生存圏の拡大

「これにより人類は地上での生存圏を広げ~」


「お兄ちゃん! 地上で人間が生きられるらしいですよ! 地上が動植物だけのものじゃなくなるって!」


 味気ない食事をしながらリリーは興奮してそう言う。地上が核で綺麗さっぱり消し飛んで以来動植物を地上で飼育をしてきた。人間が住むには過酷な環境だったからだ。少なくとも動物なら食事が足りなくても人間の言葉で不平不満を垂れることはない。


「お前まさか地上で暮らそうとか考えてないか?」


「だって! 自然の太陽を浴びられるんですよ! ここみたいにドームに覆われてもいなければほとんど地下でもないんですよ! 最高じゃないですか」


 どうやら太陽を見たいらしい。俺だって見学の時ドーム内から僅かに見たくらいの記憶しか残っていないからな、憧れるのは理解する。しかし、それはそれとして問題がある。


「お前だって外部がどうなってるかは知ってるだろうに」


「過酷な環境でしたっけ? でも畜産は屋外で出来るんだからそれなりに人が住めるんじゃないんですか?」


「んなわけないだろ、地上は人間に文句を言わない生き物と流刑にされた人間くらいしかいないよ」


 リリーは少し考えていた。


「なんだかそれってテラフォーミングみたいですね」


「そうかもな……実際地球は一度死んだようなものだしな……」


 NBC兵器によって焼き尽くされ、微生物は滅菌され、植物のほとんどが枯れて無くなっていった、そんな地上にわざわざ行くのは流刑にされた人くらいだ。


 しかも地上への流刑は現在の人の罪で最も重いものをやらない限り送られることはない。放射線こそ減ったものの長生きは出来ないのが普通となっている。


「でもでも、太陽は眩しいじゃないですか!」


「ちなみに地表は以前あったオゾン層がとても薄くなっていてもろに有害な紫外線が降り注いでるぞ?」


 リリーはうなだれてしまった。


「希望は……希望はないんですか……」


「そんなものがあったら人類はもっと増えてるだろうな」


 希望のない世の中だから人口が増えない、人口が増えないから希望が持てない、その負のループに陥っており、運営は必死にそのループから抜け出そうとしている。その一つが出産への報酬支払いだ。


 人類の保護に躍起になっている上層部のことはさておき、しばらく無味乾燥な食事が続くのかと思うと気が重くなる。地上にいる人間達はどんな食事をしているのだろうか? もしも本物の肉や魚や野菜を食べられるならそう悪い人生ではないのかもしれないな。


「お兄ちゃん、地上に出る方法って無いんですかねえ……」


「さあてな……噂程度に聞いた話だが自分の子どもを殺した親が地上に流されたって話を聞いたかな」


 信憑性も怪しい噂だがやりかねないなとは思う。


 運営に関する不信感はともかくとして、地上が人間が平和的に暮らすにはあまり向いていないのだろうとは予想がつく。太陽線から、地上に残った化学物質、病原菌が大量にばらまかれて、挙げ句の果てに対人地雷までたっぷりときている。一応どれも対応中らしいが俺たちが生きている間には地上が変わるとは思えなかった。


「あんまり可能性の低い希望を持つのはやめた方がいいと思うぞ」


「お兄ちゃんは夢がないですねえ……そこは『俺が地上を浄化するぜ』とかいうところでしょう?」


「勝手に人をキャラ崩壊させるな。俺は人類のために命をかけるような人間じゃないさ」


「私のためならどうですか?」


 真剣な目、俺は目をそらして誤魔化した。


「可能性なら考えるのは自由だな」


 可能性は無限だ、人生は有限だがな……俺たちの生きている間にコバルト爆弾だのの出した放射性物質が消えるとは思えなかった。


「いつかは地上の草原を走りたいものですがね」


 リリーの言っていることは地上が一面の緑になっており、綺麗な草原で走り回りたいと言うことだろう。コイツは授業を聞いていなかったのかもしれないが、現在地上で育てられている植物はひたすら環境に耐えることだけを求めた強い草のみが生き残っている。


 当然だがそんな草が人間に優しいはずはない。環境再生が目的であって食用の植物は極めて少ない。この前の紅茶や珈琲が地上で栽培された可能性は低いと言うことだ。もっとも、運営がとち狂って豪奢な配布をした可能性を否定するわけではないが。


 皮肉なことに環境が破壊され地表に大量の太陽エネルギーが降り注いだ結果、地下の生活におけるエネルギーとして地上からの太陽光発電に頼っている。前時代の人間がそこまで考えていたかは不明だが、それにあやかっているわけだ。


「さあさあ、出来もしないことを望んでいないでお昼にしようか」


「また乾パンですか? 昔の乾パンはもっと美味しかったらしいですね」


「そうだな、昔のものはちゃんと香ばしい麦の味がしたらしいな」


 現在の乾パンと呼ばれているものは固形の炭水化物に過ぎない、栄養素も入っているが味のほうはモソモソする不味くない土塊を食べているようだ。


「あんまり贅沢を言うな、最高効率のエネルギー源だぞ?」


「人間が生きるだけなら生理食塩水に各種栄養を混ぜてれば生きられるんですよ、そんな人生を送りたいとは思いませんがね」


 どうやら味のあるものが食べたいようだ。ここでは無味無臭の栄養食と栄養ドリンク以外食べる機会はあまり無い。いつも通りのメニューをテーブルに置く。


「この前の紅茶と珈琲で舌が肥えたかな?」


「そうですね、これが普通のはずなんですよね……」


「でも……美味しいものを食べたり飲んだりしたらもっと欲しくなるのは普通でしょう?」


「そうだな、それが目的で人口を増やそうと躍起になってるんだしな」


 リリーは顔を赤らめてうつむいた、こういう話題になるのは分かってはいるんだから恥じらうくらいなら話を振らなければいいと思うのだが……


 まあこのくらい人の欲望を刺激する程度には連中も気が回るらしい。今にも終わりそうな世界でご苦労なことだと思う。避けられない破滅を避けようと必死にあがくものも居れば、俺のように不真面目に生きることを是とするものも居る。案外世界の終末が訪れても人類の意思の統一などできないものなのだろう。


「お兄ちゃん、何か美味しいものを持ってないんですか? 舌が何でもいいから味を求めてます!」


「しょうがないな……」


 俺は部屋へ帰っていき、小さな小さな小袋を一つ持ってくる。


「ほらお兄ちゃんは持ってるんじゃないですか!」


「はいはい、これあげるから黙ろうか?」


「なんですコレ?」


 俺の持ってきた袋に興味を持って覗いている。まあかなり古い時代の品だから無理もないか、昔の人たちの食料保存技術には舌を巻くばかりだ。


「コレはジュースだ」


「この袋一杯に入ってるんですか? 少ないような……」


「いいや、こうやって使う」


 スプーンとコップを一つ取り出し蛇口から水をコップに注ぐ。それに袋の粉を投入する。


 クルクル混ぜて出来上がり。


「ほら、コレ飲んでのんびりしようじゃないか」


 じーっとオレンジ色の液体が入ったコップを見てから一口飲んだようだ。


「すごい! 本当にジュースだ!」


「まあ昔だと小さな子ども向けのお菓子だったらしいがな、今じゃすっかり高級品になってる」


 昔は安い硬貨一枚で買えたような品だった。


「お兄ちゃんもとっていたなら言ってくれればいいのに……」


「まあお前が生まれたときの記念品だからな、それ」


「えっ!?」


「いや、昔のものだが保存は完璧だぞ? 昔の人様々だな」


「お兄ちゃん……その……思い出の品ですよね……ごめんなさい」


「いいさ、どうせ飲まなきゃただのビニール袋だからな」


「そういうところ好きですよ?」


「そりゃどうも」


 こうして午後に俺の秘蔵のジュースは一袋なくなってしまったかわりに満足感を得たのだった。

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