前日譚(Ⅲ)

ピチャ ピチャリ


地下水であろう水滴の落ちる隧道を進むトミーと摩沙巳。

工事のお蔭で、僅かながらではあるが構内には灯かりがある。


「もう少し、奥か・・・」

「トミー・・・。何だか、嫌な気配がします・・・」

「・・・」


ひしひしと迫って来る暗闇のような圧迫感と息苦しさ。

常人であれば感じる事の無い違和感が祓魔師である2人にははっきりと分かる。


「居るな・・・」

トミーが十字架を翳しながら進む。

「こんな所で憑代など無いだろうに・・・」

摩沙巳の声が坑道にこだました。


無いだろうに・・・。無いだろうに・・・。無いだろうに・・・


一瞬の沈黙の後・・・


キョエェェェェェッ!


鼓膜を引き裂かれそうな咆哮が聞こえた。


「実体化していない? いや、憑代無しで時空を超えたのか?」


パチ・・・ パチ・・・

何かが爆ぜるような音が聞こえ、坑道の照明がボンッ・ボンッと音を立てて割れていく。


「しまった・・・。摩沙巳、何処だっ?」

「トミーっ! ここですっ!」

摩沙巳が持っていた懐中電灯をトミーの声が聞こえた方向へと向ける。


「な・・・っ!?」

懐中電灯の光は、トミーが持ち掲げていた十字架を闇の中に照らし出す。

だが、それを見た2人は絶句する。


「十字架が・・・」

「折れ曲がっている・・・」

トミーが掲げていた十字架は、まるで旧ナチスドイツの紋章(ハーケンクロイツ)の様に少しずつ確実に折れ曲がっている。

しかも、更に折れ曲がりトミーの指に絡みつこうとしているのだ。


「トミーっ! 危ないっ!」

その光景を見た摩沙巳は聖水の入った小瓶の蓋を開け、十字架を持つトミーの手へと振り掛ける。


ジューッ!


まるで硫酸を掛けたかのような異臭と煙を出し、やっとの思いでトミーの手から十字架が外れた。


「摩沙巳、こっちへっ!」

目では見えなくとも、何か凶大な力を持ったモノが近付いていると感じる2人は、奥の暗闇に向かって祈りの言葉を捧げる。

トミーが摩沙巳を庇うように前に出る。


「我らは神の子。我らは光の子。汝、我らの前から消え失せんっ!」

「大いなる神の聖名において、我は汝に命ずるっ! この場より立ち去れっ!」


聖書を手に、十字を切り聖水を空間に飛び捧げながらの祈りが続く。

だが、敵の気配は弱まるばかりが強まって来ている。


「汝、名を名乗れっ! 我、神の御許にて汝の名を問うっ!」


トミーにも摩沙巳にも油断はあった。

多少なりとも、祓魔師として認められているという自負心。

そして二人いれば、という甘い考えが・・・


なぜ、自分達が調査だけを命じられたのか・・・

その理由を痛感したのだ。


悪魔との闘いは、相手の名を知らなければ勝ち目が無い・・・

古今東西の霊的な戦いとは、相手の名を知る事が最も大切である。

名を呼ばれる事により、持っている力を発揮しにくくなるからである。


トミー・・・

マサミ・・・


漆黒の闇の中で2人の名が呼ばれる。


「っ!?」

「しまったっ!?」


相手の名を知る前にこちらから自らの名を教えてしまっていた迂闊さに唇を噛むトミー。


(こうなったら、摩沙巳だけでも無事に帰さなければ・・・)

迫りくる悪意の塊の前に自分の聖書を立て、結界の礎にしようとするトミー。


(まだ、表は陽の光が届いているはず。 今の内に摩沙巳を外に出せれば・・・)

「行けっ、摩沙巳っ! お前が出るまで、ここは食い止めるっ!」


地面に立てた聖書の上から、持っていた小瓶の聖水を全て振り掛けるトミー。


「天にまします我らが神よ。願わくば、この哀れな子羊の全てを以て、悪鬼を妨げる障壁を築かせ給えっ!」

「トミーっ!私もっ!」

「何を言ってる! 早く外に出ろっ! 摩沙巳、この事をバチカンにっ!」

「トミーを置いてなんて・・・。行けないっ!」


摩沙巳を振り返った瞬間、トミーの集中力が途切れる。


ズウーンッ!


重苦しい重低音が響き、あの笑い声が聞こえ、トミーは跳ね飛ばされた。


キョエェェェェェッ!


(駄目だ・・・、もう・・・。摩沙巳・・・。早く・・・、逃げてくれ・・・)


地面に叩きつけられたトミーの視線に映ったものは、フラフラと立ち上がる摩沙巳の姿であった。


(摩沙巳・・・、何を・・・?)


立ち上がった摩沙巳は虚ろな表情で何かを呟き出した。


「オン クロダノウ ウンジャク・・・」


(何だ、何が起きているんだ・・・)

「オン シュリ マリ ママリ マリシュシュリ ソワカッ!」


その直後に、摩沙巳の後背に燃え盛る紫の炎が現れた。


ギョエェェェェェッ!


摩沙巳の後背に燃え上がった紫の炎は瞬く間に襲い掛かろうとしていた影を跡形も無く焼き尽くしていく。


(摩沙巳・・・、お前は一体・・・)

そのままトミーの意識は薄れて行く。




「おい、大丈夫か?」


頬をペチペチと叩かれる衝撃でトミーは目を覚ました。

「こ・・・、ここは・・・?」

ぼんやりと開いた目には、真っ赤な夕焼け空が広がっている。

「そうだっ! 摩沙巳はっ!?」

「連れの女か? 大丈夫だ、そこに居るよ」

意識を失っているようであるが、確かに無事なようだ。


「全く、あんたら何してたんだ?」

トミーを覗き込んだ顔には見覚えがあった。

「田部・・・、さん?」


「何だか知らんが、隧道の中で男と女が倒れてるって電話があったから来てみたら・・・」

「誰が電話を・・・」

「名前は名乗らんかったらしいが・・・。おっ、救急車が来たぞ。これで安心だ」


救急隊員によりストレッチャーに乗せられ病院へと向かう中、あの紫の炎は一体、何だったのかとトミーは考える。

そして、泰三に電話した人物とは・・・


いずれにしろ、バチカンが本格的に動く事になると思うトミーであった。




「運の良い奴等だな・・・」

「でも、ベルゼブブ様ぁ。あのウコバクとはいえそれなりの力ですよぉ。それを・・・」

「バチカンの祓魔師共の力では無い・・・。あの炎だ・・・」

「何なんですかぁ、あれ?」

「・・・、この国の神といったところか。・・・面白い」

「面白い・・・ですかぁ?」

「ワレもまだ完全な復活には程遠い。しばらくは、より良い憑代を探すとしようか・・・。リリスっ!」

「はっ、はいっ!?」

「ワレの為に尽くせ・・・」

「勿論です、ベルゼブブ様ぁ」


「峰流馬と言ったか・・・。そしてあの祓魔師の女・・・」

「マサミって言ってましたねぇ」

「しばらく、見届けておけ・・・」


果たして、ベルゼブブは何を意図しているのであろうか・・・




救急搬送され手当てを受けたトミーと摩沙巳は3日程で退院した。

その2人が向かった先は、バチカンである。


12選定枢機卿と教皇の並ぶ間にトミーと摩沙巳も居る。


「トミー・ジョセフ・オルガンチノ。報告を」

教皇の言葉を受け、あの隧道での事件を報告するトミー。


「やはり、悪魔の復活か・・・」

「しかし、魔王と呼ぶ程のものでは無いようだが」

「いや、分からん。力の全ての復活を待っているとも考えられる」

「もしかすると、手下の悪鬼という事も・・・」

ざわめく枢機卿達・・・


「アストロジー(占星術師)を・・・」

教皇の言で1人の男が入室する。


(盲目の占星術師だと・・・)

トミーに緊張が走る。

なぜなら、あの悪魔との闘いの事は報告しているが、意識を失った後の摩沙巳の行動とあの不思議な呪文、そして後背に現れた紫の炎の事は意図して報告していないのだ。


「ほう・・・」

盲目の占星術師の顔に僅かな笑みが浮かんだ。


「教皇様・・・」

占星術師は教皇を呼び、そっと何かを耳打ちする。

一瞬、教皇の表情が固くなったがすぐに軽く頷いた。


そして・・・


「トミー・ジョセフ・オルガンチノ。日本へ戻り引き続き、エルバとしての活動を・・・」

「承知致しました」

恭しく頭を下げるトミー。


「烏藤摩沙巳・・・」

「はい」

「日本へ戻り、東京・海運寺へ参りなさい」

「海運寺?」

「アストロジーが星の巡り逢いを見ました」

「わかりました」

「それと・・・。新しい名を・・・」

教皇のその言葉を聞き、居並ぶ枢機卿達が一斉に立ち上がり聖書に手を置く。


(これは・・・!?)

トミーも驚き、慌てて立ち上がり自らの聖書に手を置く。


「烏藤摩沙巳、汝に『シスター・ルチア』の名を授け日本のエルバを命ずる」

「えっ!?」


枢機卿達もトミーも恭しく頭を下げている。


「あの国の未来・・・。いや、世界の未来を背負う事になるかも知れません」

そう言うと教皇は黙ったまま退出し、枢機卿達もその後に続いた。



トミーと摩沙巳、2人だけが残った部屋で・・・


「トミー、これは? 一体?」

「分からない・・・。でも、何かが起きている」

若い2人の祓魔師はこれから起きる壮大な運命の渦に巻き込まれていく事になる。




「教皇様・・・」

「何か?」


 別室へと移った教皇の下に若い修道士がそっと近寄る。

「パルミラの遺跡で、あの像が・・・」

「やはり、そうでしたか・・・。下がりなさい」

「はい・・・」

若い修道士が退室したのを確認した教皇が呟いた。

「やはり、ベルゼブブが・・・。おお、神よ・・・」




日本へと戻ったトミーは、これまで通りに神戸・有馬温泉でパン屋を営んでいる。

そして、摩沙巳は・・・


教皇の指示により海運寺へと参った時、ここで偶然出会った不動院家の一族と今後も深い関わりを持ち続ける事になる。


同家を通じて国家公安委員会心霊対策部零課の設立に大きく寄与するとともに、ある教会に孤児院を併設し、【聖テレジア学園】と名付けるのは、もう少し後の話である。




※本話は、【東京テルマエ学園】の『第7話 ミネルヴァ誕生秘話』とリンクしております ※

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