ゆかりの章(其の二)

「はぁ~、もうっ!」

ゆかりが不満げに愚痴っている。


「ヤレ華道だのヤレ茶道だのって・・・。おばあちゃんって、煩すぎっ! もう、うんざりっ! そう、思わないっ!?」

愚痴の相手は、二人乗りしている自転車のBFである。


「旅館の跡取り娘って大変なんだな・・・。ゆかり、かわいそっ!」

「でしょー。そうだよね~」

溜息をつくゆかり。


中学生となったゆかりは沢山のBFに囲まれているのが日常だった。

当然、女友達からは敬遠されていたが、一向に気にする気配も無い。


キキーッ!

自転車が止まる。


「ゆかりっ! 着いたよっ!」

「さんきゅ~」

自転車から降りたゆかりは人目も憚らずに軽いキスをする。

真っ赤になるBF・・・


「ありがとね。バイバーイ」

嬉しそうに自転車で走り去る後ろ姿を見送るゆかり。


「男なんて、馬鹿ばっかり・・・」

ゆかりにとってはBFなど十把一絡でしかないようだ。



「ゆかり? 帰ったの? おばあちゃんが呼んでるの、早く来なさいっ!」

維織の声が聞こえる。

「今、行きますっ!」

【季・たちばな】の門を潜った瞬間から、先ほどまでの自由奔放は鳴りを潜め、維織と一緒に大女将の待つ部屋へと急いだ。



「維織とゆかりです」

「入りなさい」

襖を開け、部屋に入ると長い髪の女の子が座っていた。


「この娘はね、私の知り合いの娘なんだけどね・・・」

大女将は言葉を選びながら話し始めた。


「旅館をしてた両親が急に他界して・・・。うちで引き取る事にしたんだよ。住み込みの仲居として働いて貰うけど、ゆかりとも齢も近いし・・・。色々と教えてやっておくれ」


ゆかりが女の子を見る。

「叶・・・、紗矢子。19歳になります。宜しくお願い致します、若女将・・・。ゆかり・・・さん」

流れるよう仕草で、下座・和・最敬礼を行う紗矢子。


両親を亡くしたばかりというのに屹然とした態度を示す紗矢子にゆかりは好感を持った。


「こちらこそよろしく。紗矢子ちゃん、私もゆかりで良いわよ」

笑顔で挨拶するゆかり。

「そんな! 恐れ多い・・・」

恐縮する紗矢子を見て、維織も微笑む。

「呼び捨てもしにくいでしょうから、ゆかりちゃんで良いんじゃない」

「えっ・・・。でも・・・」

「じゃあ、それで決まりね!」

「さんせーい!」

ゆかりと紗矢子、宿命とも言える2人の出逢いであった・・・




2008年・ゆかり 17歳――


高校生となり更に美しさに磨きのかかったゆかり。

仲居頭として頭角を現した紗矢子。

姉妹のように仲睦まじく過ごしていた2人であったが、思わぬ魔の手が忍び寄っていたのだった。


22歳となった紗矢子に好色な大悟が目を付け何度も何度も口説いていたのである。

だが紗矢子はそれを上手く躱し続けていたのだったが・・・



その頃、維織の体にも異変が訪れていた。

病魔に蝕まれていたのである。

病名は『スキルス性胃癌』、発見時にはステージ4であり既に手遅れの状態であった。

そして、医師からの宣告は・・・

「余命1ケ月・・・」

この時、維織は運命の糸車を更に加速させる決断を下していたのである。



「じゃあ、痛み止めの注射をしますね」


発見された時には既に治療不可、それならば最後まで【季・たちばな】に居続ける事を望んだ維織は医師による往診で自らの体の持つ限り、次の事を考えていた。


「ゆかり・・・。紗矢子を呼んできて・・・」

ベッドの上に座るのも辛い筈なのに佇まいを崩さない維織の言葉に黙って頷くゆかり。



「若女将、お呼びでしょうか」

ゆかりに連れられて紗矢子が部屋に入る。


「紗矢子・・・、そこに座って・・・。ゆかりは少し席を外して頂戴、紗矢子と2人だけで話したい事があるの・・・」

弱々しい声の維織。

最早、激しくも美しかった母の面影はもう無かった。


腑に落ちないと感じながらも、ゆかりはその言葉に従って退室する。

だが・・・

(お母さん、紗矢子ちゃんと何の話を? 何だろう、胸騒ぎがする。ごめんなさい、お母さん)

ゆかりは部屋を出ると直ぐに裏庭へと移動し、維織と紗矢子の居る部屋の縁側から側耳を立てる。



「若女将・・・。お話というのは・・・?」

遠慮がちに口を開く紗矢子、何か心当たりがあるかのようだ。


「大悟の事です・・・」

ジッと見つめる維織、紗矢子は視線を逸らせない。

(若女将・・・。やはり、ご存じだったのですね・・・)

紗矢子の顔が見る見る蒼ざめていく。


「申し訳ありませんっ! 若旦那とは・・・、一度だけっ!」

目に涙を浮かべながら土下座する紗矢子。


(紗矢子ちゃんとお父さんがっ!? そっ、そんなっ!)

衝撃の言葉を聞き、居た堪れなくなったゆかりはその場から逃げるように走り出した。




ゆかりに盗み聞きされていたとは露ほども知らない維織と紗矢子――

「若旦那は・・・。若女将との事で・・・」

「分かっていますよ、紗矢子・・・」

「えっ!?」

「元はと言えば、私が大悟に指一本触れさせなかった事が原因・・・。紗矢子にも辛い思いをさせて、ごめんなさい」


紗矢子は無理やりとはいえ、一度は関係を持ってしまった事をずっと悔やんでいた。

大恩ある維織に、妹のように可愛がっていたゆかりに対して・・・


「貴女にもっと辛い事を頼みたいのです」

「ゆかりちゃん・・・。ですね」

「私はもう長くありません・・・。大悟の下に嫁いで、この【季・たちばな】を・・・。ゆかり一人前になるまで・・・」

「若女将・・・」

「身勝手なのは分かっています。でも、頼れるのは貴女しかいないの・・・」

やせ細った手で紗矢子の両手を包み込み何度も何度も懇願する維織。


「若女将、本当に私で良いんですか?」

何かが吹っ切れたように、キリッとした強い意志を見せる紗矢子。


「お願い・・・。紗矢子・・・」

「分かりました・・・。私がこのこの【季・たちばな】とゆかりちゃんを若女将の変わりに守りますっ! 例え、ジョロウグモと呼ばれても・・・」

「ありがとう・・・」

紗矢子の言葉に弱々しい笑みを浮かべる維織。

だがその笑顔は全てを託せる相手を見つけたという満足の笑みであった。


心残りもなくなって安堵したのであろう。

その夜、維織は静かに息を引き取った。

享年39歳、永遠の別れであった。




※本話は、【東京テルマエ学園】の『第11話 えっ!?  これがコンパニオン?』とリンクしております ※

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