4・別れ
その日も、とても寒かった。
家の中で寒さをしのごうとしていたあたしは、
外の様子がいつもと違うことに気が付いた。
窓から見てみると、そこには―――腕に腕章を付けた人々が、列を作っていた。
町のユダヤ人たちが、家を追い出され、どこかへ向かっていたのだ。
あたしの心臓は、止まりそうになった。
すぐに、家を飛び出し、外へ出た。
家を出て行くユダヤ人の周囲には、ナチスが何人もいた。
ナチスは、列になって進んでいく人々に対し、乱暴な言葉を浴びせた。
「急げ、薄汚いユダヤ人ども!」
「早くしろ、ユダヤの豚が!」
ナチスに罵られながら、進んでいくユダヤ人たち。
そんな彼らの姿を、周囲から、ポーランド人たちは黙って見ていた。
その光景を家の前で見るあたしを、両親が連れ戻そうとした。
あたしは、それを振り切った。
そして、人々の列を見つめ………見つけた。
その中に、レメックとその家族を。
あたしは、声の限りに叫んだ。
「……レメック!」
すると、レメックは、こちらを振り返った。
その腕にはユダヤ人であることを示す腕章があり、
あたしを見た瞬間、満面の笑顔が浮かんだ。
「……アネタ!」
彼が、あたしの名前を呼んだ。
次の瞬間、あたしは駆け出した。
レメックも、こちらに向かって、走ってきた。
そして、あたしたちは、冬の空の下で、思い切り抱き合った。
「レメック!」
「アネタ!」
二人とも、久しぶりに会えたことを分かち合うように、お互いの名前を呼び合った。
「レメック…!」
あたしは、やっと会えた彼を、力いっぱい抱きしめた。
「会いたかったよ、レメック」
レメックの体は、少し痩せたようだった。
けれど、その腕には、力があった。
あたしは、その腕に、力強く包み込まれた。
「僕も会いたかった……」
レメックの声は、泣いているようだった。
見ると、その瞳は、震えていた。
「レメック…?」
目にたくさんの涙を溜めているレメックを、もう一度抱きしめようとした、
次の瞬間…その背後から、レメックのお父さんがやって来た。
「レメック、さあ…もう、アネタにお別れしなさい」
そう言うと、レメックの腕を引き、列の方へ引き戻そうとした。
レメックのお父さんは、泣いていた。
「…嫌だよ」
レメックの目からも、涙がこぼれた。
あたしは、それまで、彼が泣いたのを見たことはなかった。
涙を流すレメックは、お父さんに抵抗しながら、あたしの手を握った。
「アネタ…」
「レメック」
あたしは、レメックの手を握り返した。
しかし、すぐに、二人の手は離れてしまった。
あたしも、後ろから父につかまれ、無理やりレメックから引き離された。
列の方からは、ナチスの急き立てる声が聞こえていた。
「…レメック!!」
あたしも、いつの間にか、泣いていた。
「行かないで、レメック」
レメックが、どんどん離れていってしまう。
せっかく会えたのに、いなくなってしまう。
あたしは、泣き叫んだ。
「いや……!レメック―――!!」
その時だった。
レメックが、お父さんの手を振り切り、人々の列をかき分けて、
あたしのところへ駆け寄ってきた。
そして、あたしの手を強く握りしめ、透き通った涙を流しながら言った。
「アネタ……また、会おう。
必ず、帰ってくるから。戻ってくるから。
絶対に、君に会いに来るよ」
「レメック……」
レメックは、泣きながら、笑った。
「だから……笑って、お姫様」
次の瞬間、
レメックはナチスにつかまれ、乱暴に列の中へと戻されてしまった。
そして、彼は行ってしまった。
いなくなってしまった。
「レメック…レメック……レメック――!!」
冷たい地面に崩れ、あたしはずっと叫び続けた。
レメックとの時間は、わずかだった。
しっかりと別れを告げることも、出来なかった。
「大好き」と伝えることも、出来なかった。
こうして、レメックは、他のユダヤ人たちと共に、消えてしまった。
町から、ユダヤ人は一人もいなくなった。
一気に何人もの人がいなくなったというのに、毎日は淡々と進んでいった。
ナチスに支配された日々は、続いていった。
あたしたちポーランド人は、ドイツのために働かされることになった。
子どもでも、強制労働から逃れることは出来なかった。
課せられた労働がきちんと出来なければ、
強制収容所へと送られることになっていた。
あたしは、収容所へ行きたくないという一心で、農作業の労働を必死にやった。
水や食べ物もろくに与えられない中での労働は地獄同然だったけれど、
みんなと同じように、自分なりの力を尽くして頑張った。
あたしは、いつも、レメックのことを思い出すようにしていた。
レメックも、今、きっと頑張っているはずだ。
だから、あたしも頑張らないと……また、会うために。
レメックが「また、会おう」と言ったことを、あたしは忘れていなかった。
彼がいなくなってから、胸が張り裂けそうなほど辛い時もあったけれど、
また、会うために、ただ、そのために、
倒れそうになっても、踏ん張った。
そんなある日、父が、労働のためにドイツへ送られることになった。
父は、もう、あまり「ユダヤ人だから」とは言わなくなっていた。
理由は、よく分からない。
けれど、それまで自分がユダヤ人に対して抱いてきた偏見や差別を、
少し反省したようだった。
出発する前、父はあたしに言った。
「アネタ……悪かったな。
お前は、「悪い子」なんかじゃない。
お母さんのことを、頼んだぞ」
父がいなくなり、あたしは母と二人きりになった。
母は、父がいなくなったショックと、戦争中のストレスで、
当初と比べると弱々しくなっていた。
あたしは、そんな母を励ました。
「お母さん…お父さんは、きっと帰ってくるよ。
みんな、きっと戻ってくる。
また、元通りになるよ」
母は、泣きながら、あたしを抱きしめた。
そんなことをされたのは、ずいぶん久しぶりのことだった。
戦争が始まって、辛いことや、悲しいことばかりだった。
けれど、そんな中で、あたしは年を重ねていった。
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