第3話
———
「ありがとうございましたー。」
講義を受け終えて、最寄り駅近くの小さな古本屋でのバイトは私の今日1番の楽しみだ。
バイト先は駅の中などにある大きな書店などとの生存競争に負けそうで、ギリギリ負けない。主であるおばあさんは、今頃お茶でも啜っているところだろうか。
「亮もこっちに来なさいよ。」
不意におばあさんが、店の奥から店中に響き渡るくらいの大声で私を呼んだ。
小さな古本屋だからバイトも私以外には一人しかいない。そのおかげというべきか、私たちとおばあさんはかなり親しくさせてもらっている。
「
まあ、今はいないからいいのだけど。さっきお客さんが出て行ったばかりだ。常連の佐々木さんはいつも分厚い古そうな本を何冊か買って帰っていく。聞けば、退職してから読書が趣味になったとか。
たまに店に来ては本を眺めたり、パラパラとめくったり、今日みたいに買っていくこともある。
「大丈夫だよ。小さい店なんだから。」
おばあさんはこの古書屋を自分で経営しておきながら時々自虐ネタを挟んでくる。
確かにこの店は客自体多いとは言い難く、しかも来る客も割と常連の人が多い。
新規の客があまり来ないのは大型の古本屋のほうに流れて行ってしまうからだと思うのだが、実はこの店の品ぞろえはとてもいい。
置いている冊数は少ないながら来てくださったお客様方に満足してもらえる本を用意できるおばあさんはとてもすごい人だ。
そのおかげか、一度来ればまたこのお店に来ようと思うようで、私がここに勤め始めてから常連になったお客様も何人か知っている。
「私はこのお店がとても好きですけどね。」
「そりゃあね、そうじゃなきゃ店番なんて志願してこないだろうよ」
そう。私はこのお店に自分で申し出て雇ってもらっている。
私がここに勤めたいと思った時の、私の急な店番への志願に対しておばあさんは全く動じなかった。
ただ一言、
「今募集してないんだが。…まあいいか。どうしてこの店で働きたいんだい?」
と聞いただけだった。私が
「初めて入ったとき、静かで整然と並んだ本がとてもきれいだと思いました。とても、この店が好きなんです。」
と答えると、おばあさんは軽く目を見開いてからくしゃりと笑って
「物好きもいたもんだね。こりゃあ。良いよ、明日からでも働きにおいで。」
と言った。多分だけど私が本気だったことを察してくれたんじゃないかな、と勝手に思っているが今もなぜ雇ってくれたのかは聞いていない。
この古本屋が、私にとってキラキラしたものに見えた。
他人には、なんてことないものだって、不意にすごく良いなぁと思う事が誰しもあるはずだ。
私にとってこの古本屋はそういう場所だった。
本人にも理由は説明できなくて、でも気に入っている気持ちは確かに本物なのだ。
だから私は静かなこの店が好きで、おばあさんには悪いけど、この店はこのまま客が増えないままでもいいかもしれないと思っているのだ。
「ほら、亮もお茶飲みなよ。」
「ありがとうございます……って苦い。」
辛い、はいけるようになったのだけど、苦いのは大きくなった今でもダメだ。
「緑茶だからね。」
おばあさんは緑茶のとびきり渋いやつが好きで、飲む時はいつも渋くいれている。
私の分も用意してくれる厚意は嬉しいのだが、たまに私の好みに合わせてくれたりしないだろうかと淡い期待をしてしまう。
「そういや亮、最近あの子の話しないね。空街さん……だっけ?」
肩が少し揺れたのが自分でもわかった。
彼女の話はしょっちゅうおばあさんにしていたのだが、確かに最近は話題に出していないと思う。でも仕方ないじゃないか。会ってないんだから。
そこまで考えて、そういえばおばあさんには彼女が帰ってきていないことは相談していないことに気づいた。
相談するようなことでもないし、心配したことないし、大したことじゃない。
そう、考えながらそれは自分の強がりだと同時に自覚している。
とんだ矛盾だな、と自分でも思うけど仕方ない。
認めたくない。
彼女が自分にとって、なくてはならない存在だと思いたくない。依存しているみたいで嫌だし、負けたような気分になる。
私の様子を見ておばあさんは何かを察したみたいだった。
「ま、別に良いけど。……話くらいならいつでも聞いてやるから、なんかあったら言いなさいよ。亮はウチの従業員なんだから。」
とあきれたように笑ってからお茶を一口すすった。
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