第30話 退治
「殺して欲しいのなら、私が殺してやろう」
そこにあるのは、明らかな怒りである。腹の底に溜められた感情は、静かに爆発の時を待っていた。三人は顔を上げた。
完全防備をした元治が、月夜の元に立っている。身体を布で覆い、血を浴びないよう彼らのいつものやり方で、仁を退治しようとしているのだ。すらりと抜かれた刀が、鈍く光った。
「遅かったですね」
五山は、好戦的に言う。
「殺せないのなら、お前がここにいる意味などない。武智五山は引っ込んでいろ」
仁はうつむき、玲は睨み付け、五山は表情を消した。
「聞いていなかったんですか? 僕たちは僕たちなりにやっていくつもりです。そっちの方が部外者だ」
「お前はやはり、正しい道は歩めない人間だな。その考え方は危険だ。一から教育し直す必要がある」
「この世に正しいことなんてありますか? 全て勝手に人が決めたことです。僕の正しさは僕が決める。安心して下さい。自分で決めた以上、他人に迷惑はかけません」
八つ当たりのような声は、苛々とした思いが込められていた。世を呪うような声に、元治は刀を握る力を強める。
「恨むなよ」
「当然恨みますよ。でも、あなたに仁を殺せますか? 仁は逃げ足が速いんです」
五山は刀を握り締めた。元治が一歩でも動けば、五山も容赦なく斬りかかろうというわけだ。
すると、向こうから何者かが走ってきた。子龍である。元治の後を追ってきた子龍は、勢ぞろいの光景を見るとぎょっとした。それから、元治に視線を送る。
「子龍は手を出すな。今からこいつを退治する」
元治の視線の先には、仁がいる。さらにすぐ近くには、表情を厳しくした五山と玲まで立っていた。子龍は真剣な様子で頷いた。
「援護します」
「後ろで張っていてくれ」
子龍は言われた通りに、元治の背後へ回った。単独行動の五山とは違い、彼らは常に二人以上で退治をするのだ。二人でも少ないくらいである。
「悪く思うな」
「絶対にさせません」
五山は、仁の前に塞がる。緊迫した時間が流れた。
すると、玲が声を上げる。仁が、表情を変えて呻き始めたのだ。悪鬼になる兆候が現れたのだと、誰もが分かった。目が血走り、苦し気に呼吸をする。時間はないと、元治が掛け声とともに刀を振るう。応戦しようとした五山の背後から、仁は自ら飛び出した。そして、いとも簡単に足で刀を弾き飛ばしたのである。呆然する元治に一瞥もくれず、仁は突然自らの爪で頬を引っ掻き始めた。鋭い爪が、容赦なく皮膚を抉っていく。血が、激しく辺りに飛び散った。五山の着物に、皮膚に、血が飛んだ。目の前で血を吹く仁に、五山は震える声で「止めなさい」と言うも、今の仁には言葉が通じていない。五山は駆け寄り、仁の両手を取った。暴れる仁へ「止めなさい」と言ったところで、効果はない。仁の目には、僅かに涙が光っているようだった。
「仁」
何度も名前を呼ぶが、悪鬼となった仁は自らの名前を把握していないようだ。仁の血は、五山の目にまで入った。視界が赤く染まったところで、五山は一向に気にしなかった。玲も駆け出そうとしたが、子龍に止められ身動きが取れずにいる。赤く染まった五山を見て、元治は激高した。
「悪鬼を庇い、悪鬼の血を浴びるなど!」
悪鬼の血を浴びれば鬼になる。それは、まことしやかに囁かれている噂である。それゆえに、元治たちは戦いの際、布で身体を覆うのだ。
「悪鬼め!」
元治は五山へ殴りかかろうとした。同時に、仁が五山を庇うように前へ躍り出る。元治が怯んだ瞬間、後ろで待機していた子龍は仁を地面へと抑え込んだ。子龍は叫ぶようにして言った。
「逃げろ!」
仁に抵抗する気はないようだった。大人しく子龍に捕まったまま、暴れる気力を失ったようにして地面に張り付いている。
子龍の声に、玲も五山も動くことはなかった。元治だけが眉を吊り上げて子龍の名を呼んだ。顔を真っ赤にさせて子龍へ走っていく様子は、まさに怒り心頭である。子龍は続けた。
「逃げてくれ、頼む」
子龍にとって、今最も優先させるべきなのは、五山たちを逃がすことだった。元治の考えがどうであろうと、子龍は、五山たちに死んで欲しくないのだ。以前、冗談で「五山が悪鬼になったら殺してやる」などと言ったことはあったが、実際殺せるかどうか、子龍は分からなかった。だからこそ、仁を庇う五山の気持ちが理解出来るのだ。何が最善なのか、子龍は分からなかったが、とにかく五山たちには逃げて欲しかった。
早かったのは、離れた場所で立ち尽くしていた玲だった。
「五山!」
玲は左手で五山の手を取った。その背に飛び乗ると、「逃げよう」と叫ぶ。玲にとって子龍は、信頼出来る大人なのだ。子龍の一言で、仁を置いて行くという選択をすぐにした玲は、五山に頷いて見せた。元治と子龍、そして仁を見た五山は、唇を噛み締めると、玲を背負い闇夜を逃げ去った。
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