― アナザー・ストーリー ― (テルマエ学園β)

和泉はじめ

ゆかりの章(其の一)

テルマエ学園の第一部で妖艶な魅力を振り巻いていた、橘ゆかり。

ホステスから、【テルマエ学園】の担任と数奇な運命を辿った事は皆様もよくご存じかと・・・

では今宵は、ゆかりの出生から母との永遠の別れ、この辺りから彼女の半生を物語っていく事に致しましょう・・・



1991年・群馬県のとある産婦人科――


オギャア~ オギャア~


ある運命の星の下に新しい命が誕生した。


「おめでとうございます。可愛い、女の子ですよ」

女医が母親に緑布で包まれたばかりの赤子を手渡す。


「私とあの人の娘・・・」

母親は愛おしそうに我が子を抱きしめる。


母親 橘維織 21歳


娘 橘ゆかりーー


一見すると幸福そうに見えた母子。

だが私生児として生まれたゆかりは誰からも祝福されない運命をこの時から既に背負っていたのだ。



一か月も過ぎた頃であろうか、維織の母である女将が結婚話を持ち込んでくる。

維織の生家は、草津温泉でもよく知られた老舗旅館【季・たちばな】である。

その一人娘が父親の分からない娘を出産したなど、とても受け入れられる筈も無い。

世間体を守る為に、無理やり作り上げた縁談であった。



「私は例え、お母さんの命令でも、どなたとも結婚するつもりはありません!」

母親の女将が無理やり進めようとする縁談に頑なな態度を取り続ける維織。

全く聞く耳を持っていない。


「維織っ! お前はこの【季・たちばな】をいずれは背負って行く身なのですよ!」

女将の顔が上気している。

「それなのに、どこの馬の骨とも分からない男の子供を身籠り産むなど・・・。何て、ふしだらなっ! 良い面汚しです!」


「お母さんは世間体が大切なだけでしょうっ!」

反論する維織。


「私生児なんて・・・っ! 絶対に認めませんっ!」

青筋を立てて睨む女将。

だが、維織も一歩も引く気配は無い。


「まぁまぁ、待ちなさい」

維織と女将の話が平行線のまま、一向に歩み寄る気配がないと感じた父親が間に割って入る。


「維織の娘、ゆかりは私達にとって可愛い孫娘じゃないか・・・」

「そ・・・、それは・・・」

「ゆかりに罪はない。それに、いずれは維織の跡を継ぐのだから・・・」

「私だって・・・。孫娘が可愛くない訳じゃ・・・」

女将からその言葉を聞き、ゆっくりと頷く父親。

改めて、維織に向き直る。


「維織も考えてみなさい・・・。父親の居ない子として、ゆかりを育てるのかい?」

「でも・・・」

「父親が居ないなんて、ゆかりだって可哀そうじゃないか・・・」

「・・・」

唇を噛みしめる維織。

ゆかりの事を出されると反論のしようが無い。


もう、自分だけの問題で無くなっている事は分かっていた。

そして、最早、自分の我儘が通らなくなっていた事も・・・


「分かってくれるね? 維織」

父親の言葉に黙って、コクリと頷く維織。


それを見て、ホッとした表情になった女将が、ここぞとばかりに話し出す。



「番頭見習いの榊原大悟が、ずっとお前の事を好きだったらしくてね。 お前と結婚して、ゆかりも自分の娘として育てると言ってくれてるわ」


女将の言葉を聞きながら、虚ろな瞳で宙を見つめる維織。


「お前も小さい頃から一緒に遊んだ仲、大悟は身寄りこそ無くとも真面目な男です。 お前と結婚させて、橘に入り婿させます。いいですね? 維織?」


(・・・)

言葉を飲み込む維織。


そして・・・


「分かりました・・・。大悟と一緒になります・・・」

維織、苦渋の決断であった。




1996年・ゆかり 5歳――


【季・たちばな】の若女将として、何もかも忘れようとするかの如く仕事に没頭する維織。


一方、大悟の方はと言うと・・・

若旦那として周囲からちやほやされる内に、旅館組合の寄り合いと言ってはアチコチに外泊する事も多くなり、酒と女に溺れていたのである。

知人に零した愚痴によると、結婚したものの指一本触れる事を許さない維織に辟易していたのである。

遊び歩く大悟だが、大女将も負い目があり見て見ぬふりをし、戒める者も居ない好き勝手な状態となっていた。


無論、維織との関係は夫婦とは程遠いギクシャクしたものとなっていた。




「お帰りなさい・・・。お父さん・・・」

昼間から酒の匂いをさせて帰宅する大悟を見て、話しかけるゆかり。

「何だ、ゆかりか。俺は、忙しいんだ! アッチへ行ってろっ!」


母である維織は若女将として多忙に為に構ってくれず、父の大悟は日に日にゆかりに憎々しく当たる。


(お母さんも、お父さんも・・・。いつも忙しいって・・・)

知らず知らずのうちに、涙が頬を伝う。


「ゆかり、おじいちゃんと遊ぼう。こっちにおいで」

庭先で1人、ボール遊びをしているゆかりを見て不憫に思う祖父だけが遊び相手だった。




2005年・ゆかり 14歳――


母親譲りの美貌と勝気さを受け継いだ娘へと成長したゆかり、この時に運命の歯車がまた一つ回り始める事になる。


維織と大悟は事実上別居状態であり、ゆかりにとって唯一の拠り所であった祖父も前年に鬼籍へと入っている。

一方、【季・たちばな】は維織の才もあり、日々繁盛し今や五つ星旅館の筆頭へと躍進していた。

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