恋愛あるある② 看病-1
無事に一夜を明かした六人はそれぞれの小屋を出る。昨日の吹雪が嘘のように外は晴れやかで、気持ちのいい風が吹いていた。雪も全く残っておらず、まるで小屋で一夜を明かせるためだけに都合よく降った雪のようだった。
「これは……カップルをくっつける為に誰かが仕込んでいるな」
「ええ。何もかも不自然すぎるもの」
カート達の後ろで、レティリエとグレイルがヒソヒソと小声で話す。記憶が戻った二人はこの違和感だらけの状況の意味に薄々気が付いていた。だが、とりあえずカップルの距離が縮まれば記憶は戻るわけなので、二人は余計なことはせずに静観することにしていた。
サクサクと草を踏みしめながら森の中を歩いていく。景色は先程とは全く変わらない。ということは、次の条件をクリアしないと先に進めないのだろう。何か手がかりはないかと、グレイルとレティリエがキョロキョロあたりを見回していると、突然背後で誰かが倒れる音がした。
「アルテーシア!」
セスの声が聞こえる。慌てて振り向くと、アルテーシアが地面に膝をついて苦しそうに息を吐いていた。
「ルシアちゃん、大丈夫?」
「セス、何があった?」
「わかりません、隣を歩いていたら急にアルテーシアが倒れて……」
慌てて彼女のもとに駆け寄るが、顔は真っ青で呼吸も荒い。レティリエがそっと額に手を置くと、まるで燃えるように熱かった。
「大変! 熱があるわ!」
「えっ! 早く休める場所を見つけないと!」
レティリエの隣でフィーネも慌てた声をあげる。と同時にフィーネの隣で歩いていたカートも「うっ…」と一言唸って地面に膝をついた。
「すみません、僕も……」
「カート!」
フィーネが涙声でカートの体を支える。急な体調不良に全員で狼狽えていると、グレイルが鼻をひくつかせた。
「火の匂いがする……! あっちに民家がある!」
グレイルが指差す方を見ると、森の終わりが見えた。具合の悪いアルテーシアをセスが、カートをグレイルが背負い、慌てて建物を目指して走る。森を抜けるとそこは平地になっており、不自然に三棟の小さな家が建っていた。
「またこのパターンか……」
グレイルが呆れたように呟く。だが、病人がいる以上迷っている時間はない。セスに指示を出し、グレイルは建物の中に入った。
中は簡素な作りだった。部屋は一つしかなく、大きなベッドと小さな椅子、そしてテーブルと簡易的なキッチンしかない。テーブルの上には、ご丁寧にもまだ湯気の出ている温かいスープが置いてあった。
サイドテーブルの上には薬の小瓶。明らかに看病してくださいと言わんばかりの雑な作りにため息をつきながら、グレイルはベッドの上にカートを横たえた。後ろからついてきたフィーネが目に涙を溜めながらカートの側に駆け寄る。
「カート! 大丈夫? 死なないで!」
「フィーネ……大丈夫だよ……心配かけてごめんね……」
ポロポロと涙を流すフィーネに、カートが笑って優しく涙を拭ってやる。とりあえずフィーネにこの場を任せることにしたグレイルは家を出て、セスがアルテーシアを連れて入った家をノックした。だが、不思議なことに中からの返事はない。騎士道を叩き込まれたセスなら礼を欠くようなことをしないはずだと不思議に思いつつも、ドアノブに手をかける。だが、扉には鍵がかかっており、ガチャガチャと虚しい音が響くだけだった。
「ダメよ、グレイル。そこ、もう開かなくなっているわ」
背後から声がして振り向くと、レティリエが不安そうな表情でたっていた。
「開かなくなっている? セスが閉めたのか?」
「いいえ、多分特定の二人が入れば自動的に閉まるようになっているみたいだわ。さっきセスさんとルシアちゃんが中に入った後、私も入ろうとしたら鍵がかかってしまったの。セスさんはルシアちゃんを抱いていたから鍵はかけられないはずよ」
「なるほど……そういうことか」
グレイルが呆れ顔でため息をつく。昨日から全くひねりのないベタすぎる展開が続いているが、もうこれは受け入れるしかないのだろう。
グレイルとレティリエは仕方なく、残った家の中に入っていった。
※※※
アルテーシアをベッドに寝かせたセスは、側に置いてあった椅子に腰掛けた。アルテーシアが重たげに瞼を開け、セスを見上げる。彼女が瞬きをする度に長いまつげが揺れていた。
「アルテーシア、具合はどう?」
「ええ、まだ頭は痛いですが、だいぶ楽になりました。セスさんのおかげですね」
そう言って弱々しく微笑む彼女は何ともいじらしい。普段の凛としたアルテーシアも美しいが、少し弱っている姿も儚げで、まるでたおやかな一輪の百合の花のようだった。
(何考えてるんだろ、俺……)
不謹慎にも彼女の美貌に見惚れてしまったのが恥ずかしくて、セスは思わずうつむいた。アルテーシアも、部屋に二人だけしかいない状況に気がついたのか、頬を赤らめながら布団にくるまる。
言葉には出さないが、二人がこの状況を意識しているのは明白だった。彼女は今何を思っているのだろうか。このふわふわした空気を変えたくて、セスが口を開いたその時だった。
がうがう! と吠え声がして、何か灰色のものが勢いよくアルテーシアのベッドに飛び上がる。その小さな生き物の正体を見て、二人は目を丸くした。
「シッポ!」
アルテーシアの膝の上に乗っていたのは、小さな灰色の子狼だった。小柄ながらも目はキリッと釣り上がり、セスを睨みながら牙をむく。
「シッポ、どうしてここに!? どっから来たの!?」
「ちょっと待って下さい。セスさんはシッポをご存知なんですか?」
「あれ? そう言えば俺、なんでこの子がシッポってわかったんだろう」
アルテーシアがブルーグレイの瞳を丸くすると、セスも訝しげに首をかしげる。そもそもこの閉じられた空間のどこから彼は来たのだろうか。だがそんな些細な疑問は、シッポがアルテーシアに飛びついて鼻を擦り寄せた所でどこかへ行ってしまった。
「きゃぁ! もう、ちょっとシッポったら! くすぐったいわ」
大好きな飼い主に甘える子狼に、アルテーシアがクスクスと笑う。慣れ親しんだ子狼の存在は、彼女の心を随分と軽くしてくれたようだった。愛らしい二人の姿に、セスの顔も自然とほころぶ。
「仲間と会えて良かったね、ルシア。そうだ、良かったらスープ飲む?」
「え? ええ、そうですね。いただきます」
シッポを抱きしめながらアルテーシアが返事をする。声色がさっきより明るくなっているのが嬉しい。セスはテーブルの上に乗っているスープ皿を手に持つと、ベッドの側へと近付いていった。だが、アルテーシアの手からピョンと床に飛び降りたシッポが、行く手を阻むようにセスの前に躍り出る。
「う〜! がうがう!」
「うわっ! ちょっとシッポ! 危ないよ!」
「シッポ、だめですよ、セスさんはいい人なんですから」
スープがこぼれないように慌てて体制を整えるセスの横で、アルテーシアがめっ!とシッポをたしなめる。だが、小さな
「うわっ! いってぇ!」
「きゃぁ! セスさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。甘噛みだから」
心配そうな顔をするアルテーシアに、セスが無理やり笑顔を作る。ちょっぴり痛かったのは間違いないが、それでも小さくても狼だ。シッポが本気で噛めば大怪我どころではすまなかったことを考えると、彼もやはり本気ではなく、セスにヤキモチを妬いてるだけなのだろう。そう思うと、唸りながら自分に牙を剥いている子狼も可愛く見えてくるものだ。セスはとりあえずスープをベッドのサイドテーブルに置くと、屈んでシッポと目を合わせた。
「ごめんねシッポ。でも、俺は君のご主人を絶対に傷つけたりしない。だから、ちょっとだけ側にいても良いかな?」
セスが優しく声をかけると、シッポがぐるると唸る。だが、次第に声は小さくなっていき、やがてゆっくりとセスに近づくとその鼻先を擦り寄せた。どうやら許してもらえたらしい。足元でクンクン鳴いているシッポを優しく撫でると、セスは立ち上がってベッドの近くの椅子に腰掛けた。一連のやり取りを見ていたアルテーシアが大きな目を丸くしている。
「セスさん……!」
「何? ルシア、どうかした?」
「い、いえ……その、セスさんは優しい人なんですね……」
「そ、そうかな? でも別に俺だけが特別なわけじゃないよ。俺の兄さん達の方がうんと立派な騎士だし」
そう言ってセスは優しく目を細める。多分、セスは謙遜……ですらなく、本気でそう思っているのだろう。整った顔立ちと陽の光を反射する銀の長い髪。一見女性にも見えてしまいそうな美しい容姿をしているが、その胸の中には芯の通った騎士道精神があるのを感じて、アルテーシアはキュッと胸の前で手を握った。
「あ、そういえばスープを飲むんだったよね。ごめん。はい、まだ温かいうちにどうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
セスがスープ皿を手に持ち、美味しそうな匂いのするスープを一匙掬う。そのまま彼女の口へ持っていった瞬間、セスはハッとして手を止めた。
「あっご、ごめん。俺が食べさせるわけにはいかないよね」
「えっ? あっそ、そうですよね。すみません」
アルテーシアも控えめに口を開けて待っていた自分に気付き、慌てて口を閉じる。そのまま二人で真っ赤になりながら顔を見合わせ、やがてプッと吹き出した。
「あはは、ルシアももしかして期待してた?」
「ええ。私も自然に口を開けていました。なんだかセスさんなら大丈夫な気がしてしまって」
そう言ってアルテーシアがクスクスと笑う。その笑顔が可愛くてつい見惚れていると、アルテーシアが頬を赤らめながら右腕を差し出した。
「セスさん、キスしてもらえますか?」
「え……? キスって……」
「先日礼をとって頂いた際に遠慮してしまってすみません。もう一度、騎士としてご挨拶していただけますか? ベッドの中からで、申し訳ないのですが」
「いっ、良いの?」
驚いてアルテーシアを見ると、彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。その愛らしい表情にドキリと胸が鳴る。急激に鼓動を打ち始めた心臓を抑えながら、セスはアルテーシアの手を取った。白魚のようなほっそりした指がなんとも美しい。内心でドキドキしながらも、セスは目を瞑ってそっと手の甲に口付けた。
陶器のような滑らかな肌が唇に触れる。しっかりと彼女に礼を尽くし、顔をあげようとした途端にふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐった。
「え……?」
一瞬何が起きたのかわからなかった。視界に映るのはアルテーシアのピンクのドレスと白くて細い首筋。額に柔らかくて温かいものが触れ、ゆっくりと離れていくのがわかった。最後に子猫の毛のように柔らかい金髪が頬を撫でて離れていき、そこで初めてセスは自分に起きた出来事を理解した。
「アルテーシア……もしかしておでこにキス、してくれたの……?」
思わず額に触れながら彼女の顔を見ると、アルテーシアがはにかみながらコクリと頷いた。少しだけいたずらっぽく笑う彼女の表情に、胸がカッと熱くなる。
(どうしよう……俺……)
不甲斐なくもどうして良いかわからず、セスが俯いたその時だった。
突如、ズキリとこめかみが痛み、セスは思わず頭に手を当てた。途端に今までの記憶が頭の中に流れ込み、セスはハッとしてアルテーシアの方を見る。彼女もブルーグレイの目をパチクリさせながらセスの顔を見ていた。
「ア、アルテーシア……」
「セスさ……いや、セス、ですよね? この記憶……私達、今までお互いのことを忘れていた、ということでしょうか」
「どうやらそうみたいだね。なんで記憶が戻ったのかわからないけれど……」
セスが呟くと、アルテーシアが何かを考え込むように口元に手を当てる。
「もしかすると、お互いに気持ちが通じ合った時に記憶が戻るのかもしれませんね。手の甲と額ですけど、その、お互いにキスをしたわけですし……」
「確かにそうかも。俺もキスした時、正直に言うとルシアにドキドキしていたし。ん? あれ、お互いに気持ちが通じ合った……ってことは、もしかして」
彼女の言葉の意味を理解し、顔を真っ赤にしながら言うと、アルテーシアが恥ずかしそうに布団を引き寄せてその中に身を隠す。
「はい、私もセスにドキドキしていました」
「えっ……と、それはもう一度俺のことを好きになってくれた……ってことで、いいのかな?」
「はい。そう、受け取ってもらっても構いません」
「ええっ」
アルテーシアの不意打ちの言葉に、セスの胸がカッと熱くなる。元々恋人同士ではあったし、キスだってしたことがあるのに、このふわふわとした甘く落ち着かない空気は何なのだろうか。
男として、騎士としてかっこよくエスコートしたいのに、うまく言葉が紡げない。口をパクパクさせながら真っ赤になって彼女を見つめていると、アルテーシアが頬を赤らめながらくすりと笑った。
「セス、私スープが飲みたいです。スープのお皿を取ってもらえませんか?」
「あ、ご、ごめん。そういえばそうだったね。はいどうぞ。自分で食べる?」
「いいえ。セスが食べさせてください」
「え? 俺が?」
「はい。私は病人ですもの」
そう言って可愛らしくクスクスと笑った後、アルテーシアがセスを見つめる。スープ皿を持ったまま固まっているセスを見てもう一度微笑むと、アルテーシアは上品に小さく口を開けた。そのふっくらとしたさくらんぼ色の唇にセスの心臓がまたも大きく跳ねたが、慌てて深呼吸をするとゆっくり口にスープを入れてやった。
「ふふ、美味しいです、ありがとうございます」
「後はこの薬を飲めば良いのかな。ゆっくり休んでね。俺はここにいるから」
「はい。セスがいてくれるなら安心です」
そう言って二人で笑い合う。アルテーシアのベッドの上で成り行きを見守っていたシッポが、安心したのかふああっと大きくあくびをした。
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