朔ちゃんは青がよく似合う
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そのまま帰ろうとした朔ちゃんを無理矢理引き止めて、カラオケへとやって来た。別になにも歌をうたおうとしているわけではない。今日の旭さんの態度について教えてほしいことがたくさんあったからだ。場所はその辺りにあるカフェでも良かったのだが、話の流れ的に人前でするには憚られることもでてきそうなので個室であるここを選んだ。
部屋に入るなりどかりとソファに腰を下ろした朔ちゃんは、その見た目に不似合いなオレンジジュースを口にした。しかもストローで、だ。奇抜な見た目をしていても、隠しきれない幼さと育ちの良さが顔を覗かせる。だからこそ、密室になり得るカラオケルームにも何の躊躇いもなく入れたのだが。
「で?聞きたいことって?」
朔ちゃんは気怠げに首を傾けた。向けられた瞳から「早く帰りたいんだけど」という感情がダダ漏れである。
「えっと、旭さんなんであんたに不機嫌だったの?」
それなら、とわたしは単刀直入に聞いた。朔ちゃんは質問の内容を咀嚼する前に「のぞみちゃんがいたから」と反射的に答えた。もしかするとわたしがなにを聞いてくるか、なんとなく分かっていたのかもしれなかった。
しかし居るだけで不機嫌になるとは……旭さんがそこまで苦手とする人を、朔ちゃんがわざわざ今日の場に連れてくる意味が分からなかった。いくらわたしに協力するという理由があるにしろ、だ。そこまで苦手な人を連れてくるのはいくらなんでも悪手だと思う。
その証拠に今日の旭さんはほとんど自ら発言をしなかった。人として無視をするようなことはなかったが、聞かれたことにのみ答えるだけだったのだ。最初はハラハラと気にしていたが、途中から面倒くさくなったわたしは過剰に気を使うことをやめた。それに旭さんはわたしにはにこやかに接してくれたし。わたしが気にすることではないかな、と思ったのだ。
「幼馴染なんだよね?」
だけど知れるなら知りたい。旭さんがあからさまに嫌う理由を。どこに本心があるのか、さっぱり掴めない旭さんに触れられる大きな機会だと思う。
「幼馴染……まぁ、そうだな。兄ちゃんとのぞみちゃんは仲が良かったよ」
朔ちゃんが「俺が一緒に遊ぼうとすると兄ちゃんが邪険にするんだ」と思い出し笑いをした。朔ちゃんとのぞみさんは6歳差だ。そうなれば一緒に遊ぶ相手ではなかっただろう。わたしが言葉の意味を理解し、「6つも離れてるとね」と同調した。しかし朔ちゃんは、まるで分かってないな、とでも言うように、意地悪な笑みを見せたのだ。
その、まるでわたしのことを試しているかのような意味ありげな笑みに、思わずムッとする。さっきのセリフの真意はそこではないのだろうか。馬鹿にされたような気になって、「なによ?」と強い口調で返せば「泣くなよ?」とまた笑みを深くしたのだ。
常識人だと思っていたが、朔ちゃんも旭さんの弟なだけあるな。意地の悪い顔が様になっている。「泣かないわよ」と返したのは強がりでもなんでもなく本心だ。嫌な予感にドキドキと心臓を鳴らしながら、絶対に泣いてやるもんか、と意地のように誓ったのだった。
泣かないと約束したわたしに、朔ちゃんは「兄ちゃんは小さいときからずっと好きなんだよ、のぞみちゃんのことが」と告げた。なんとも読めない表情をして呟かれたそれは、すとんとわたしの心に綺麗に着地した。
好きを拗らせすぎてあんな態度を取ってしまう男、新堂旭。訳が分からないが、言われてみれば確かに旭さんらしいとも思ってしまう。今時、小学生男子でももう少し優しくするんじゃない?と思うが。彼の唯一の純粋な恋心は昔からずっとのぞみさんに注がれてきたわけだ。のぞみさんに彼氏ができても、ずーっと。積もり積もって発散のしようがない恋心は身体だけの相手にぶつけて、その時その時で誤魔化してきたのだろうか。とんだ傲慢な男だ。だけどいじらしい。
「まじで泣かないのは、それはそれで可愛げがねーな」
と、わたしの顔を見つめながら朔ちゃんが呟く。可愛げがなくて悪かったわね、と思ったが、それを言うとさらに無くなりそうなので「ほんとは悲しいよ」と俯いてみせた。
そうなると途端に慌てたように「お、おい、泣くなよ」だなんて焦り出すのだから、朔ちゃんはまだまだ可愛い。
「泣いてないよーだ」
笑うのを堪えながら朔ちゃんの顔を見ると、思っていたよりもずっと焦った表情をしていて、堪えきれずに吹き出してしまった。「まっじでかわいくねー!」と眉間に皺を寄せた朔ちゃんは耳まで真っ赤だ。かわいい、かわいい。旭さんも朔ちゃんみたいに分かり易かったらな。
まさか旭さんがのぞみさんのことを好きだなんて、想像もしてなかったよ。ほんとに分かりにくい男だ。
「え、てかじゃあなんで、のぞみさんのこと連れてきたの?」
ふと疑問に思う。朔ちゃんはそもそもわたしと旭さんが付き合えるように協力しているのでは?言ったこととやっていることの整合性が取れない。理由によってはしごでき朔ちゃんではなくぽんこつ朔ちゃんになるぞ、といったところだ。わたしの質問に、朔ちゃんはぐっと声を詰まらせて、ぽつりと言葉をこぼした。
「……諦めればいいと思って……」
「へ?わたしが旭さんのことを?」
頭に浮かんだことを思わず口にすれば、「そうだよ」と口を尖らせた朔ちゃん。えー?協力するって言い出したのは朔ちゃんじゃん!この短期間でこうも心変わりする理由とは、いったい何が起こったのか?
「なんで?」
「あ?」
「だーかーらー!なんで諦めなきゃいけない?」
納得のいく説明をしてほしい。わたしの真剣な眼差しに朔ちゃんは視線を泳がせた。怪しい……まだ何か隠してるな?
「洗いざらい吐きなさい」
そう詰め寄ったわたしに、朔ちゃんが「……い」と聞き取れないほどの声を発する。「え?なんて?」と聞き返してしまうほどの声の小ささだ。
「近いっつってんだよ!」
叫んだ、と形容するのが適切だろうというぐらい切実だった。朔ちゃんは続けて「離れろよ」とわたしの体を腕で押し返す。強さはなかったが明確な拒絶を体現していた。しかしそれは嫌悪からくるものではないことを、彼の赤くなった頬が教えてくれている。相変わらず女慣れしていない反応が新鮮である。
こんなに照れさせてしまうほど近かっただろうか。わたしはとりあえず「ごめん」と謝罪をし、距離を取った。
「そんな青い髪してるのにねぇ」
ぽろりと出てしまったそれは完全な偏見だった。清楚な見た目に反してーー自分自身を清楚だと評するのはかなり恥ずかしいがーー性欲旺盛な中身。そのギャップで苦しんできたわたしが言ってはいけない言葉であった。
「これはお前がっ……!」
わたしの「ごめん」に被せるように朔ちゃんが勢い良く声を発するが、言い切らないまま口をつぐんだ。わたし?わたしがその青い髪に関わっているのだろうか?
「お前が……なに?」
「……いや、なんでもねぇ」
なんでもなくないだろ。そう思ったが、ふいっとそっぽを向いた朔ちゃんは、これ以上話す気はないようだ。ついでに旭さんのことについても。あんまりしつこくするのはよくないか、と思い至る。また次の機会にでも聞いてみればいい。
「朔ちゃん、ピアスいくつ開けてるの?」
「……あ?」
その一々凄む癖やめてほしいんだけど。突然話題が変わったので、ついてこれなかったのは分かる。だけど、ん?とか、え?とかにしてほしい。あ?って。まぁ、朔ちゃんに凄まれても全然怖くないけど。
「ピアスだよ、ピアス。眉と口と、耳は?」
「……左と右に3つずつ」
「え、そんな開けてるの!?分からなかった」
「目立たないピアスにしてるから……」
「見せてよ」と近づけば、後ろに反る胸元が「近いんだよ」と訴えているようだ。だけどそんなの知ったこっちゃない。まじまじと耳を見れば、朔ちゃんが言ったのと同じ数のピアスが付けられていた。
「軟骨とか痛そー」
「別に……、ってもういいだろ、離れろよ」
徐々に赤くなる朔ちゃんの耳に、いたずら心が顔を出す。指先で軽くそこに触れてみれば「おい!」と、想像していた倍ほどの焦りようだ。
「、っふは、ごめんごめん。朔ちゃんの反応がかわいいから、つい」
「お前なぁ……まじでなめてるだろ」
なめているなんて心外だ。心の底から可愛いと思っているからしたのだ。「えー、なめてなんかないよ」とヘラヘラと笑いながら返す。後から思い返せばこれが良くなかった。素直に反省して謝っておけばよかったのだ。
「いーや、お前はなめてるね」と丸い目を鋭くした朔ちゃんは、身体の正面をわたしに向けてそのままソファに押し倒した。
カラオケルームの硬いソファに押し倒されても頭に衝撃がなかったのは、朔ちゃんの手が挟み込まれていたからだ。……いつの間に。女慣れしていないと思っていたがそれは勘違いかもしれない、とこんな状況の中、冷静に思う。いや、これは果たして冷静なのか?正常性バイアスと呼ばれるやつでは?
「俺がこんなことするなんて思ってもみなかっただろ?」
幼さばかりを感じていた顔つきが急に男のそれに化けたものだから、わたしは今になって混乱してくる。
「待って、そ、その、朔ちゃんとは……できないよ?」
って、違う!そんなことを言いたいんじゃないのに。シリアスなところでおちゃらけてしまうのは、わたしの悪い癖だ。それは空気を明るくしようという精一杯の気遣いなのだが、完全に空回っている。
「……なんで?兄ちゃんの弟だから?黙ってればバレねーよ」
それに、と朔ちゃんは言葉を繋げる。
「ひまりが俺としようが、誰としようが、兄ちゃんは気にしない」
あぁ、それめっちゃ傷ついた。そんなこと理解している。だけどまざまざと現実を突きつけられ、わたしは傷ついたのだ。
あからさまに傷ついた顔をしていたのだろう。朔ちゃんからは先ほどまでの好戦的な笑みは消え失せ、いつもの幼い朔ちゃんに戻っている。
「ごめん、悪かった。……泣くなよ」
優しい声音で慰められ、柔らかい指先がわたしの目尻を掠め、ほんとに泣いちゃってるんだ、と悟る。気づかぬうちに泣いてしまうほどショックだったらしい。
「ううん。わたしもごめん……」
今さら素直に謝れば、「諦めればいいって言ったのは嘘じゃないからな」と念を押された。
「これ以上、お前が傷つく必要はねーよ」
そうだね。わたしの心は思っていたよりずっと傷ついていたみたいだ。
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