼く。
それに倣いわたしも舌を突き出せば、お互いの舌が絡み合い、いやらしい水音が耳を愛撫した。
こんなやらしいキスできたんだ。と、朔ちゃんを侮っていたことを心の中で謝罪する。これで高一だなんて、末恐ろしすぎて……。
「あ?なに考えてんだよ」
「……なにも?キス気持ちいいなーって」
「そーかよ」
キスの合間、わたしが素直に褒めると、朔ちゃんは満更でもない顔で笑った。くりくりのまん丸おめめが三日月型に綺麗に細められる。今まで見たこともない表情にときめいた。絶対内緒だけど。
「なぁ、ほんとにいいんだな?」
朔ちゃんがそう確かめるのはいったい何度目だろう。優しい朔ちゃんはわたしが傷つくことを恐れてる。だからこうやって何度も何度もわたしの気持ちを確認してくるのだ。
「うん。朔ちゃん、優しく愛して」
ぽろりと出た自分の言葉に本音を気づかされるだなんて、笑ってしまう。そうだ、わたしは優しく愛されたかったのだ。他の誰でもない、旭さんに。
そう言って微笑んだわたしを見て、朔ちゃんは眉を顰めた。先ほどまでの熱が急激に冷めていくのがありありと伝わってくる。その空気にわたしも思わず眉を顰めた。
「やっぱできねぇ」
ふぅ、と鼻から息を吐きながら、朔ちゃんはわたしの上から身体を退けた。
「……し、」
「え、なんて?」
「意気地なし!慰めてくれるんじゃなかったの!?」
反射的に責める言葉を告げたわたしに、心外だとでも言うように顔を歪めた朔ちゃんは、「身体使わなくても慰められるだろーが」ともっともなことを言った。
それはわたしだって百も承知なのだ。だけど今一番いらないもの、それは正論である。いらないどころか火に油。
「怖いんでしょ?優しく愛せる自信がないんでしょ?」
油を投げ込まれたわたしの口はとどまる所を知らず、さらに朔ちゃんを挑発するような発言をする。自分で言っておいて怒られるかもしれないと身構えたが、朔ちゃんは思いもよらぬ表情を見せた。
「なんで笑うの……」
「なんでだろうなぁ?」
聞き返されても分からないよ。困惑したわたしを見つめながら、朔ちゃんは「呼べよ」とまた柔らかく微笑んだ。
「え?呼ぶ?」
「おう。寂しくなったら呼べよ。何をおいても俺が駆けつけてやるから」
慰めてくれてる。あのぶっきらぼうでつっけんどんな朔ちゃんが、とびきりの笑顔を向けて。
「なによ、かっこつけて……」
「おーおー。なんとでも言えや」
嬉しさを不貞腐れた口調に隠してしまう。だけど朔ちゃんは気にせず余裕げな態度だ。
「嬉しいの丸わかりだぞ。耳が赤くなってる……」
ククッと含み笑いをし、朔ちゃんの指先がわたしの耳をなぞる。「おー、もっと赤くなった」とはしゃぐ朔ちゃんを尻目に、わたしは逃げるように布団の中へ潜り込んだ。
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