2.

「あー、それはくらいこちゃんだね」

 そういって目の前の彼女は顔を僅かに曇らせた。

 この島ではどうやら定期的に全員が同じ食卓を囲んで朝食をとる風習があるようだ。数人の人間が慌ただしく食事の準備や片付けで駆け回っており、これは当番制らしい。昨日の饗宴で見かけなかった人もちらほらいる。朝とは思えない活力で話す者、寝ぼけ眼のまま手を動かし食べ物をうまく口に運べていない者、それぞれがそれぞれに思い思いの席に座っているが、一人で食べている人間は誰もいなかった。

 今こうして向かいの席に座って話している利発的な顔をした彼女は昨日見なかったうちの一人だ。背格好的に僕と同い年くらいなのかもしれない。黒くて長い髪に、日焼けした肌がよく似合う。赤いきのみちゃんと呼ばれているとのことで、この島で採れる木の実が好きなのだろうと僕は勝手に見当をつけていた。あだ名の付け方は皆単純だ。

「くらいこちゃん?」

「そう、暗くていつもいないから、くらいこちゃん」

 その由来はあまりに不名誉じゃないかと思ったが、彼女の表情や反応から、どうやらその子はあまり快く思われていないようなのがみてとれた。

 確かにこうやってわいわい騒ぐのが好きな人が多い中で一人になり続けるなら浮いてしまうのかもしれない。こうやって島に来たばかりの僕でさえ二回も島民あげてのイベントに参加しているのだ。隠れるのは相当難しいだろう。

 それが悪いことだとは思わないものの。

「それより魚食べないの?食べないならもらうけど」

 油断しないでよね、とにっこりと笑う彼女の白い歯がきらりと光った。


「なんで言葉が通じるのかって?そんなのあたしにもわからないわよ。まぁでもお前さんとは普通に話せるみたいでみんな良かったと思ってるさ」

「この魚がなんて名前なのか、それはそんなに重要なことなのか?俺は美味しい魚って呼んでるよ、みんなもそうだ。名前なんて大した意味もないしな。うまけりゃなんでもいいだろ」

「記憶が戻らないってそう焦ることはないよ。ここではみんな楽しく暮らしているし、君もすぐに慣れるはずだ。もちろんここに住みたいって言うなら歓迎するよ。空き家もいくつかあるしね」

 ここ数日、色々な人に色々質問してて一つわかったことがあった。

 彼らの発言の中には、常に「みんな」の存在がある。いい人も悪い人もいるし、職業、年齢、バラバラであることに違いなかったが、そうやって一人一人に区別をつけることさえ無意味なことだと、少なくとも彼らはそう思ってるようだ。長いことその考えが根付いているのか、誰一人としてそのことに疑問を持っている様子はなかった。なぜそのことに疑問を持っているのか、自分でもよくわからない。

 ぼーっと海を見ながら物思いに耽る。こうするのが僕の性に合ってるようで、ここ数日で時間を見つけては度々同じ場所にきていた。遠くの方で喧騒が聞こえる。喧嘩ではないだろう。争いは性分に合わないとか、誰かに聞いた気がする。

 なんとなくここでの暮らしに慣れてしまっている自分がいた。非日常も慣れれば日常。あと二週間もすれば、島民全員の名前も覚えられるんじゃないだろうか。人も、気候も温かかった。やはり、と言ってはなんだがみんな楽しそうに生きていると思ったのは演技などではなかったのだ。

 このままここにいてもいいのかもしれない。忘れている記憶は、必ずしも思い出したいことばかりじゃないだろうし。

 海は僕の疑問には何も答えてくれない。海は静かにそこにあるだけだ。それだけなのだが、それがいいと思えた。波の音しか聞こえない。ひたすら心地よかった。

 名前。

 区別をつけることは、無意味なことなのだろうか。

「あ」

 思い出した。

 一つだけ、気になる話があったのだ。


「君と同じようにこの島に来た人がいるのかって?そうだねえ本当に時々だけどいることにはいるねえ。みんな記憶なくしてここに来たって言うんだよ。でもここの暮らしが楽しいからすぐ馴染んじゃうんだけどさ」

「ほら、あの気難しそうな顔をした人よ。だいくさんって呼ばれてるの、この島には一人しかいないからね。無愛想だけど悪い人じゃないから、気になるなら話でも聞きに行ったらどうだい」


 だいくさん。

 僕と同じように、外から来た人間が他にもいるのだ。

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