第38話 評判

 三人での暮らしは、穏やかで慎ましかった。五山は子龍の言いつけ通り、下手なことは何もせず、悪鬼の情報にだけ敏感になって過ごした。仁は料理をしたり家事をしたり、静かにであるが楽しそうに暮らしていて、玲はその手伝いをしていた。

 いつまでもこんな生活が続けば良いと玲が思っていたある日、悪鬼に人が殺された。仁が言っていた通り、命令が届かない、あるいは命令を聞かない悪鬼の仕業であった。悪鬼の情報を集めていた五山は、すぐに悪鬼退治へ向かった。おかしなことはするなと言われているが、悪鬼退治をするなとは言われていない。

 五山はすでにその時、指名手配からは解かれ、世間からは「悪鬼を操る不思議な術を使う人間」という見方をされていた。悪鬼退治の力は凄まじいが、それだけでなく悪鬼も操れるようになったのだ、と。五山のおかげで、世に平和が訪れた、と言う人もいた。

 黒塚仁はすでに悪鬼であり人ではないが、驚異の存在ではないという判断から、今さら「実は生きていて悪鬼でありながら品性を保っており――」などという発表はされていない。説明をすれば長くなり、混乱を招く恐れもあった。仁の事情を知っているのは、限られた人間のみだ。「仁の手柄なのに」と五山が言えば、「まさか! 五山さんの手柄に決まっているじゃないですか!」と仁は言う。今こうして生きているのは、五山のおかげだと仁は思っているのである。事実、五山がいなければ、仁は心まで悪鬼に侵食され、人間をたくさん殺していた可能性がある。仁にとって、地位や名声なんてものは心底どうでもよくて、最も優先すべきは五山、そして次が玲なのだ。五山のためなら何でもするし、世間が何と言おうと、仁は五山の味方であった。

 三人が悪鬼が目撃された場所へ向かうと、現場は沈黙していた。やって来た五山を見て、黙祷を捧げていた彼らは表情を変えた。

 憎き五山。そんな顔が並ぶ現場を見て、玲は「何事?」と呟いた。仁は牙や爪を隠し、傘を被って顔を伏せたままだ。

 五山が歓迎されないのはいつものことだが、しばらく田郷の屋敷にいた玲は、その落差に唖然とする。五山が何をしたというのか、彼らは害虫を見つけたような顔をしているのだ。

「武智五山……!」

 名を呼ばれ、五山は「そうですが」と淡々と返答する。

 辺りは不穏な空気に包まれた。明らかに、五山を嫌がり忌み嫌う雰囲気だ。玲は内心で嘆息した。

 武智五山が、悪鬼を好きに操っている。そんな噂が世間に流れているのを、玲は知っていた。悪鬼になったとして指名手配された恨みで、彼は怪しい術を習得し復讐をしようとしている。そんな法螺話は、ある人々にとっては真実として語られた。今ここにいるのは、ある人々に違いない。

「あんたがやったんだな?」

 年配の男性が、五山を睨み付ける。

「何のことです?」

「あんたが、怪しげな術であいつを殺したんだ! あいつは五山反対派だったから」

 五山反対派という言葉は初耳で、五山は目を瞬かせた。どうやら世間には、五山肯定派と五山反対派がいるらしい。玲は苦虫を噛み潰した顔で、「これ、どうしたらいいの?」と仁を見上げた。

 悪鬼に殺された男は、偶然にも五山反対派だった。五山に反発していたから、五山が操る悪鬼に殺された。彼らにとっては、それこそが真実だった。

 五山はやれやれと頭を振る。

「偶然その人が殺されたというだけで悪者扱いされては、たまったものではありません。いったい僕をどうしたいんでしょうか」

「いつか正体を暴いてやるからな!」

 彼らにとって、五山は悪であった。話など聞けそうにないと判断した五山は、彼らから離れて悪鬼の気配を追うことにした。玲の察知能力もあって、悪鬼はあっさりと退治された。五山の強さは健在で、何一つ欠けたところはなかった。仁が手伝いましょうかと言っても、五山は「前と同じようにいきましょう」と答えた。悪鬼になった仁にさえ、戦いの補助を求めないのだ。

「帰りましょうか」

 五山は振り返ると言った。玲は「仁ー、帰ろう」と声をかける。

「あ、すいません」

 仁は、がさっと上から降ってきた。悪鬼になったことで身体能力が数十倍上がり、気配すら悟られない動きを会得した彼は、玲すらも驚かせることが出来た。いつものことなので、降ってきた仁へ、玲は「悪鬼の身体ってすごいんだね」と感心するばかりだ。

 外へ出ると、仁は高いところに上って辺りを見回すことが多かった。一人で辺りをうろつきたがることも多い。

 仁は、「先に帰ってもらってもいいですか?」と申し訳なさそうに言った。

「またですか? そこまで頑張ってもらわなくて良いんですよ。もう十分すぎるくらいですから」

「いえ、ついでですから、この辺りを回っておこうと思っただけです」

「えー。じゃあ、今日も五山と二人?」

 玲は不満の声を上げる。

「何ですか。玲は、不満であっても心のうちに留める術を会得すべきだと思いますよ」

「五山に対してそんなことする必要ないし」

「身内にだって礼儀は必要です」

 仁は、二人を見て苦笑した。「すいません」と言えば、五山は「気を付けて」と声をかける。

 仁はしばしば、一人で人目の付かない場所を歩き回ることがあった。山奥や深い森など、各地にいる悪鬼を従えるためである。仁の強大な力を見せつければ、悪鬼たちは大人しく仁に従うようになることがほとんどだった。今回のような事件を防ぐため、五山の評判を落とさないため、五山の言葉を完全に遂行するため、仁は行動を起こし続けている。それは、五山への恩返しなのだ。悪鬼が人を殺さない世の中になれば、五山反対派などいなくなる。仁は、そんな日を夢見ていた。三人の穏やかな暮らしを、なるべく長く続けたいのだ。

「早く帰ってきてね」

「はい、明朝には必ず」

 仁は姿を消した。約束は必ず守る少年である。五山と玲は、先に家へと帰った。

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