乙十葉の章(其の一)
ミネルヴァこと峰流馬の唯一の妻であり、後に如月夏生の母となる峰乙十葉。
元は地元を代表するレディースの総長である。
そんな彼女が流馬との恋に堕ち、夏生を産んだ後にその短い生涯を終える迄の物語を今宵は語る事と致しましょう。
1975年(昭和50年) 愛知県某市――
国道23号線を走る一団があった。
統一された紫の特攻服を風に靡かせ縦横無尽に走り抜けて行く。
先頭を走るのは、レディース『鬼死面』(きしめん)の総長・瀧本乙十葉である。
愛車のマッハⅢの排気音を夜空に響かせるその姿は、『爆走女神』の異名を取る。
後続のバイク群は、「夜露死苦」や「鬼魔愚零」「仏恥義理」の旗を立ててその後を追う。
総勢、100台近くのバイクが走る光景は幻想的でさえあった。
銀城埠頭へと向かう『鬼死面』、だがその先には・・・
「走死走愛」「愛死天流」「愛羅武勇」の旗を立てた一団が道を塞いでいた。
「ちっ! 『雨異露雨』(ういろう)! 玖美かっ!」
乙十葉が吐き捨てるように言うが、どこか嬉しそうでもある。
「玖美!、うちのシマでデカイ面するんじゃねぇよ!」
「上等だぁ、乙十葉! 今日こそ、ケリつけてやるよ!」
互いのバイクから降り、啖呵を切り合う2人。
その後ろにはゾロゾロと互いのメンバーが集まって来る。
「行くぞっ、てめぇらぁっ!」
「やっちまぇっ!」
乙十葉と玖美の号令を待っていた2チームのメンバー達が武器を手にぶつかり合う。
木刀を持つ者、チェーンを振り回す者、角材やヌンチャクなどが入り乱れ打ち下ろされ、怪我人も多数に及ぶ。
大乱闘の最中、一斉にサイレンが鳴り響き周囲を赤いパトライトが取り囲んだ。
「ヤバイ! マッポかっ!?」
「畜生っ、張ってやがったなっ!」
乙十葉と玖美が同時に叫んだ。
『鬼死面』と『雨異露雨』の抗争激化を重く見た県警が一斉摘発に乗り出したのだ。
「皆、散れっ!」
「一旦、引くよっ!」
互いのチームのメンバーを逃がそうと声を枯らして叫ぶ2人だが、パトカーからは次々と警官が降りて来てチームのメンバーを逮捕していく。
(マズイ・・・)
県警が本気である事は見て取れていた。
乙十葉と玖美は無言で視線を交わす。
(逃げ切れよ・・・)
(無事でな・・・)
言葉を交わさずとも互いの意志が伝わって来る。
颯爽と愛車のマッハⅢに跨った乙十葉は警官の包囲網を縫って走る。
だが・・・
「チクショー! 放しやがれっ!」
バイクに跨る前に玖美は警官達に取り得さえられ、パトカーへと乗せられている。
「『雨異露雨』の御子柴玖美を確保!」
警官が無線機で話す声が聞こえる。
横目でそれを見た乙十葉が心の中で叫ぶ。
(玖美!)
「『鬼死面』の瀧本乙十葉は!?」
「依然、逃走中!」
(終わりだ・・・。『鬼死面』も『雨異露雨』も・・・。いつまでも族、やってられないんだな・・・)
この日、愛知県警は500人以上の警察官を動員していた。
これにより、事実上 レディース『鬼死面』と『雨異露雨』は歴史の幕を閉じたのである。
早朝 香嵐渓――
昨晩の取締りを逃げ切った乙十葉は1人山道を走っていた。
(皆・・・。玖美・・・)
考え事をした乙十葉の目前を一匹の狸が走り抜けた。
「何っ!?」
キキキーッ!
「うわあぁぁぁぁっ!」
咄嗟の事でブレーキを掛けたが避けきれず、乙十葉は慌ててハンドルを切る。
しかし、バイクはガードレールにぶつかり乙十葉の体は宙に投げ出された。
(あたしもこれで終わりか・・・)
ガサガサガサッ!
投げ出された乙十葉だが、幸運にも沢へと落ちる前の幾本かの木の枝がクッションとなり決定的な致命傷を受けずに済んだ。
そして、もう一つの偶然もここに重なる。
「おいっ!大丈夫か? しっかりしろっ!」
偶然通りかかったのは、峰流馬 当時23歳・・・
瀧本乙十葉との運命ともいえる出会いの瞬間であった。
△△病院――
(・・・? ここは?)
目を覚ました乙十葉が顔だけを動かして周囲の様子を伺う。
手足には包帯が巻かれている。
顔半分にも包帯が巻かれているようだ。
「病院・・・?」
「おっ、気が付いたか?」
ベッドの傍らに居た男が声を掛ける。
「いや、無事で良かったよ。しかし、あんた凄えな。」
「何が・・・?」
「あの高さから体ぶっ飛んだってのに、骨折一つ無しなんて・・・。不死身か?」
笑いながら気さくに話す流馬。
「あんたは?」
「俺か? 俺は峰流馬。ただの通りすがりだよ」
「じゃあ・・・、あんたがあたしを助けてくれたの?」
「救急車呼んだだけ。他は何もしてねぇよ」
その屈託の無い笑顔に思わず乙十葉も笑みが零れる。
「あたしは、瀧本乙十葉。昔から、悪運だけは強くてね・・・。でも、あんたは命の恩人だよ。有難う」
「よせやいっ、照れるじゃねぇか。あっ、そうだっ!」
流馬が思い出したかの様に語り出す。
「あんたが落ちて来て直ぐに、狸の親子? が心配そうに擦り寄ってたんだぜ」
「狸?」
「あぁ、何だか礼でも言いたそうに・・・」
(子狸だったのかな・・・。まぁ、無事なら良かった・・・)
その後、しばらく会話らしい会話は何も無かった。
ただ、黙って同じ時間を共有していたのである。
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