第27話 緊張

 五山が失敗したと分かったのは、翌朝のことである。

「お客様、お客様」

 切迫した声に、五山はすぐさま態勢を整えた。夜明けの少し前、空が薄明るくなりそうな気配がしてきた頃のことだ。多くの人が寝入っているそんな時間に声が聞こえるとは、穏やかではない。刀を握り、戸を見つめた。話し声は小さいが、緊張感が漂っている。ぎしぎしとした足音に、仁も目を覚ましていた。「何かあったんでしょうか」と不安な声を出すが、五山は横に首を振る。まだ何も分からないのだ。真ん中で大の字で眠る玲だけは、健やかに目を閉じていた。

 五山は目を細め、立ち上がった。足音が、すぐ側まで来ていた。

 戸が勢い良く開けられた。姿を現したのは、子龍の兄、元治だった。五山の姿を確認するなり、「武智五山」という怒声を上げる。周りを気にしてか、声量は大きくない。五山は不機嫌な顔を隠そうともせず、大袈裟な溜息を吐いた。

 年は三十、前髪をぴったりと上げ、刀を腰に携える神経質そうな立ち姿は、何度見ても気分の良いものではない。子龍と顔は似ていても、醸し出す雰囲気は全く異なる。乱暴な雰囲気でありながら親しみやすさのある子龍とは違い、元治は取っ付きにくく荒っぽい。けっこう優しいところもあるというのは子龍談だが、五山は元治のそんな姿を見たことがない。想像すら出来なかった。

 五山は刀から手を離さず、鼻で笑うようにした。

「こんな朝早くに、いったい何の御用でしょうか。挨拶もなしに、失礼じゃありませんか。みんなまだ寝ている時間です」

 元治は、戸を開けた勢いをぴたりと押し殺すと、怒りを込めた息を吐いた。

「確かに、お前に礼儀などは必要ないが、他の客たちを起こしてしまったのなら申し訳ない。後で詫びを入れておく。しかし、こうでもしない限り、お前はすぐに消えてしまうからな」

「僕たちは拠点を持たないので、当然のことです」

「だから困るのだ」

 元治は、戸を閉めて部屋へと上がり込んできた。後ろには宿の主人が困り果てた顔で立っていたが、戸を締め切られ、今頃頭を抱えている。

「それで、何の御用なんでしょうか? こういうのはもううんざりです。ここでは何ですから、場所を変えましょう」

「その子供など引っぱたいて起こしてやれば良い」

「自分が気に食わない人間には、何をしても良いと思っているんですか?」

「お互い様だ。その子供には散々迷惑をかけられている」

 元治は、眠っている玲を虫けらのように見つめた。玲と元治は、会えば喧嘩をしてばかり、何が何でも気が合わない。二十も年下の相手に大人げない元治も、子犬の様にきゃんきゃんと噛みつく玲も、曲げられない意思があるのだ。

「武智五山、お前は本当に相変わらずらしいな。どうしてそこまで頑ななんだ? 一人で悪鬼退治なんて無謀すぎる。馬鹿なのか?」

「馬鹿ではありませんよ。僕にとって悪鬼は、脅威でも何でもありません。大丈夫です」

「己の力を過信しすぎだ。いつか必ず身を亡ぼすぞ」

「それならそれで構いません。僕の人生です、勝手に生きて勝手に死にますから、どうぞ放っておいて下さい」

「お前は本当にいつもいつも、その喧しい口はどうにかならんのか?」

「それこそお互い様でしょう」

 玲と元治の関係性は最悪だが、五山と元治の関係も良くはない。元治の言葉には、五山を心配するような色も含まれているが、五山にとっては放っておいてくれという話であって、永遠に分かり合えないのだ。

 ぴりぴりとした緊張感が張り詰める。五山も元治も、一歩も引くつもりはない。

 すると、慌てた足音が聞こえてきた。「失礼」という声を共に姿を現したのは、子龍である。慌てた表情で肩で息をしていて、かなり急いで走って来たらしいことが一目瞭然だ。

「兄さん!」

「子龍か」

 子龍は戸に手をかけたまま、はあと息を吐く。

「何やってるんですか、こんなところまで来て」

「こいつに物申しに来たに決まっている」

 自分に後ろめたいところはないと、元治は堂々としている。子龍は五山へ一瞬視線を送ると目配せをして、「帰りましょう」と兄へ言う。

 元治は、独自に五山の居場所を突き止め、誰にも言わずにここへやって来たのだ。子龍がどの時点で気付いたかは分からなかったが、慌てて追いかけて来たというわけである。五山にとっては神の手であった。

「そうですよ。今日だってお忙しいでしょうから、僕のことなんか構わずどうぞ」

「まだ話は終わっていない」

「兄さん、終わってないって言ったって、こんなところじゃあ……」

 元治の強い視線に、子龍は口を閉ざす。兄に強くは出られないのだ。機嫌を損ねると大変面倒になることを、子龍はよく知っている。

 どうやって場を収めるかを子龍が考え始めたところで、元治の視線がさっと動いた。奥の布団で丸まっている仁を捉えたのである。仁は、元治が襖を開ける一瞬前に、布団にくるまって隠れるように丸まっていて、存在感を消したように微動だにしない。五山はすっと息を呑んだ。

「例の、新しい仲間か」

 鋭い声だった。元治も、五山が新しい仲間を連れているという噂を知っていたのだ。

 問答無用で五山の横を通り過ぎると、大の字で眠る玲を素通りして、仁の元へ向かう。五山は、元治の首筋に刃を当てた。

「彼に、何をするんですか?」

 冷え冷えとした声に、元治は笑みを浮かべた。

「君、起きているんだろう? こんな奴に付いて行くのは止めておけ。君にはもっと良い人生がある」

 優しい声色だった。五山は元治の背中を睨み付けた。

「静かにして下さい。彼は寝ているんです」

「まさか。起きているだろう。そこの子供とは違うんだ。噂で聞くが、とても気の良い少年だそうじゃないか。お前になんか勿体ない」

「そんなものは彼の自由です」

 仁は、うんともすんとも言わずに布団にくるまったままだ。

 もし、ここにいる少年が黒塚仁だと知られてしまえば、きっと無事では済まない。元治の性格上、仁を捕まえ、そのことを公に発表するだろう。それはつまり、仁の死である。

 五山は、元治の気を逸らそうと言葉を紡ぐ。

「早くそこの人と一緒に出て行ってくれませんか。これについては、完全にあなたに非があります。貸しにしておいてあげますから、玲が起きる前に早く」

 気配に敏感な玲だが、眠っている時は例外だった。睡眠欲には驚くほどの執着を見せる。五山は玲へ眠っていてくれと念を込めた。今起きられても面倒だからだ。元治と玲の相性は、驚くほど最悪だ。

「変わり者と騒がしい子供に挟まれて大変だろう、なあ、君」

 元治は、五山の刃を気にもせず、素早い動作で布団に手をかけた。元治の目的は一つ、これ以上五山の手の内に堕ちる人間を増やしたくないのだ。元治にとって、五山は完全なる邪道である。規律を重んじ、正しさを追い求める元治は狭量で、自分の決めたものしか受け入れない。同じ頑固者同士であるからこそ、分かり合える日が来ないのだ。

 舌打ちをした五山は、刀を手放すと元治の首元に手をかける。

 元治は、田郷の集団の頭であり、最も強い男と評判である。一対一で戦ったことはないが、かなりの刀の使い手であることは、五山も知っていた。油断ならない男だとは知っていたが、元治は、五山の予想を超える速さで動いた。

 ほんの一瞬、遅かったのだ。

 布団が暴かれ、仁が丸い目で転がった。

 元治は優しく少年へ声をかけようとしたようだが、その顔を見ると動きを止めた。仁はさっと顔を隠したが、すでに時は遅かった。

「ま、さか。いや、まさか……」

 元治は、信じられないという顔でぶつぶつと呟いている。頭の中で、必死に考えているのだ。

 子龍はその場に立ち尽くして、声をかけるか否か考えている。すると元治は、子龍へ向いた。

「子龍、子龍……。見間違いでなければ、彼は……彼は」

 元治は刀を握り締めると、確信したように言った。

「黒塚仁」

 その声と共に、子龍は観念したように項垂れる。仁の身体は、緊張したように震えた。

 元治の身体からは、沸騰したような熱が放出された。

「な、何故ここにいる! 武智五山が匿っていたのか!」

 転がった仁は、顔を隠すこともせず、固まって元治を見上げるばかりだ。緊張が走った空気に、誰もが表情を強張らせる。

 元治たちは、積極的に黒塚仁殺しに参加はしていないが、目の前にいるこの状況では、正義を執行する必要がある。

 五山はうんともすんとも言わなかった。澄ました顔に、元治は苛立ちを募らせる。

「答えろ!」

「その人が黒塚仁だったら、当然僕が匿っていたことになります」

「どう見ても黒塚仁だろう! 鬼の血の!」

「どう見てもって、あの似顔絵は見たことありますけど、全く似ていないですよ?」

「いや、瓜二つだ! それに、そうだ! 武智五山と行動しているという時点で、おかしな話じゃないか! お前はそういうことをする奴だ! よく考えれば分かる簡単なことだったじゃないか! お前は、お前は……!」

 元治の怒りは頂点に達していた。その矛先は五山へ向けられている。

「武智五山、見つけたのなら報告すべきだろう!」

「どうして? 僕は賞金なんていりません」

「賞金云々の話ではない! 危険人物なんだぞ!」

「鬼の血って、いったい誰が言い出したんです? そんな不確実なもの、馬鹿げているとは思いませんか。御覧の通り、彼は悪鬼になっていませんし、僕よりずっと心優しい少年ですよ」

「可能性はある!」

「そんなこと言い出したらきりがないんだって……」

 五山はあからさまに「やれやれ」という態度になった。話している時間が無駄であると言わんばかりだ。元治は激高した。

「くそ!」

「兄さん!」

 刀を振り上げようとする元治を止めたのは、子龍だった。仁は転がった態勢で呆けながら、目だけはじっと元治へ向けている。

「刀を収めましょう、兄さん。ここでは迷惑がかかってしまいます。それに、彼はまだ悪鬼にはなっていないようです。ただの人です。まだ慌てる段階ではありません。それに、逃げる意思もないようです」

 元治の動きは止まった。仁は諸手を上げ、降参という状態である。

 元治は人畜無害な顔をする少年を一瞥してから、五山を睨み付けた。

「元よりおかしな奴だとは思っていたが、ここまでとは……救いようがない」

「僕は、救われたいだなんて思ったことはありません」

「黙れ。とにかく彼は連れて行く」

「仁は殺させません」

 五山は断言した。

「悪鬼になるかもしれないなんて不明確な理由で殺されるのは、あまりにも不憫です。彼は、僕よりずっと良い人です」

「そうだよ! 殺すなんて駄目!」

 賛同するのは、いつの間にか目を覚ましていた玲だ。仁の側へ寄ると、大事な宝物を抱えるようにぎゅっと抱き着く。いつから起きていたのか、状況はすでに把握しているようである。

 元治の眉が苛立つように動いた。

「見つけたのなら報告すべきだ! お前たちが勝手に判断して良いことなど一つもない!」

 元治の怒号に、しんと場が静まり返る。玲の腕の中で、仁は唇を噛み締めていた。睨み合いが続く。

 ぽつりと、元治が口を開いた。

「お前は、悪鬼に操られているのか?」

「はい?」

 五山は首を傾げる。

「おかしな行動の全ては、そのせいか?」

「何を言っているかは分かりませんが、全ては僕の自由意志です」

「……違うのか」

 元治は呟くように言い、表情を強く引き締めた。

「とにかく、武智五山は罰を受けねばならない。黒塚仁はこちらへ引き渡してもらおう」

「お断りします」

 玲は仁を離さず、五山は強く拒否をする。元治の言うことなど、少しも聞く様子がない。子龍は少し離れた位置に立ち、どちら側に立つことなく静観していた。

 元治は、仕方がないと言わんばかりに切っ先を五山へ向けた。

「ならば、お前を倒して連れて行くまで」

「出来るものならどうぞ」

 五山は、応戦の構えを取った。売られた喧嘩は買うのが五山の主義だ。

「やっちゃえ五山!」

 玲もやる気満々である。叫ぶ玲の隣で、仁は苦し気にうつむいた。全ては己の存在のせいなのだと、身体を震わせている。謝ることさえ出来ずに、目をぎゅっと閉じた。まるで哀れな少年だ。鬼の血と呼ばれ、命を狙われ、幸せな生活はいつだって長くは続かず、悪鬼にもなれていない。

 仁は溜め込んだ空気を吐き出した。一触即発の空気に、割り込んだのだ。

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