第37話 三人

 それからしばらく、五山と仁は田郷の屋敷で暮らすこととなった。玲はそれまでの部屋を出て、五山と仁と共にいることが増えた。玲はすでに自由の身で、同じ屋根の下、どこにいても誰も何も言わなかった。仁を恐れる者は多かったが、仁は誰に対しても低姿勢で、常に礼儀正しく接した。誰よりも人間的で、常に穏やかだった。「本当にあれは悪鬼なのか?」と誰もがこそこそと話した。

 一週間ほどが経ち、悪鬼の目撃情報はぐっと減った。仁の命令により、悪鬼たちは人目に付かないところで静かにしているようだった。仁はほっと胸を撫で下ろした。完全とは言わないまでも、ある程度の悪鬼たちは、仁の命令を聞いたというわけだ。悪鬼が出しゃばらない限り、田郷の出る幕はない。元治への不信感を募らせた人々は、ぽつぽつと屋敷を出て行った。最終的に残ったのは、そう多くない人数のみだ。悪鬼退治の仕事が減ったこともあり、子龍は心機一転、警備等の仕事を請け負うようになった。命の危険がない分、子龍は精力的に行動した。常に死と隣り合わせという状況は、知らず知らずのうちに子龍を疲弊させていたのだ。あれ以来、勢力を失ったようになっていた元治は、子龍が何をしても「好きにすればいい」としか言わなくなった。恐ろしかったはずの兄が恐怖の対象でなくなったことで、子龍は元治へ強く意見を言うようになった。すると元治は渋々ながらも、子龍の持ってきた仕事をこなすようになった。やがて、絶対王政だった田郷の家に、優し気な雰囲気が立ち込めるようになった。子龍は兄と遊んだ幼少期を思い出し、こんな毎日も悪くないと思うようになった。

 そして五山は、田郷の屋敷を出る許可を得た。仁の様子は穏やか、荒れる雰囲気は欠片もなく、悪鬼の行動が抑え込まれたのは仁のおかげということもあり、経過観察という判断が下されたのだ。

「ここから歩いて十分ほどのところに家を借りたから、そこで生活するんだぞ。くれぐれもおかしな行動は慎むように。まだ無罪放免じゃねえんだから、羽目を外すなよ」

 子龍は、よくよく五山に言って聞かせた。世間では、武智五山の噂は様々な形で流れていて、良く思わない人は多い。おかしなことをすれば、非難轟々であるのは目に見えている。

「僕は人生で一度も羽目を外したことはありません」

「嘘吐け。それに彼と一緒なんだし、ちゃんとしろよ」

「ねえ、私もそれ、行っていいの?」

「それ?」

 口を挟んだ玲へ、五山はきょとんとして首を傾げた。

「何その顔! だから、私はどこで暮らせばいいのかって言ってるんだけど?」

「え。まさかここに残るつもりなんですか? 案外居心地が良かったと?」

 五山は、玲を非難するように見た。玲は、ふふんとした息を吐く。

「居心地は良かったよ。部屋は広いし、子龍は優しいし。欲しいものは何でも買ってくれるって言うし」

「子龍、それは甘やかしすぎですよ。だから玲は僕に愛想が尽きたというわけですか。分からないでもないですが」

「自分で言っちゃうの?」

 玲は、かつてのようにけらけらと笑った。五山は、玲がここに残ると思い込み始めているようだったが、玲にとっては有り得ないことだ。五山がいる限り、玲はどこまでも五山について行くのである。

 三人で屋敷を出ようとすると、子龍は仁へ「二人をよろしく」と言った。仁は深くお辞儀をした。遠くから、元治が三人を見つめていた。

 新生活が始まった。田郷の屋敷から徒歩十分ほどの借家は、三人が寝転んでも十分すぎるほどの広さで、屋根はしっかりつき、隙間一つない。冬でも隙間風に悩まされず、大雨でも雨漏りのしない、理想的な空間であるように見えた。玲は田郷での暮らしでそれが当たり前だったが、五山と仁は違う。二人は「立派ですね」と言いながら、部屋の中をぐるぐると回った。

「金を出さずにこれとは、子龍は羽振りが良いですね。仕事は順調なんでしょうか」

「警備とか、いろいろやってるみたいだよ。忙しそうだし」

「それは何より」

 三人は、茶を飲みながら卓を囲んだ。

 がやがやと会話をする二人とは違い、仁は静かな佇まいで座っている。表情には憂いがあり、笑顔であるが浮かない顔だ。再開してから、仁はこんな表情をしていることが多い。五山と玲だって、気持ちが分からないわけではない。玲の右腕、五山の身体の無数の傷。全ては過去のことであり、悪鬼を押さえてもらっている以上、むしろ湧いてくるのは感謝の気持ちである。本人たちが気にしていないのだから、仁はもっと堂々としているべきだ。

 玲は口火を切った。

「五山のそれは、仁がやったんだよね」

 玲が指摘すれば仁はとたんに身体を凍らせるようにした。

「ほ、本当に、すいません」

「だから、謝らなくて良いんだってば。それにしても、どうやって仁をこんな風に戻せたの? 前代未聞だよ」

「僕にも分かりません。仁の頑張りのおかげでしょうね。僕の頑張りもあるでしょうけど」

 自分もなかなか頑張ったのだと仄めかす五山に対し、玲は前のめりになって問いかける。

「具体的には何をしたの?」

「毎日会話を試みました。仁は口よりも拳で会話をしたがりましたから、この様です。さすがに、悪鬼の力は凄いですね。押し負けるかとひやっとした場面もありました」

「五山でもそれなら、普通の人は死んでるね」

「その通り」

「本当に、五山さんにはお礼を言っても言い足りないくらいです。どうしても五山さんに殺してもらいたくて逃げたところまでははっきりと覚えているんですけど、その後の記憶は曖昧で……気付いたら、傷だらけの五山さんがいた、という有様で」

 仁は、ぞっとした様子で言った。その時の記憶が頭を過ったのだ。自分が何をしたか分からないながら、五山を見るに「自分がこの人を傷つけた」ということだけははっきりと分かったのである。

「良かったね、五山」

 玲はあっけらかんとして言った。心から良かったと思っているのである。

 五山は口角を上げるようにして笑った。元治に仁が見つけられてしまってから今まで、玲はこんな未来があるなど考えもしなかった。

 五山にも玲にも怪我をさせてしまった仁は、心底申し訳なく合わせる顔すらない、とうつむいていたが、二人にとってそんなことはすでにどうでもよくなっていた。最も大切なのは、仁がここにいるということだ。

 優し気な四つの目は、嘘偽りのない綺麗な輝きを保っている。仁はたまらない気持ちになって、うつむいた。一年の時を経て再開した三人は、また以前と同じように暮らしていこうというのである。

 仁はしばらく経ってから、小さな声で「ありがとうございます」と礼を言った。

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