十本目『欺かれる者』《前編》

 セオドシアとパジェットの突入から暫く経ち、ヴォゴンディの兵からの砲撃が止み、静寂が訪れた頃。待機する様に命じられた兵士達であるが、仮にも国の礎にならんとする者達である、彼女達の安否が気掛かりになって、自分達も突入しようかという話が、蟻の歩みの様に全体に広がり初め、今こそ、と握る手が痺れる程に強く武器を手に取り、突入しようとした───その時である。


「なっ、何だッ!?」

「地震ッ!? しかしこれ程のものは一度も……」

「お、おいッ!? ありゃあ一体なんだッ!?」


 突然の揺れによって急ブレーキを掛けられ、動揺する兵士達だったが、ある一人の兵士が指差した揺れの正体を目撃し、湧き上がっていた戦意を奪っていく。


「巨大な……蜘蛛……?」


 ◆◆◆



「相手してやるって──あんなデカいのどうやって相手するのさ!?」


「本来『糸を紡ぐ者チェリーザ』にアレ程広範囲に物質を操るだけの力は無い……それにさっきのダメージはそれなりに応えてるらしいぜ」


 セオドシアの言う通り、その巨躯はチェリーザを核に砦の瓦礫を、糸によって寄せ集めて出来たものである。

 しかし、セオドシアの怨念の炎は、痛みを感じぬ筈の月住人達に痛みを与え、尚且つその痛みは、であり、パジェットはかつてたった一本のナイフに込められた炎だけで、痛みの余り第一級聖遺物である茨の拘束を解いてしまった事もあった。

 ともすれば、チェリーザのアレは最後の悪足掻き───火事場の馬鹿力が産んだ代物であり、見た目にこそ圧倒されるが、瓦礫が引き剥がれ、所々に装甲の薄い部分が存在していた。


「なるほど、奴も限界が近いという訳か……」

「そゆこと、彼女の動きを止め、その後に本体を吹っ飛ばそう!!」

「簡単に言うなぁ……けど、やるしかないか!!」


 そう言いながら、三人はチェリーザに対し、各々がするべき行動を取り始める。


「その魂、主の命により返して貰う!!」


 パジェットは茨を伸ばし、チェリーザの内部に突き刺し、装甲として纏っていた瓦礫を砕いていく。


『ギィィアアアアアッ!!』


 しかし、チェリーザは悲鳴に近い雄叫びを上げると、糸によってそれらを修復し、パジェットに反撃を行う。


「成程、糸か……なら!!」


 パジェットは、瓦礫を破壊しても意味が無いと悟ると、今度はそれを修復する糸に対し、茨による妨害を試みる。


「ボクがチャンスを作る!! お前達は本体をどうするか考えろ!!」

「えぇっ!? どうにかって言われても───あっ!! セオドシア! アレ使える!?」

「ん? ───いいねぇ、折角ある事だし使うとしよう!!」


 デクスターが指し示したのは、ムグラリスの兵士達を灰に変えていった魔術兵器だった。存在する砲台は五丁。セオドシアはケースを開けると、その中に己の血液を注ぎ、その死霊達の名を叫ぶ。


「来いッ!! 『蹂躙四重奏ホワイプス=カルテット』!!」


 すると、それぞれの砲台の上には、四体のホワイプス達が姿を現し、内一体がデクスターを抱えた状態で門の上にある砲台に向かって跳び、砲台をチェリーザに向かって調整する。


「ホワイプス達に狙撃能力はない。照準もタイミングも君に合わせる様に設定したからな、外したら全弾外れて終わりだからねぇ〜。まぁ、まさかこんな大事な場面で外すわけ(笑)」

「おいッ!? わざとだろアンタッ!?」


 死地の中に置いても、セオドシアの人を食った様な調子は変わらない。

 それを見たパジェットは、苛立ちを露わにして会話に割って入る。


「おいっ、死霊術師!! 暇なら手伝えっ!! 手負いとはいえ……ぐっ……この規模は骨が折れる!!」

「えぇ〜? はぁ……こっちもあんま血を使いたく無いのになぁ───けど、骨が折れるとあっちゃあ黙ってられないぜ───来いッ!!『葬れぬ者ギガゴダ』ッ!!」


 セオドシアは、巨大な骸骨の右腕──ギガゴダを呼び出すと、チェリーザに向かって殴り掛かる。


『セオドシアァァァッ!! 私ハ───死霊術師ヲ超エル存在ニィィィッ!!』


 チェリーザは瓦礫で作られた二本の蜘蛛脚を鎌の様にして、ギガゴダに向かって振り下ろす。


「はぁ? 死霊術師を超えたかったのかい? そりゃあ───」


 しかし、それでギガゴダの拳の勢いは止まる事は無く。逆にその脚を押し退け、一番厚い胸部の装甲───チェリーザの居る核に向かって、その拳をぶち当てる。


『ヒィイイイイッ!? 火ダッ!? 火ィィィッ!?』


 チェリーザはすっかりあの炎の痛みがトラウマになっている様で、燃え移った瓦礫を捨て、別の無事な瓦礫で装甲を埋めて行く。


「無理でしょ、確かに物質を操る君の能力は死霊術師っぽいけれど……けど、ぽいだけじゃあねぇ……と言うわけで、死霊術師検定不合格の君には、参加賞をくれてやるよ!!」

『ッ!? シマッ───!!』

「──撃てぇッ!!」


 デクスターは、まだ修復途中のチェリーザの装甲目掛け、砲台に備え付けられた引き金を引くと、雷光にも似た光が五つの砲台から一斉に放たれると、装甲を貫き、中に居たチェリーザに命中する。


「キャアアアアアアアアッ!?」


 チェリーザは、泥を拭き取った後のボロ雑巾の様な色になるまで真っ黒に感光された状態で引き摺り出され、そのまま力無く地面に堕ちると、青白い光が出て来る。するとそれをセオドシアはギガゴダで握り潰し、己の中に取り込んだ。


「それじゃあね、夜明けの世界でまた会おう……いやぁ〜、ナイシュー! デクスター君! これで誘拐分はチャラにしといたげるよ〜!!」

「はぁ〜……初めて使うから当たるか心配だったよ……今更震えてきた……」

「フン……しかしこれで一件落着………………とは、いかないみたいだな」


 そう言うパジェットの視線の先に居たのは、拳骨で倒れた筈のリゲルが起き上がっており、風に揺らめく程の瀕死の肉体を引き摺って、セオドシア達に一丁の拳銃を向けていた。


「はぁ……はぁ……!! よくも……よくも母さんを殺したなッ!?」

「え? お母さん……? もしかして、あの子も糸に操られてるんじゃ……!?」

「いいや、チェリーザは死んだ……彼は本気で彼女を母親だと思っているのさ……」

「え……? どういう意味だよ、それ……?」


 デクスターにそう問い掛けられ、セオドシアは写真立てをデクスターに向かって放る。受け止めて見てみると、中には一枚の写真が入っていた。

 茶髪の赤ん坊と───それを抱える母親らしき女性───かつて、似たような境遇だったデクスターは、すぐにそれが何を意味するかを理解し、同時にサーッと血の気が引いていく。


月住人ムーン=ビーストになってしまったのか……この子のお母さんは……」

「あぁ、なまじ言葉を喋れたのが輪をかけて不味かったね。母親の魂に成り代わり、あんな異形の存在に成り果てようとも彼女を──……」

「母さんを怪物みたいに言うんじゃねぇ!! そんな目を俺に向けるな!! 俺は───騙されてたわけじゃない!!」


 ムキになって彼女達に反論する彼の言葉には、まるで説得力がなかった。

 自分だって本当は気付いているのだろう、気付いていて、敢えてその嘘に縋ったのだ、信仰の無い人間が、絶望から抜け出す為には神様偶像に縋って頼むみたいに───彼の場合、母を失った絶望の中縋ったのは、その母親の姿をしたナニカだったのだ。セオドシアはそんな彼に対して、厳しい現実を容赦なく突きつけた。


「あの子は君の母親の肉体を依代にしたチェリーザと言う月住人……それ以上でもそれ以下でも無いし、ましてや君の母親じゃあない。君の妄想に私達が付き合う義理も無い、そこを退きたまえ」

「妄想だと───俺から───俺から全てを奪った癖に!!」


 そう叫びと同時、リゲルが引き金を引くと銃が火を噴き、セオドシアに向かって弾丸を飛んでいく。


「なっ!? セオドシアッ!?」


 しかし、セオドシアにその弾丸が到達するよりも早く、パジェットがその弾丸を掴み取り、セオドシアはギガゴダの右腕でリゲルを握りしめ、人差し指と親指を使って拳銃を持った手に力を込め、拳銃を手放させ無力化させる。


「ぐあぁ……ッ!?」

「ナイス退魔師〜! けど、弾丸素手で受け止めんのは流石にゴリラ過ぎて引いた」

「……お前、本気で一回撃たれとけ」

「よかった……流石パジェットさん……」


 パジェットの咄嗟の行動にホッと胸を撫で下ろし安堵していると、遠くの方からガチャガチャと言う金属音を引き連れて、兵士達が砦の門から入って来る。

 その中には、デクスターもよく知る顔が一人、馬に跨って現れる。


「イアンさん……!? どうしてこんな所に……」

「戦争で一役買った功労を称えに来た……ってわけじゃあ無いみたいだねぇ?」


 兵士達の無愛想で、無機質な銃口が、全てセオドシアに向けられ、その場には先程リゲルのそれとは違った緊張感が流れていた。


「セオドシア・リーテッド───その少年を掴む異形の右腕を操っているのはお前だな? 俺にはそいつが退魔師の扱う聖遺物とかには見えねぇんだが……何か俺とコイツらを納得させられる言い分はあるか?」

「どういう意味……? この緊迫感は一体……」


 状況があまり飲み込めていないデクスターがそんな風に呟くと、パジェットが何故こんな雰囲気になっているかの説明をする。


「デクスターは人里を離れた所に居たから知らんか……五年前、謎の死霊術師によって暗闇に覆われたのをきっかけに、『死霊術を行使する者、又はその疑いのある者は死罪、もしくは無期懲役が課せられる』……という法が新たに定められてな……」

「そんな……!!」


 そこまで聞いて、デクスターはそれ以上余計な事を言わないよう自分自身の口を噤む。デクスター自身、自分が嘘を吐くのが苦手な事を理解しているからだ。事実、デクスターは生まれてこのかた嘘を吐いた事が無く、周りに居た話し相手と言えば父親だけであり、その父に対して嘘を吐こうと思った事すらなかった。そんな彼が、セオドシアは死霊術師でないと説得するのは無理な話であり、死霊術師というのが真実なだけあって、尚更黙るしかなかった。


「ん〜……参ったね……誤解しないでくれ、これは───」


 セオドシアが事情を説明しようとした───その時だった。


「───ァァあづいッ!? あづいぃぃぃッ!?」


 突然、ギガゴダに握り締められていたリゲルは白目を剥き、泡を吹きながら空を見上げ、ガクガクと痙攣を始めた。

 その様子は見るからに普通では無く、兵士達は真っ先にセオドシアを疑った。


「お、おいっ!! 今すぐにその少年を放せッ!!」

「疑われている……し──セオドシアッ!! 今はそいつを解放するんだ!!」

「今やって──……」

「ドォっ───ぷぅ───」


 ギガゴダの中で苦しみもがいていたリゲルは、その顔を葡萄の様に腫れ上がらせ、叫ぶ事もままならなくなると、


「オッ──ガァ──ヂャ──」


 空気を引っ掻く様な声を出し、そのまま手榴弾でも呑み込んだ様に、


 ───パァンッ!!


 と、その場に居る全員の目の前で破裂してみせた。


「ヒ、ヒィッ!? 人間を───人間を破裂させたぞッ!? 間違いないッ!! 死霊術師だッ!!」

「おいおい、ちょっと待て!! 今のは何かの手違いで───」

「───ハッ!? 馬鹿ッ! よせぇぇぇッ!!」


 セオドシアが説明しようとした瞬間、兵士の一人が引き金を引き、鉄の杭を勢い良く打ち出した様な、どん、と破裂する様な音が聞こえる。

 そして、撃ち出された弾丸はセオドシアの白いローブへと飛び込み、そこから滾々こんこんと流れ出る血によって、ドス黒い赤に塗り変わっていく。


「───あっ、いけね。洗濯しな───きゃ───」


 セオドシアはワケの分からない事を言うと、糸を切られた操り人形の様に、グニャリとその場に倒れ込むと、


「────セオドシアァァァァッ!!」


 腹の底から一気に喉元へ突き上げた様な、そんなこの世のものとは思えないデクスターの絶叫が響いた。

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