九本目『大口を開く者』

 ムグラリス家の当主イアンは、屋敷で執事リンゴからの戦況報告を聞いていた。


「イアン様、ヴォゴンディ家の戦力に月住人が居たとの伝令が届きました……」

「何……? あの狸、勝ちを焦ったか……この戦いどう転んでも議員所か、国民からの信用も失くすぞ……しかし、月住人相手は不味いな……例の退魔師達に連絡を───」


 リンゴにそう命令しようとすると、リンゴは弱った様な顔をしながら口を開く。


「それが……既に仲間の救助の名目で現地に到着している様で……兵士達に対して指示を出したとの報告も……」

「何? ……いや、そうか……わかった」


 イアンは口元に手を当て、頭の中のメモをペラペラとめくる。

 この前、彼女達が討伐したと言う禿鷹の月住人と遭遇したのは、丁度イアンから討伐の命を受けた直後の事だった。それに聞けばアイウスに入国する際も、今まで一度も月住人に襲撃されなかった船が、彼女達の搭乗して初めて襲われたと聞く。それに続いて今回の件であり、イアンは何か裏を感じずにはいられなかった。


「どれも必ず先手を取れている……偶然か? それとも……」


 窓の外、太陽に照らされたこの国の更に外に居る彼女達に対し、イアンは何か嫌な予感を感じとっていた……。


 ♦︎♦︎♦︎


「ここかッ!? 違うか……もぐもぐ……じゃあここッ!? むぐもご……あえ、ほほへもはいは〜……」


 そんな疑いを掛けられているとはいざ知らず、セオドシアはと言うと、兵士達が使う食堂を見つけ、


「デクスター君が隠されているかもしれない!!」


 と言う名目で、確認の米の入った釜を開け、卵を割り、葱やハムをバラバラにして念入りに探したが見つからず、代わりに炒飯が出来上がってしまった。


「けっぷ……もうお腹いっぱいだな……デクスター君を見つけても、これじゃあ野菜スープが飲めないな……腹八分くらいに抑えとくべきだった──お?」


 炒飯の入っていた中華鍋を持って廊下を歩いていると、目の前から青みがかった黒髪を持つ少年──デクスターが弓を背負って歩いて来るのが見えた。


「あれ? なんだよ、私達が来る前に脱走しちゃったの? 全く、死霊術も聖遺物も無く良くやるねぇ〜?」


 セオドシアがそんな風に声を掛けると、デクスターはふがふがと空気の抜けたゴム毬を潰す様な声で、


「セオ……ドシア、か……? 来てくれたのか……」


 途切れ途切れにそう答えた。


「何だよ元気ないな? 君もお腹減ったの? ごめんね、さっきまで炒飯があったんだが食べ尽くしてしまった。けど大丈夫、帰ったらあの退魔師の金で焼肉を食べよう。知ってるかい? 金払って渡された高い肉を自分で焼いて食べるセルフ方式で成り立つ店が存在するんだよ、多分君も気にいるぜ」


 そんな台詞を笑いながら吐き、振り返ってパジェットも居る外に向かって歩き出す。


「……くっ……あっ……」


 デクスターは背負っていた弓を静かに構えると、彼女に向けてキリキリとその弦を振り絞る。だと言うのにセオドシアは頭の陽気に鼻歌を歌い、自身の背後に向けられたソレに気付いていない様子だった。


「──避けろォォォッ!!」


 デクスターが叫ぶのと同時に、矢はセオドシアに向け放たれる。


「───来い、『三位一体の者スリペクトゥム』」


 あともう少しで矢が彼女を貫こうという瞬間、セオドシアの呼び掛けに応え、キメラの月住人、スリペクトゥムが天井を突き破って現れ、その矢を掴み、へし折る。


「やれやれ、念の為呼び出しておいて正解だったな……」


 セオドシアはそう呟きながら振り返り、デクスターを見てみると、デクスターの体を、白い糸の様なものが蝕み、彼の肉体を無理矢理操っている様だった。


「やはりか……『糸を紡ぐ者チェリーザ』!! そこに居るんだろう? 大人しく───大人らしく出て来なよ」

「───流石はセオドシア様、かつてはと肩を並べた存在なだけはある」


 そんな声が聞こえると、廊下の先から女郎蜘蛛の姿の月住人、チェリーザが鈍重な動きと共に現れる。


「チッ……やめてくんないその言い方、まるで今じゃ私がそいつらより劣ってるみたいじゃん。それに、デクスター君の前でそいつらの話をするのも無しだ」

「おっと、まだ伝えていませんでしたか……これは失敬、確かにただの人間には刺激が強すぎる話ですものね……」


 彼女達の話の内容を、デクスターは殆ど理解出来なかったが、どうやらあのチェリーザという月住人とセオドシアはなんらかの知己の仲らしい……だがそれは今の彼にとっては最優先に考える事ではなく、今彼を悩ませているのは、自由の効かない自身の肉体に対してだった。


(クソっ! 自分の体じゃないみたいだ!? これだけ力を込めているのに、まるで動きやしない……!!)


 そんな風に必死で足掻くデクスターを見て、チェリーザは頬の隅に皮肉な笑みを住まわせながら、その巨体を折り曲げ、デクスターの顔を覗き込む。


「無駄ですよ、それはある粘菌と大型草食動物の筋組織をサンプルに作られた特製の糸でしてね。物質内部に食い込み、自在に操る事が出来るんです……勿論、人体だってこの通り───」


 チェリーザがそう言って指を指揮棒の様に振ると、デクスターの肉体は無理矢理動き出し、セオドシアに再び矢を向ける。


「ぐっ!? また……!!」

「ははっ、デクスター君に私を殺させようって? それとも私に殺させたいのかな?」


 チェリーザは愉快そうな声で笑い出す。


「さぁ、どちらにせよ愉快な結果になる事を期待しています」


 デクスターはチェリーザに操られ、再びセオドシアに向けて矢を放つ。

 それに合わせてスリペクトゥムも走り出し、矢を叩き落とすと、そのままチェリーザに向けてファリスの刃を風を切って振り抜こうとする。


(やはり本体を狙いますか──しかし───)


 チェリーザは右手の指をつぼみの様な形にしながら引くと、彼女の目の前にデクスターが飛び込み、その首を刃の前に晒す。


WOWゥワーオッ!? 避けてぇぇぇッ!!」


 セオドシアはスリペクトゥムの骨をバラバラに分解し、デクスターの首を飛ばすのを危機一髪で回避する。が、分解され無力化されたスリペクトゥムをチェリーザは見逃さず、その糸を用いて、再び元の姿に戻らぬ様、壁に括り付ける。


「あっ、返せよ!? その子スペック高いってのに、影から移る者クラヴィスの時だってあんまり活躍出来なかったんだからな!?」

「あらっ、それはごめんなさいね。けれど、これで丸裸……どうやって矢を防ぎますか?」

「なっ──セオドシア!! 逃げて!!」


 デクスターのそんな言葉とは裏腹に矢を弓に携え、その弦を引いて放つ。


「チィッ!! 面倒臭いなぁ!!」


 セオドシアはケースを盾代わりに突き出し、矢を受け止めると、そのままデクスターに向かって走り出す。


「血迷いましたか!! 死霊を封じられ、何が出来ると言うのです!?」

「封じる? どこ見て言ってんだい──!!」


 セオドシアが指を鳴らすと、スリペクトゥムを封じていた糸が、突然青白い炎によって燃やされる。


(ッ!? 分解された状態でも火を扱えるのか!?)


 炎によって糸から抜け出したスリペクトゥムは、分解された状態でチェリーザを押し潰さんと飛び掛かる。


「しかし学習しませんね!! 少年を盾に取れば──……」

「チェストォォォッ!!」


 チェリーザはデクスターを糸で引っ張り、盾にするべく前に持って来るが、セオドシアはデクスターに向かってドロップキックを喰らわせる。


「グハァッ!?」

「なっ!? グッ──ギャアアアッ!?」


 文字通り盾を吹き飛ばされたチェリーザは、その肉体をスリペクトゥムの骨に押し潰され、苦悶の叫びを上げる。


「へへっ、ざまぁみろ……っと、全く虫ってのは潰そうが燃やそうが、アンデットよろしく、しぶとく動き出すから敵わないね……」


 チェリーザが怨念の炎によって燃やされているにも関わらず、彼女の糸はデクスターの肉体を蝕み、セオドシアに馬乗りにされても尚、矢を手に持ち、彼女に突き刺そうともがいていた。


「ぐっ……ごめんセオドシア……僕……」

「君も大変だなぁ、てか君、矢を射って獲物を仕留めるより、眼球に矢を突き刺して仕留める方が多くない? ……まぁ、後は私に任せな」


 セオドシアは自身の腕をデクスターに噛み付かせると、傷口から血液を流し込む。


「───ただし、ちょ〜っと……痛いけどね!!」


 セオドシアがそう言うと、デクスターの体を、先程チェリーザの糸を燃やしたものと同じ青白い炎が呑み込んだ。


「グァアアアッ!? セオドシアッ!? 何をッ!?」

「ハーイッ、痛いねぇ、けどそれバイ菌が消えてる証拠だからねぇ〜、頑張ってね〜」


 痛みで暴れるデクスターを抑え、セオドシアは看護師が患者に掛けるような台詞を吐くと、みるみる内にチェリーザの蜘蛛糸が炎によって消されていく。


「ふぅ……やっぱりこういうのは、熱消毒に限るね」

「はぁっ……はぁっ……殺す……気、か……」

「フフフッ、そしたら死霊術の素材にしてやるから安心したまえよ」


 何が大丈夫なのか、セオドシアは冗談なのか本気なのか定かではない台詞をおどけた声で飛ばす。


「さて、いつまで寝てんだい? さっさと帰るよ、あのゴリラも外で待ってるからね」

「ゴリラってパジェットさんの事……? 何でいつもそんな喧嘩腰なの? いつか後ろから刺され──る──」


 デクスターが上半身を起き上がらせると、セオドシアの背後を見やると、顎が落ち、瞬きを忘れた眼をする。


「ん? どうかした───」


 そんな表情をするデクスターを見たセオドシアは、自身も振り返り、その驚愕の正体を目にすると、おかしくもない笑いが込み上げ、


「──マジぃ?」


 と、ただ一言発した。


 ♦︎♦︎♦︎



「さて……そろそろあっちも終わる頃合いか……」


 リゲルに拳骨を喰らわし、見事勝利を収めたパジェットは、そのままこの子供を見捨てておく事も出来ず、肩に担ぎ、自身も砦の中へと乗り込もうとする。


 ───が、扉に向かった瞬間、轟然たる大音響が大地をつんざき、それを阻む。


「何だ……!? 地震!?」


 すると、砦の扉が開かれ、中からセオドシアとデクスターが何かに追われる様に一目散に走って出て来る。


「デクスター!? 無事だった──「そんなの後々!! 今は走れぇぇぇッ!!」──は?」


 パジェットは二人の様子に戸惑いながらも二人を追い掛けようとするが、それよりも先に砦が蠢き、その形を変えていく。

 その姿は───。


「蜘蛛……!?」

『セェェェオォォォドォォォシィィィアァァァァッ!!』


 巨大な蜘蛛の形を取った砦は、セオドシアの名前を叫び、彼女の背中を圧倒的なが大口を開けてぐんぐんと迫ってくる。


「名前なんか叫んじゃってさぁ!! モテる女は困るね全く……!!」


 ───しかし、迫りくる死等、死を超越する死霊術師である彼女にとっては、恐るものではなく、寧ろ嬉々として受け入れるべきものである。


「セオドシアッ!? 何を……!?」

「アレは私をご指名だ──なら、相手してやらなきゃねぇ?」


 そう言って彼女は立ち止まると、その向かってくる死を見上げ───。

 顔の半分が口になるくらいの大口の笑顔でそれと対峙したのだった。

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