第26話 不穏

 血は、五山たちの生活では見慣れたものである。悪鬼に殺された人の血には、むっと鉄の匂いが立ち込めているものだ。見て気分の良いものではない。ただ、五山は強く、玲と仁は逃げ足が速いため、自分自身の血を見る機会がは多くなかった。

「痛!」

 ある日、玲が怪我をした。怪我といっても、掠り傷だ。石に躓き転んだ時、膝と手を擦りむいたのである。

「大丈夫ですか?」

 仁はすぐさま手を差し伸べる。瀕死の重傷を負った経験のある玲は、それくらいで動揺する少女ではなかった。「あちゃー」と笑いながら、仁の手を取る。

「舐めたら治ると思うよ。心配しないで」

「水で洗いましょうか。あっちに川がありましたし」

 仁に連れられ、玲は傷口を水ですすいだ。すると、玲の前に五山が立つ。両手を広げると言った。

「痛いの痛いの飛んでいけ」

 真剣な表情に、玲は「そんなので飛んでくわけないでしょー!」と腰に手を当てる。これは、五山が母から教わった術である。玲が怪我をした時、五山はいつもこれをやった。しかし、それで玲の痛みが消えたことはあまりない。

「全ては気の持ち様です。これくらいの傷なら、痛くないと思えば痛くなくなるものですよ」

「痛いものは痛いよ!」

「この言葉の威力を、玲が軽んじているからです。信じる者は救われます」

 玲は「ええ」と不穏な声を出すと、仁を振り返って何事かを言おうとした。しかし、口は閉ざされる。仁が、期待に満ちた顔をしていたからだ。

「あの、私にもそれやって下さい」

 五山は目を瞬かせると、意外という表情になる。

「仁、痛いところがあるんですか?」

「いやいや仁、五山の術はあんまり効果ないよ? 痛いの痛いの飛んでいけ、だよ?」

 二人の言葉に仁は口を噤んだ。困ったように眉を下げると、言葉を選ぶように視線を下げる。どうしてか、五山に術を使って欲しいのだ。五山と玲は目を合わせた。

「やるのは構いませんが、効くかどうかは保障しません」

「ありがとうございます」

 五山は両手を広げた。術を唱えると、仁は見る間に表情を明るくした。はにかむように笑い、「効いた気がします」と言う。

「なるほど、仁には効くようですね」

 五山は玲を振り返る。仁を味方に付けた五山は、すでに勝ちの顔をしていた。玲はむうとへの字になると、「仁は良い人だから」ともごもごしながら言った。玲の傷の血はすっかり止まり、痛みの欠片も感じていない顔である。

 すると、玲はふと顔色を変えた。何かを感じた顔である。五山はすっと辺りを警戒した。仁も玲を見つめ、指示を待っている。

 玲は、視線の先を見つめ、じっと伺うようにしていた。そして、複雑な表情へと変化させる。

「あー……五山、どうしよう」

 玲の顔は、嬉しさ半分、不穏半分といったところだ。五山は一瞬その問いの意味を図りかねたが、すぐに分かった。玲の視線の先にいるのは、子龍だ。さすがの玲も、堂々とはいかない様子で五山を見上げた。

 本来なら、玲は子龍に懐いているので、大歓迎しているところだ。それを、どうしようと言うのは、仁の存在があるからだ。

 ここにいるのは、例の黒塚仁である。鬼の家系の残りの一人、殺すべき人物だ。殺せば賞金が出る。みんなが探している。この情報は全て、子龍から聞いたものだった。

 仁は、人がこちらへやって来るのを見つけると、困り顔になった。どうしたものか、二人の反応を見ているのだ。

「子龍が仁を殺すとは思えないけど……ねえ、五山」

 五山は、しだいに姿がはっきりしてくる男の姿を捉えていた。仁は二人の後ろに立ち、傘を深く被った。逃げた方が良いのかと、五山へ視線で訴えかけている。五山は首を横に振ると、じっと正面を見据えた。

 姿を表した子龍は、軽い調子で「よ」と片手を上げた。

「奇遇ですね、こんなところで」

 五山はいつもの調子で声をかける。玲は横目で五山を見てから、にっこりといつもの笑顔を作った。

「子龍! 久しぶり!」

「久しぶり。元気だったか?」

「うん! 元気元気ー!」

「僕はほどほどですね」

「なら元気って言っとけよ。ほどほどって中途半端だぞ。今朝も、一匹悪鬼を退治したんだろ? 俺たちはそのためにここへ来たっていうのに、昼頃に来たら全部終わってたんだ。で、話を聞いたら武智五山が退治して行ったって言うから、わざわざ探しに来たんだぜ」

「それはそれは、仕事を奪ってしまいましたね」

「兄は怒ってたけど、俺は正直仕事が減って良かったよ。兄は相変わらず、五山に対抗心燃やしてっからなあ」

「あいつ、来てるの?」

 玲の表情が変わる。子龍の兄、元治のことは、名前を聞くだけでも蕁麻疹が出るほど大嫌いなのだ。

「近くまでな。だから、兄の目を盗んで言いに来たんだよ。とにかく人目の付かない方へ行って、兄と出会わないようにして欲しいって。目の前で大喧嘩されちゃ敵わない」

「子龍が僕たちと会っていることが知られたら、大目玉ですね」

「毎度毎度、冷や冷やもんだぜ」

 子龍はおどけたように笑った。それでも子龍が五山に会いに来るのは、五山が子龍にとって無視できない人物だからである。

 すると、笑った子龍の視線が、二人の背後へ移った。そこにいるのは、深く傘を被った仁だ。

「そうそう。五山、有名になってるぞ。新しい奴を仲間に入れたって。その人か?」

 仁はびくりと肩を揺らした。俯いて、控えめな態度で立っている。

「ええ、そうですけど」

「どこの奴だ? 五山が仲間に入れるなんて、よっぽどなんだろ。強いのか?」

 仁は傘を深く被っている。さすがに、子龍に顔を見られれば気付かれる可能性がある。黒塚仁殺しに参加していないとはいえ、似顔絵は見ているはずだからだ。絵と本物は違うとはいえ、子龍であれば勘が働く可能性はある。まさか、五山と一緒にいる謎の少年に、何も事情がないとは思わないだろう。今も、怪しんだ様子で仁を見ている。

「富永圭さんです」

 五山は紹介をした。これは、仁が名乗っている偽名である。五山が適当に付けた名だったが、仁はいたく気に入り、いつでもこの名を名乗るようになった。誰もいない時は仁と呼ぶが、人目のある時は圭と呼ぶ。その辺りの区別は、五山と玲はしっかりとしていた。そうでなければ、三人の暮らしに支障が出る可能性があるからだ。

「彼は足が速いんです。一秒で百メートル先まで走ります」

「それは化け物だな」

 子龍が笑いながら仁へ近付こうとすると、玲がさりげなく留めた。

「そうなの! 私より早くて、抱えてもらって逃げるようになったから、私の足が鈍っちゃって」

「でも、玲は気配に敏感だろ? 誰よりも早く悪鬼に気付くのは凄い」

 子龍は、また仁へ近付こうとするも、今度は五山が引き留める。

「人には役割分担がありまして、三人で上手いことやっているわけです」

「ああ、そうなのか。正直、玲以外とも上手くやっていけてるなんて信じられないけどな。きっと、富永さんは聖人君子なんだろうな?」

「そうそう! めちゃくちゃ良い人!」

 玲は子龍の右手を取り、五山は左手を取った。完全に動きを止めた子龍は、仁を見ると「えーっと」と戸惑うような声を上げる。

「俺は、富永さんに近づいちゃいけない感じか? 顔も隠してるし、さっきから一言も話さないし」

「下手な詮索をすると嫌われます。これだから子龍はモテないんですよ」

「五山には言われたくねえよ」

「言っとくけど、五山より子龍の方がモテるよ! 絶対! 格好いいもん!」

「良いですか玲、人には好みというものがあるんです」

 二人で何やら言い合いをし始めたのを見かねた子龍は、「止め止め」と場を収めた。

「詮索しねえから」

 その言葉で、玲は安堵したように息を吐く。子龍はその様子をちらと見て、顎に手を添えた。あからさまな二人の行動は、怪しむのに十分すぎる。

「……あのさ」

「何でしょう」

 五山が応答すると、子龍は一瞬だけ仁を見て、首を振った。

「いや、気を付けろって言っておこうと思ってな。お互い退治なんて危ない橋を渡ってるんだし、自分の命は大事にって話だよ。人助けもほどほどにな。じゃ、忠告はしたからな。お願いだから兄とは会わないでくれよ」

 子龍は、仁へと頭を下げた。

「富永さん。五山と玲のこと、よろしく」

 仁は顔を隠したまま、会釈をした。

 そして、子龍はあっという間に消え去った。兄たち仲間の元へ戻ったのだ。

「……余計なお世話です」

 気配が完全に消えたのを確認して、玲は仁の傘を取った。困ったような顔が、「すいません」と謝罪の言葉を述べる。

「悪いことしてないのに、何で謝るの?」

「二人の善意に甘えてばかりで、申し訳なくて」

 己は厄介者であるという意識が、仁には常にあった。仁さえいなければ、二人はもっと自由に行動出来るはずだと思っている。それでも、迷惑をかけたとしても、仁は生きることを止めたくはないのだ。謝ることしか出来ない自分を情けなく思いながら、仁は頭を下げ続ける。

 そんなことないよ、と玲は仁の頭を撫でた。ここ最近は立場が逆転していたので、玲の姉のような振る舞いは久しぶりだ。仁は困ったように黙って微笑む。玲に何を言われても、「そんなことはある」のだ。

 子龍が何かを思い、それをあえて言葉にしなかったのは明白だった。どういう思いで、仁へ五山と玲をよろしくなどと言ったのか、考えても答えは出ない。

「移動しましょうか」

 五山は紫がかった空を見上げた。もう間もなく夜が訪れる。元治が近くにいると聞いてはすぐにでもこの場を離れたかったが、まず寝場所を探すのが先決だった。玲は、よく眠る子なのである。朝早くに出発すれば、鉢合わせすることもないだろう。五山はそう考えて、近くにあった宿に泊まることにした。五山は眠そうな玲へ「明日は早起きをしますから」と言った。玲は眠そうな顔でかくかくと頷くと、すぐに眠りに着いた。普段、流動的な三人の朝は、明日に限り、てきぱきと行動しなければならない。

 仁は眠る前、五山へ声をかけた。

「今日会った人は、田郷子龍さん、ですよね。悪鬼退治で有名な、あの田郷の」

 仁は、悪鬼退治で有名な田郷を当然のように知っていた。五山たちは今日のことを特に説明をしなかったので、仁は気になっていたのだ。

「そうですよ。よく知っていますね」

「もちろん知っています。子龍と呼ばれていたので、そうだろうなと思っていたんです。田郷子龍さんの兄というと、確か田郷……元治さんでしたか」

 五山は、片方の眉をひょいと上げるようにした。玲が聞いていたら、苦々しい顔になっているところだ。

「そうです。やはり有名ですか」

「知っている人は多いかと。だけど、五山さんの名前も有名ですよ。悪鬼退治をしている人なんて、そう多くないですから。普通はなかなか出来ません」

「田郷元治さんとは、どうにも考え方が合わないんです。嫌われているので、会いたくないというだけです。深い意味はないんですよ」

「嫌われているんですか?」

「僕のやり方が気に入らないそうで。会えば喧嘩なので、会わないのが吉です。売られた喧嘩は買いますけど、僕だって暇じゃないんですよ」

「なるほど」

 仁は納得したようだった。

「じゃあ、なるべく早く出た方が良いですね。玲ちゃんのことは、僕が起こしますから大丈夫です」

 てきぱきと言うと、仁はすぐに横になった。目を閉じ、明日に向けて万全の態勢で臨むつもりだ。完全協力体制の仁に、五山は「すいませんね」と珍しく声をかける。仁は目を開けた。

「僕も玲も、そういうところがありますから、仁にはいろいろと迷惑をかけます」

「い、いえ! 何を仰いますやら! 迷惑だなんて、こちらが迷惑をかけている側ですよ。五山さんがそんなことを言う必要は、全く」

「いつも気を遣ってもらってますしね。そんな仁にすいませんなんて言われると、こっちこそ謝りたくなるものです。さすがの僕でもね」

「い、いえ、あの……」

 五山は、表情のないまま仁をじっと見つめている。仁は困り果てたような緊張したようなはにかんだような顔をして、口を「す」の形にしかけたが、ふと口を噤んだ。

「あ……ありがとうございます」

「何がです?」

「いつも、いろいろと……五山さんは、優しいです」

「そうですか。しばらく一緒にいても僕のことを優しいなんて言う人は、実はあんまりいません」

 五山は、ふふふと笑う。仁はつられるようにして微笑んだ。夜が静かに過ぎて行った。

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