リリー、風邪をひく
眠い、眠気で気怠い朝を迎えてしまった。この調子では自己管理が出来ていないといわれるかもしれない。もう少しシャキッとしておかないとリリーまで連帯責任に問われかねない。
さすがにアッパー系のドラッグなどは治安維持で一掃されたため残っていないが、眠気を飛ばすためのカフェインの錠剤は配給されている。皆使わないのはそれがクソ不味いためだった。四の五の言える場合ではないので家の棚から錠剤を一つ取り出し水で流し込んだ。
あっという間にとは行かないものの意識が明瞭になっていき、ようやく目が覚めたところでリビングへ向かった。リリーに眠そうな顔を見せるとまたなんだかんだと詮索されそうなのでこちらを先にしておいた。
「おはよう」
「おはようございます……」
ん? なんだかいつもと違うような……
「どうかしたか?」
リリーはあれほど嫌っていたディスプレイからの下品な映像を垂れ流しにしながらぼんやりと見ていた、いつもならあり得ないことだ。
「べべべべつになんでもないですし!? いつもの私じゃないですか!?」
「いや、いつものお前はそんなに
「私にだってそんな日はありますよ!」
だってなあ……
「大体お前ディスプレイつけることなんて滅多にないじゃん、どう考えても何かあっただろ」
俺が近寄ろうとするとシュババと距離をとるリリー、なんだか顔が赤いような……今更兄妹の関係性でどうこうというわけでもないだろう。
「どうしたんだよ、そんな露骨に離れられると不安なんだが」
「だって……」
「何かあったんだろ? 話してみろ、俺は大体何でもできるぞ」
「本当ですか?」
「ああ」
そう答えるとリリーは俺に近寄り、手を取ったかと思うと自分の額に押し当てた。
「熱いな」
「ええ、風邪です」
「だったら早いところ治療を……」
「いやです! 私が風邪をひいただけで私やお兄ちゃんの管理責任が問われるんですよ! もしかしたら離ればなれにされるかも……」
「いや、そんなことはしないだろ。普通に治療を受けて終わりだと思うが」
「とにかく! 私は自力で治します!」
「自力って言ったって次の配給日は四日後だぞ? それまでに治さないとどうやったって身体検査でバレるだろ」
「それは……」
泣きそうになっていた。確かに病気にかかると医薬品を消費するのでペナルティが課されることもあるが、それを嫌って治療しないというのはあまりにも本末転倒だろう。
俺は部屋に戻り、全人民に供給されているポータブル検査キットを持ってリリーの所に戻る。
「ほら、これを舐めろ、判断はそれからだ。風邪だったら俺がなんとかするし、重病だったら素直に治療を受けろ。今じゃ大概の病気は薬を飲むだけで治るんだからな」
唾液による判定の精度はなかなかに高い。以前なら血液の採取が必要だったような病気でも唾液が一滴あれば大抵検査できてしまう。
「はい……」
ペロリと棒状になっているセンサーを舐めると体調のスコア判定が行われる。多くの病気の可能性が危険値で示され、携帯端末に一覧表示された。
「大体何の病気も心配は無いな。風邪の値が高いから多分風邪だな」
「うぅ……どうしましょう……バレたら絶対健康管理の責任を問われますよ」
「運営だって鬼じゃないんだからただ単に風邪をひいただけで責任問題にはしないだろ」
「でも……治療中はお兄ちゃんに会えないんですよ」
「数日だろ?」
「私は病院というものが嫌いなんです! 出来れば人生で関わり合いたくないんですよぅ……」
そう言われてもなあ……治療は嫌、定期検査でバレたくもない、そうなるとどうにかする方法が限られてくる。
「お兄ちゃん! お願いします! なんとかしてください!」
リリーは腰を九十度曲げて懇願した。正直なところを言えば方法が無いわけでは無い、気が進まないってだけだ。しかし、目の前の妹の笑顔を守れるならそのくらいは構わないかと思えてきた。
「分かった、なんとかしてやるから今日は寝てろ」
「はい、おねがいします!」
リリーが寝室に帰っていったのを見送ってから俺は端末に町の地図を映す。トンネルとドーム内の移動可能な箇所が表示される。目的地はギリギリ申請無しでも移動可能な範囲だった。
俺は部屋に戻って一つの箱を本棚の裏から取りだしポケットに入れてそこまで向かった。
家を出ても当然のごとく人はいない、人口自体が少ない上に区切りも悪く、あまり人のいない区画から新しい家庭に割り振られていくため、人口が増加していってもここに人が増えるかは怪しいところだった。
どんどんと裏の方のただでさえ人の少ない地域の過疎地帯に向かう。そこには人口増加に非協力的な人たちの集団が形成されていた。こう言ったグループでも冷遇はされるものの死ぬことは良しとされないのでそれなりにコミュニティとして成立していた。
その区画の端のほうに言ってただそこに立っている男に話しかける。
「こんにちは、俺は……」
「おっと、俺は兄ちゃんが誰かなんてことに興味なんて無いし俺にも興味を持って欲しくない。で、用事はなんだ」
コイツは何でも屋をやっている男だ。価値のある物と労働力や手に入りにくい物とを交換していた。もちろん価値のある物に金銭は含まれていない。
「欲しいのは風邪の特効薬、こちらが出せるのはこれだけだ」
そう言ってポケットから小箱をとりだした。
男はそれを受け取ってためつすがめつして俺に目的の薬を渡した。
「コイツは結構な紅茶のようだが……そんなものと交換したいのかねぇ……おっと、詮索は無用だったな、まあどう使おうが自由だ。取り引きは成立だ」
こうして感冒薬を手に入れ自宅へ戻る。昔は一般的な感冒に特効薬はないとされていたが遺伝子改造など様々な技術の発展で一般的に風邪と総合して呼ばれていた物の特効薬は作られた。
もっとも、真面目に身体検査を受ければ無償で支給してくれる物を嗜好品と交換したがる俺のことを不気味に思うのは理解は出来る。
「ただいま」
何も音はしなかった。個室にしっかりとした防音を施すのは結構なことだが帰宅しても声がかからないのは少し寂しかった。
リリーの部屋に向かいドアをノックする、『どうぞ』と言われたので部屋に入る。
水の入ったコップと一緒に薬をトレイに置いて渡す。
「これ……風邪薬じゃないですか! どうやって手に入れたんですか!? 風邪のことばらしたんですか!?」
「いいや、秘密は秘密のままだし気にすることはないさ。それ飲んで一日寝れば回復するだろ」
「ありがとうございます……その……闇で手に入れたなら高かったですよね?」
その言葉に俺は一言だけ返した。
「気にするな、兄妹だろう?」
リリーは頷いて笑顔になった。
「だからお兄ちゃんは好きなんですよ!」
そして翌日――
「お兄ちゃん朝ご飯ですよ!」
その声には僅かばかりも風邪の雰囲気はなく元気そのもので安心したのだった。
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