第7話
「あぁ……やっぱり。大丈夫?」
ふわふわしていた意識は、彼女の声によって引き戻された。声の方をチラリと見ると、遠慮がちに少しだけ開いた扉から半身だけだして、こちらを覗く光樹がいた。
あまりに長く風呂に入っていたから、心配をかけたらしい。
「んん…だいじょぶ。ありがと。」
少し熱いけど、私はのぼせにくい方なので滅多に風呂場で体調を悪くすることはない。でも、彼女はいつも心配して私が風呂に入ってから40分ほど経つと一度様子を見に来てくれる。
私が返事を返すと、
「そっか。なら、良かった。」
と笑って戻っていった。
その後ろ姿の影が扉越しに無くなるのを見ながら、そろそろ上がることにして湯船から出る。風呂を上がる前に、髪にかからないようにシャワーを浴びると、ぼやけていた意識がはっきりとした。
バスマットの上に立ち、バスタオルをチェストから一枚出してまず髪を拭く。タオルの上からぐ、と絞るように力を入れるとタオルにじわりと水が染みた。
いくら後で髪を乾かすからって、この行程を抜かすとなかなか苦労するからいつも忘れないようにしている。
それから身体を拭いて部屋着を着た。
基本的にパジャマはあまり着ないので、紺色のトレーナーと黒いズボンという普段着に近い組み合わせだ。
真ん中に英語で『Santiago』と印字されたトレーナーは兄からのお下がりで、そういう意味では部屋着だ。もし普段着だったら兄のお下がりはあまり着ないし、そういう少し古くなった服を利用するタイミングこそ部屋着なのだ、多分。
ドライヤーを持ってリビングに戻ると、光樹は脚を組みソファーに座って本を読んでいるようだった。美人はそんなところすら絵になるものだと思いながら近づくと、何やら分厚い本を読んでいた。
「上がったよ。次、どうぞ。」
集中してるかな、と思いながら声をかけると、少しびっくりしたようにこちらを向いてから少し逡巡したように視線を彷徨わせた。
風呂に入りたい気分ではないのかと思ったが、光樹は
「うん。ありがとう。」
と言ってスピンを挟み、立ちあがった。
彼女が風呂場につながるドアのほうに歩いていくのを見ながら、入れ替わりでそこに座った。分厚い本のタイトルは私でも聞いたことのある有名な文学作家のもので、私はこういうのはあまり読まない。
同じ読書好きでも彼女とは方向性が違っていて、彼女は小説から少し昔の文学、漫画にライトノベルなど幅広く読むけれど、私が読むのはほぼ新書か専門書だ。
だけど、一緒に住み始めてからはボリュームの少ない文学系の本を彼女から借りて、読んでみる程度にはレパートリーが広がった。これが案外面白くて、また一つ知らなかった世界を知った。
人と関わる、というのは自分の世界を広げるという事だと知った。
分厚い本をパラパラと捲る。基本的に公共のスペースに置いているものは割と自由に触っても良いということになっている。
なかなか難しそうというかボリュームが多かったので元あった位置に戻し、テレビの横に置かれた本棚として使われている真四角の棚から本を一冊だした。
まぁこれはこれで分厚い専門書なのだが、言い回しなどに著者の癖が出にくいところがこういう本の良さだ。
ソファに戻って、前に読んだときに挟んだスピンを一度取ってページを捲る。なんの専門書かといえばレポートを書いたり研究を進めたりするときに参考にする理工学系の知識のもので、中々面白い。
ペラリ。ページをめくって次のページに目を通す。本というのは集中して読むものだけど、今の私の頭は雑念でいっぱいだ。
それこそ先を急がなければならないレポートのこととか、明日の朝ごはんのこととか、暇な時にやらなければならないなーと思っていたこととか。
後は、光樹のこととか。
…ダメだ、完全にスイッチが切り替わらない。
傍に居てもいなくても、光樹のことばかり考えている気がする。
それもこれもぜーんぶ光樹のせいだ。
パタリと本を閉じ、目を瞑った。
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