文化の継承者
朝、目が覚めたのでリビングに行ってみるとリリーが本を読みながら何かを書いていた。本を見た時点で気がついたがこれは所謂『健全な』本ではなかった。
遠目に見ただけでもヒーローが悪人を倒しているような文章が目に入ってしまう。
「お前な、そういう本はこっそり隠しておくものだぞ?」
「そうですかね、私は全く問題無いと思いますが」
きっぱりお断りするリリー、多分何を言っても聞かないのだろう、俺はそれについて言及するのを諦め隣でペンを走らせている紙について聞いた。
「なあ、メモをとりながら本を読んでるのか?」
リリーはキョトンとした顔で言う。
「そんなわけないじゃないですか、写本ですよ。デジタルデータにすると検閲されますからね、アナログな写本の方がバレないんですよ」
はて?
「家庭用計算機に検閲プログラムは入っていないはずだが……」
妹は心底呆れた目で俺を見る。
「まさかそんな寝言を信じているんですか? 泥棒が盗んでないと言っているから盗んでないレベルの発言ですよ?」
寝言って……一応監査機関が承認を与えた計算機が配布されているはずだが……
「なあ、それでその本を写してどうする気だ?」
「売ります」
迷いのない即断だった。確かにその手の本を集めている人は多いらしいが、売るのは余りにもリスキーじゃないだろうか?
確かに、ちょーっとだけ運営に許可されている本がつまらないというのは認めざるを得ないが、禁制品の密造はペナルティ案件だ。生きていくだけなら何もしなくても良い世界で危険を冒す必要があるのだろうか。
「売るって、対価がないと売れないだろ? 何と交換するつもりだ?」
もちろん金という選択肢は無い、紙くずと交換してくれる人などもはやこの世界には存在しない。となると物品だが……はたしてここら辺にそんなに価値のあるものを持っている人がいるのだろうか?
「最近お茶が流行っているらしいので私も頂こうかと思いましてね、あ、お兄ちゃんにもちゃんとあげますからご心配なく」
「そこはあまり心配してないんだが……これが見つかったらヤバくないか?」
「まあ不味いですけどね、でも……」
「?」
「結局交換にはお互い素性を出さないのが当たり前ですからね、心配する必要もないでしょう」
「そういうもんかねえ……」
「ここいらでお互い知り合ってる人が何人いると思うんですか?」
「だれも物言わぬ民ってことか、随分と都合がいいな」
「悪いことではないでしょう?」
悪そうな笑みを浮かべるリリーに俺は返す言葉もなかった。
「それで、今どの辺まで写し終えたんだ?」
「もう九割方ですかね。アレンジを入れようか悩んだんですが私は原著に忠実に書き写すことにしましたし、もうじき終わるでしょう」
アレンジか……写本をするときにオリジナル要素を入れる事があるとは聞いたことがある。原著が散逸したものなどどれがオリジナルか分からない事態になるそうだ。
昔はそういった文化もあったらしいが文化らしい文化のなくなってしまった現代に於いてその手のことが出来る人はほとんどいなかった。
「じゃあお兄ちゃん、固形食料を出しておいてもらえますか? 後で食べておきます」
「あんまり根を詰めすぎるなよ?」
リリーはそれにサムズアップをして答えた。頼りになる妹だった。
固形食料を戸棚から出して水と一緒にリリーの近くに置いておいた。
なんだか大切なものを扱うように写本を丁寧に書き写しているリリーは変な感じだった。
味気ない昼食を終えて少しした頃、リリーが「うーん」と伸びをした。
「出来たのか?」
「ええ、写本一冊完成です!」
「どんな内容だった?」
俺は好奇心からそう問いかけた。
「兄と妹が愛の力で元人間の悪の魔王を倒す話ですね」
「元人間、ってあたりは禁書になるには十分だな」
人間同士が戦うことを決して許さないこの時代に於いて兄妹の愛がどうこうよりよほどマズい部分だった。
平和主義的な時代には決して争いを煽るような話を書いてはならない。たとえそのせいで人生がつまらなくなってもだ。
「しかしこれめっちゃ泣けましたよ! ラストのシーンを初めて読んだときは号泣しましたもん!」
「さて、それを交換するわけだが、本当に安全なんだろうな?」
「もちろんですよ! 私は足跡を残す趣味はないですからね!」
用心深いコイツのことだ、無事貴重品のお茶を手に入れてくるのだろう。しかしそれとは別に俺には本能的な不安があった。
「じゃあちょっと闇市に行ってきますね!」
言うが早いかリリーは写本を手に取りダッシュで家を出て行った。
闇市、闇という名前こそついているものの、運営はその存在を明らかに認知している。野放しにはしないが過剰な締め付けは良くないと判断したのだろう、黙認状態となっていた。
しばし、不安と共にリリーが帰ってくるのを待った。いつものことだが手持ち無沙汰になったのでティーポットとティーカップをとりだしておいた。この辺は工業製品なので割と手に入る、しかしそれに入れるものが水しか無いのですっかり価値は下落しきっている。
俺はポットに水を入れ沸かす。水は浄水されているので、こういったことでもなければお湯の需要はなかった。たまには役に立ってもらわないとな。
そうして準備が一通り終わった頃、リリーが手に袋を携えて戻ってきた。
「お兄ちゃん! これが例のブツですよ!」
「へえ……お茶を見るのも久しぶりだな」
「でしょう! 私の写本は結構字が綺麗と言うことで評判がいいんですよ!」
自慢げにそう言うリリー、俺はティーポットを見せる。
「なるほど、お兄ちゃんにしては気が利くじゃないですか、じゃあ飲みましょうか」
お茶の袋をティーポットに入れてお湯を注ぐ、いい香りが漂う。
「ティーバッグなんだな……」
「さすがに普通の茶葉はね……ちょっと高いんですよ……」
世知辛い話だ。もっとも、絶対的に供給が少ない以上どうしようもないことではある。
いつか自由にお茶が飲める日というものが来るのだろうか? そんな当たり前のことが出来ないのはなんとも不便な世の中だなとは思う。
とぷとぷと緑色の液体がカップに注がれる。いい香りが漂う、しばらく嗅いだことのない香りだった。というよりも香りというものを久しく嗅いでいなかった気もする。完全な空調、埃などの立たない管理された空間、そこに雑音のように入ってきたお茶の香りはとても心地よいものだった。
「じゃあお兄ちゃん、飲みましょうか!」
「そうだな」
俺がお茶に口をつけると味が口の中に広がる。不味かろうが臭かろうが無味無臭の食事よりは幾らかマシだと思っている、それを考慮してもお茶は確かに美味しかった。
ふと、リリーが手に持っていた袋がまだ四角く膨らんでいることに気がついた。
「あの袋、まだ何か入ってるのか?」
「ええ、次の写本を作ろうと思いまして」
どうやらリリーの芸術家性を呼び出してしまったようだ。紙さえあればまた写本を作るのだろう。俺はそれがどんなものになるのかは分からなかったが、報酬はいいのだろうなと思った。
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