珈琲と紅茶は嗜好品
「お兄ちゃん! 配給をもらいにいきますよ!」
いつものことだが、何故かリリーは楽しそうにしている。
「配給なんていつものだろ? 何かいいことでもあったのか?」
「私たちの地区で一人子どもが生まれたそうです」
俺もにわかにテンションが上がる。
「おお! それは結構期待できそうだな」
人が生まれるのはめでたいということで産んだ家庭はもちろん、同じ地区の家庭も多少恩恵にあずかることができる。簡単に言えば『お前らもその家庭に感謝して見習えよ』ということだ。
前世紀なら文句の一つも出たのかもしれないが、この時代ではすっかり当たり前のことになっている。戦前は少子化が問題だったそうだが、少なくとも生きている人間が多いのに出生率が低いという問題だったので、人間全体が減ってしまった現代よりは羨ましい時代だ。
「じゃあ配給所までいくか!」
俺も内心嬉しさを隠しきれなかった。人が生まれるのはめでたいが、何より配給が豪華になることが楽しみだった。
俺たちは地下通路をたどって配給所へと向かう。途中で数家庭と出会ったがみな嬉しそうにしていた。子どもの生まれた家庭は保護地区に隔離されるので俺たちと出会うことはない、しかしできることなら配給をもらった後で感謝をしたいほどだった。
「お兄ちゃん! 急いでくださいよ!」
「はいはい、分かったよ」
リリーは足取り軽く歩を進めていく。一体何がもらえるのだろうか? 前回はスナック菓子の大袋だった。『現代と古代の金額』という授業で習ったが、そのスナック袋の金額は前時代で子どものお小遣いでも軽々買える金額だったらしい。昔の子は贅沢が出来ていたんだなと思った。
「お兄ちゃん! 何がもらえますかね?」
「さあなあ……まあいつもよりは豪華だろうな」
「ですよね! 夢がありますね」
コイツはこんな事をいっているが、子どもが生まれた家庭が一番優遇を受けることについて言及したことは無い、なんだかんだ言ってもその手のことを家庭に持ち込むには少々恥ずかしいらしい。その辺は妹も前時代的な感覚を持っていると言える。
現代においてはそんなことを言っている場合ではないが……何にせよ今日の配給を楽しむとするか。
そうこうしていると配給所にたどり着いた。配送ではないのが不便だがこればかりは安否確認もかねているのでしょうがない。最後は結局技術が発達しても人間が決断するのだから、歴史によると前大戦ではコンピュータが大量に使われたが核兵器の発射を最後に認めたのは人間だったそうだ。結局、人は人の作ったものをコントロールしたいのだろう。
配給所のドアを開けると明るい光が差し込んでくる。
「いらっしゃいませ!」
前回の人とは担当が変わったようだ。
「はい、ではこちらで体のスキャンをお願いします」
俺たちはスキャン用の個室に入ると光が体の上から差し込んで一通りのスキャンが終わる。これも在りし日の技術だった。
「お二人とも健康っと……そろそろお子さんを求めてはいかがですか?」
「いやあ、まだいいかなと」
リリーは顔を真っ赤に染めている。世が世ならこの担当の発言が問題になったかもしれないが、現代においてはリリーの方がおかしな考えとされている。
「そうですか……本日は人口増加記念に珈琲と紅茶が含まれていますよ」
「二つもですか? すごいですね」
二種類もお祝いが出ることなど珍しいこともあるものだ。
「お生まれになったのが双子でして、その分も考慮した配給となっています」
景気のいい話だ。この空もろくに見ない日常には太陽光を燦々と受けて育った植物というのは結構な贅沢品だ。もちろんこれらが屋内で紫外線ライトの下に育てられたものかどうかは知るよしもないのだが。
「お兄ちゃん! やりましたね」
「そうだな」
「ではお二人も人口増加に貢献をお願いしますね」
露骨なあいさつの後俺たちにビニール袋一杯の配給品を与えてくれる。最近の農業事情には詳しくないが、未だに嗜好品の生産ができる程度にはまともに運用できているらしい。
「ありがとうございます」
俺は一回だけお礼を言って配給所を後にした。心なしか袋がいつもより重たい気がした。紅茶と珈琲くらいで分かるほど重くはならないはずだが今の俺には心地よい重さだった。
「お兄ちゃん、帰ったら珈琲と紅茶のどっちがいいですか?」
「え、早速使うのか?」
リリーは頷く。
「当然でしょう? 生ものをとっておいても劣化していくだけですからね、無機物ならともかく、有機物なら消費の一択ですよ」
次に何時手に入るか分からないとしても今使っておいた方がいいという事だろう。刹那的な考え方にも思えるが人間が全員将来のことを考えて動くとは限らない。
「さて……どっちにするかな……」
「お兄ちゃんが好きな方でいいんですよ?」
リリーはそう言うが困った質問ではある。俺に決定権があるというのはなんとも分不相応な選択肢だ。
「じゃあ紅茶で」
別にどちらでも構わなかったのだが、リリーが昔、あれは地区で子どもが生まれた日だっただろうか、そんなときに喜んで飲んでいたような記憶があったからだ。
味のついたものというのは貴重品になってしまった。完全栄養食の固形パンと液体栄養剤でさえもらえるだけありがたいという時代において美味しいというのはプライスレスな贅沢品だ。
「そうですか、じゃあ早いところ帰りましょう!」
そういって駆け足になるリリー。俺も小走りに後を追っていった。
そうして自宅に着いたところでドアを開け、トンネルから明るい部屋に入る。
そしてリリーは俺から袋をひったくって言った。
「では早速紅茶をいれましょう! どこの紅茶ですかね……? アールグレイですか」
もちろんリリーだって産地がほとんど壊滅状態にあることは知っている、つまりは品種というものは味や香りの性質を示したものであって、そこで育てられた製品ではないということだ。
「じゃあお湯を沸かしますよ」
水、今に於いても自由に使うことができる空気と並んで貴重な資源。それをヤカンに入れ電磁調理器にのせる。数分でフツフツと沸いてリリーはその音を聞きながら紅茶をティーポットに入れた。そこにお湯を流し込むといい香りが漂ってきた。
「久しぶりに嗅いだな。贅沢な香りだ」
「そうですね、最近出生率も上がったって噂もありますしもっと貰えるかもしれませんね」
あてのない希望を言ってティーカップに紅茶を注いだ。ふわりと独特の香りが周囲に広がる。
「紅茶はいいですねえ……」
「そうだな」
その香りを嗅ぎながら俺たちはお茶会を始めるのだった。
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