芸術と検閲

 俺はその日、旧世代に思いを馳せていた。微睡みながら見る一面の草原や高高度から水が落ちていく滝、空からでは地上が見えないジャングル、そういった今では失われてしまったものが酷く愛おしかった。


『ビービービー……考え方を修正してください』


 おっと、脳内の補助チップをオフにするのを忘れていたようだ。俺はこめかみに力を入れてチップへのパスをバイパスする。


 音が鳴り止んだのを確認してから再び微睡もうとしたところで、リリーが飛び込んできた。


「ぜぇ……ぜぇ……お兄ちゃん、これを見てください!」


 リリーの差し出した本には『初心者から出来るデッサン』というタイトルの本でその上に紙と鉛筆が乗っていた。


 美術品の大半は大戦で焼失した。それを生き残った美術品も『旧世代への憧れを想起させるもの』として焼き払われてしまった。そして人類は美術品の所持を禁止されている。


 これだけなら旧世代への反対活動とも思えるが、新規で芸術品を作るのも自由ではなかった。


 ドームや地下での暮らしの賛美、医薬品が何処でもただ同然でもらえること、生きるための食料が無償で手に入ること……etc


 要するに現在の社会を賛美するもののみが許されていた。警察力がない以上強制力こそないものの、配給を減らされると言われると真っ青になる現代人にそれを犯してしまうことは避けたかった。


「お前な……外で絵なんて描いてみろよ、即ウォッチ対象になってしばらく飛行カメラに追い回されるぞ?」


 そう言うとリリーは分かっていないなあと首を振る。


「良いですか? 人物画は許されているんですよ? つまりお兄ちゃんを書くのはセーフ!」


「まあそうだけどさあ……」


 無理筋の主張のような気はするが、結婚するときに写真を撮られているので人物画が許されるというのも宜なるかな。


「で、俺にモデルになれって話か?」


「お兄ちゃんも話が分かりますね! そりゃあそうでしょう」


「そうだろうな、だって他の人にそんなもの買ったなんて話せるわけないもんな、どうせ闇市だろ?」


「その通り、物々交換で手に入れました!」


「もうちょっと物資の使い方には気を使った方がいいと思うんだがな」


 リリーは構わず椅子を俺の方に差し出す。


「ささ、ここに座ってください! 私が書きますので」


「まったく……その本は後でちゃんと処分しろよ?」


「ええ、補助記憶チップに保存が終わったら処分しますよ」


 人間の英知の極み、脳にいくつかのチップを埋め込んで演算補助に使うことで法外な計算力と膨大な記憶力が人間に与えられた。


「記憶チップをスキャンされないように気をつけろよ?」


「当たり前でしょう!」


 どうやらその不安は必要無いようだ。日記でもバレないから良いようなものなのに絵なんて描くのは危険度が高いと言える。


「とりあえず、座っていただけますか?」


「あ、ああ」


 俺は椅子に座って描かれても問題無いような姿勢の顔をした。誰にも見せないにしても失態が映ってしまうのは大きな恥だ。


「そう言えばお兄ちゃん、昔はもっと絵が自由に描けたらしいですね?」


「大分前の話だけどなそれ」


 俺が生まれた時点で絵画の統制はとられていた。宗教画も風景画も片っ端から焼かれた後で、歴史の教科書にすら載っていない。


 芸術を人の生きていく上で必要な物と言われていたこともあるが、それが必要無いことが大戦で明らかになってしまったのだった。


「お兄ちゃんは芸術品を見たことはないんですか?」


「美術館なんて施設が無い時点で察しような?」


 文化的なものは多くを消されてしまっている。生きるために必要無いものは片っ端から消されている。


 もっとも、大戦をくぐり抜けた美術館などほんの僅かで大半は核の炎に焼かれたわけだが……


「じゃあお兄ちゃんを書きますね」


 カリカリとノートに俺をデッサンしていくリリー。昔の時代は消しゴム代わりに食パンを使ったそうだが現代でそんな贅沢が許されるはずはなかった。


 カリカリ……カリカリ


 大量に使える練り消しではみ出た部分などを修正しているようだ。食べ物でなければ非常に安いので気軽に使うことが出来る。


「お兄ちゃん! 出来ました!」


「ほう、どれどれ……」


 俺はリリーの描いた俺の絵を見たが、やはりデッサンを初めてやったんだろうなと言う出来だった。困ったことにデッサンなど全くやったことのない俺には上手か下手かの区別はつかないのであるが……


「じゃあお兄ちゃん! 私はこれを部屋に貼って寝ますね!」


「その……恥ずかしいからやめて欲しいんだが……」


「しょうがないですね……枕の下に敷いて寝ることにしましょうか」


 それはそれで恥ずかしいのだが、リリーの部屋に行って俺のデッサンが壁に貼ってあると落ち着きそうにもないのでそれでいいよと言っておいた。


 俺はリリーを見送って食料の調達を考えていた。隠している本でも一冊交換材料にしようか……


 そんなことを考えているところで意識はシャットダウンした。

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