妹が本を持ってきた

 俺がうららかな午後のひとときを過ごしていると、リリーが興奮気味に玄関から入ってきた。頬が上気しておりただ事ではない様子だった。


「リリー、どうかしたのか?」


「お兄ちゃん! 私たちの敷地の隅にこんな物が捨ててありました」


「はた迷惑だな……ゴミの処理にだって金がかかるんだぞ」


 不法投棄は重罪というわけではないが一応犯罪だ。ゴミ処理場は遺棄物で運営されており修繕も不可能なので自宅にある小型処理マシンを出来る限り使う決まりになっている。


「迷惑とかそういう話じゃないんですって! 捨てられてたのがこんな物なんですよ!」


 そう言ってドサドサと鞄から厚めの石版のような物が落ちていった。よく見るとそれは柔らかく、現在では植物保全のためとんと使われることの減ってしまった紙だった。


「まさか……本か?」


「少なくとも私はそう思っています」


 データ社会になってから物流を軍事以外に使うことが非推奨となり必須の食品等以外は物流に乗らなくなっていた。少なくともデータで代用がきく物はほぼ全てデータでのやりとりとなっていた。


「実物を見たのは初めてだな……なんだかざらざらしてる」


「すごいですよね! なんでこんな貴重品を捨てていたのでしょう?」


 これは……俺の感が告げている、深入りしてはいけない物のようだ、そんな感じがした。


 俺は本を見て、そのタイトルに釘付けになった。


『統制と規制、思想信条の矯正法』


『人として生まれることの罪』


 これはマズい……非常にやばいタイトルだ。なんとなく正規の処分法を使わなかった投棄人の意図は見て取れる。


「リリー、これは危険な品だ。さっさとゴミ処理機にかけよう」


 しかしそんなことを察しないリリーは首を振った。


「せっかくだから読もうと思います」


「マズいって、これは絶対思想統制の批判本だよ、大戦直前くらいにこの手の本が多かったって勉強したよ。今じゃ絶対出せない本だよ」


 特に反出生主義はヤバい、管理社会の批判などよりよほどヤバい品だ。『人は生まれるべきではない』などと言う危険思想をこの人口増加が至上命令となっている社会に、こんな本を持ち出したら思想教育を受けかねない。


「えー……そんなに危ないんですか? 別に大した情報があるとも思えないんですけど」


「いいか、この本には人は生まれるべきではないと書かれているはずだ。お前は俺の何の意味があって一緒に暮らしているか分かってるよな?」


「お兄ちゃんってば……大胆なお誘いですね……」


「そういうふざけた話じゃない。この社会にこの本の思想を出すのは危険すぎるって事だ」


「そーなんですか?」


 俺は黙って数冊の本をゴミ処理機に放り込もうとするところでリリーがその手を掴んだ。


「私が読んでからでも遅くないと思いますよ?」


 この社会に監視カメラや盗聴器はほとんど存在しない。決して犯罪抑止などと言った高邁な事情もなく、ただ単に『どこでも自由に繁殖活動を行ってくださいね』という意見から人の目のない場が大量に存在している。もちろん自宅内に監視器機をつけるのは御法度だ。


「まあ……見つからないように読むならそのくらいはいいか……」


 ため息をついてそれを認めた。あまりいいことではないかもしれないが娯楽の少ない時代だ、幻の紙の書籍ともなれば興奮するのはしょうがない。そしてそれが現在であればまず発売禁止になっているであろう品なら尚更だろう。


「お兄ちゃんはやっぱり話が分かりますね!」


 そう言って本をドンとテーブルに置いて上の一冊を取り、読書を始めた。現在の脳内に直接データを送り込む読書と違ってそれは非常に緩やかなペースで進んでいく。


 ぱらり……ぱらり……


 一ページめくる間にデータ直接なら一冊を送り込めるであろうゆったりとしたペースで進んでいった。俺も手持ち無沙汰なので一冊を選んで読むことにした。どうせやるなら共犯だっていいさ。


 その本は、経済活動について書かれた本で、人類皆が幸せになるための本だと書かれていた。おそらく大戦が起きたという事実からこの本に書かれている内容が夢物語だった、そう雄弁に語る現実がこの世界には存在している。


 読み進めると経済活動は純粋に労働の対価に時間にあわせた賃金を払えと書いてあった。なるほどある意味現在の環境はそれに近い。全ての経済活動が停止し、必要な品は統治者による配布、確かにこの理想に近いものだと思う、もっとも、作者が大戦を経験してでもこの状態になることを良しとしていたとは思えなかった。


 しかし、しかしだ……紙の本はアクセス性が悪かった。十ページ以上を一度に脳内に投影できる器機が無い時代だったとはいえ、よくこんなじれったいことができたものだと思う。


 リリーの方は興奮した様子で本を読んでいた。表紙はいたって普通の本のようだが泣くような理由があるのだろうか?


 トンと一冊読み終わって本を置いたので次にその感動できるかもしれない本を読もうかと思い手を伸ばすとリリーがそれをひっつかんでゴミ処理機に放り込んだ。


「こ、これはお兄ちゃんには早すぎます!」


 その様子で大体の内容に想像がついた。おそらくこの時代には推奨されている行為の描かれた本だったのだろう、前時代には禁書に近い内容だったものが現在ではお勧めというか推奨のようなことになっているのは皮肉な話だと思った。


 リリーはまだ二人とも手に取っていない本を一冊取って読み始めた。何故か顔を青くしたかと思ったら白黒させてゴミ処理機に全力でたたき込んだ。豪快な投げっぷりでありマシンの耐久値が心配になるんじゃないかと思える勢いだった。


「お兄ちゃん! 兄妹でそういう関係になるのって別におかしくないですよね?」


 何の本を読んだのだろう?


「お前一体何を読んだんだ……」


「うぅ……妹との恋愛小説です……その本なんですが……最後に血が繋がってるからって理由で別れるんです……」


 それはまあ、前時代には基本的な倫理観であり、当然の価値観だった。現在とはまるで違う倫理観に溢れていて常識という物も大きく変わってしまっている。


「この本は全部処分です! こんな物現代に存在していることが悪なんですよ!」


 全部の本をまとめて抱えて機械にぶち込んでしまった。


「お兄ちゃん! こんな本に影響されないでくださいよ!」


 そういうリリーだったが、それは本を読むのを止めたときの俺の台詞だった。


 全部の書籍が粉々に砕かれ、有機物と判別され再利用のサイクルに回されていった。


「なあリリー」


「なんですか……?」


「どんな内容だったかは聞かないけど俺は今の状態が間違ってるとは思わないな」


 リリーはにかっと笑って勢いよく頷くのだった。


「私も、大好きですよ……」

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