第25話 変化

 三人の生活は、穏やかに過ぎて行った。五山は悪鬼退治のお礼を受け取るようになり、暮らしは上々といったところだった。五山の受け取る時の表情を見ると、玲はいつも笑った。五山は、照れ隠しのためお礼を受け取らなかったわけではないが、真正面から感謝されるのはどうにも奇妙な気分らしい。三人は、決して豊かではないが、困窮もしない程度の生活を送った。

 仁の存在は、悪鬼退治にも変化をもたらすようになった。足が速いだけではなく、仁は何より、五山よりずっと常識的だ。人当たりも良く、自立している。料理も洗濯も、力仕事も難なくこなす様子は、二人も関心するほどだ。曰く、長男なので何でも出来ないといけなかったというわけだが、その力強さは出会った当初と比べると別人であった。本来の仁は、そういう人間なのである。悪鬼退治の際の対人関係は、仁と玲が引き受けることになった。玲一人では心もとないことでも、仁がいれば十分に対応出来た。仁は大っぴらになれない身であったが、「怪我をしている」と顔に包帯を巻いたり、傘を深く被っていれば、誰も疑おうとはしなかった。顔を見たところで、普段から注意深く黒塚仁を探す人でなければ、なかなか気付くものでもない。五山の言う下手くそな似顔絵師じゃなくとも、絵と本物では大きく異なるものである。

 仁は誰とでも上手く溶け込み、悪鬼の情報を得て五山へ報告した。玲は人の話をこっそり聞くのが上手かったが、仁は人に話をさせるのが上手い。自らの正体を隠しながら何気なく声をかけ、情報を得るのである。玲は、「忍者に向いてるね」と言ったが、仁は「私は手裏剣が使えませんから」とやんわりと否定した。

 五山は、二人の協力によって、以前より悪鬼退治がしやすい環境に身を置くことになった。願ったり叶ったりである。五山だって、悪鬼をたくさん退治した方が良いと分かっていても、不器用で頑固な一面があるので、なかなか退治のやり方を変えるとはなれなかったのである。

 しだいに五山たちは、日常で些細な困り事があると、仁を頼るようになった。仁は嫌がる素振りを見せず、むしろ頼られることを嬉しく思っているような表情で、何事もこなした。始めこそ自分を姉と豪語していた玲は、いつしか妹の立場に満足するようになり、しっかり者の玲から甘えたがりの玲へと変化していった。五山に対してはしっかりしなければという思いはあるが、仁に対してはそんな思いがすっかり消えてしまったのだ。

 世間には、武智五山が新たな仲間を作ったとの噂が流れたが、五山には関係のないことだった。仁は、変な噂が流れていないかと心配していたが、玲は笑い飛ばしていた。全てが上手くいっていると感じていたからだ。

 ある日、悪鬼退治後、五山が逃げた二人の元へ戻ると、二人は枝で地面に絵を描いて遊んでいた。危機感のない空気感に、五山は気が抜けた息を吐く。まさしくここは危険のない場所である。悪鬼は五山が退治し、ここは玲が選んだ安全地帯である。山奥、人気のない場所では、仁が気を遣って身を隠す必要もない。常に傘を手放さない仁が、傘を差さずにいられる時間だ。玲はすっかり仁に懐いていた。二人で楽し気に遊ぶ姿を見て、五山は少し距離を置いた場所に腰を落とした。刀を抱えるようにして、二人を眺める。こうしていると、まるで兄と妹だ。実際、仁には玲と同じ年頃の妹がいた。玲に妹の影を見ているのかどうかは、本人が何も言わないから分からないが、とにかく平和的であるのが何よりだった。月夜になると、表情に暗い影が落ちる仁も、昼の間はよく笑っている。

 仁は顔を上げた。五山が悪鬼に掠り傷一つ負わされることがないのをすっかり知っているため、「ふふ」と笑って見つめるのだ。

「五山さん、こっちへ来ませんか」

「僕は一人が好きなんです」

 仁は笑った。これは、すでに定型化したやり取りである。何回五山が断っても、仁は必ず五山を誘うのだ。

「五山ったら本当に素直じゃないんだから。入れて欲しいならそれ相応の頼み方があるってことを知らないの」

「それ、五山さんの良いところじゃないですか」

「いつものことだけど、仁って五山を色眼鏡で見てるよね」

「あれ、玲ちゃんはそう思いません?」

「全っ然全く思わない!」

 二人は楽し気に会話をしながら、絵を描き続けた。玲は、肉の絵を描いてみたり、人参の絵を描いてみたり、猫の絵を描いてみたりと、描いては消してを繰り返していたが、仁は玲とは異なるやり方で、会話をしながら大作を描き上げた。

 題、「五山と玲」。地面に描かれたそれを見て、二人は感嘆の声を上げた。

「すごーい! 仁って、絵も上手なんだね!」

「似顔絵師になれますよこれは」

「料理人にもなれるよね」

 二人は仁の将来を話し合いながら、視線は絵から離さない。そこに描かれているのは、等身大ほどの五山と玲の姿だ。二人とも五割増しほどの良い顔になっていて、地面から浮き出し歩き出しそうなほど繊細に描かれている。

「あはは! 五山、めちゃくちゃ輝いてるよ! それにめちゃめちゃ決め顔!」

「玲の周りには花が飛んでますけど、これはいったい何の術ですか?」

「私から見た二人はこんな感じなので、それを表現してみました」

「私が審査員だったら大賞だ!」

「仁はいないんですか?」

 五山の何気ない問いかけに、仁は口を噤んだ。題が「五山と玲」なので、最初から描くつもりがなかったのかもしれない。すると、仁は「これです」と二人から距離を取った場所を指差す。そこには、大きな傘を被り顔を隠した、棒人間のような何かがいた。仁は照れたように言う。

「自分を描くなんておこがましい気がしたんですが」

「遠いですよ」

 五山は落ちていた枝を手に取ると、五山と玲の間に丸を描いた。それから傘を描き、手足と思われるへなへなとした線をぐるっと描く。丸の真ん中あたりに目、鼻、口と思われる部分を描くと、「うーん」と唸るようにして手を止める。

「絵って、難しですよね」

「五山の下手くそ!」

「そう言うなら、玲が描いて下さい」

 五山があっさりと、描いた仁らしき物体を足で消すと、仁は「ああ」と残念そうな声を出す。玲はその場所に仁を描き出すが、描いては消して描いては消してを繰り返した。

「絵って難しいんだね」

「ほら」

「でも五山よりはまし! だよね、仁?」

「私から見れば、二人とも個性的で楽しい絵だと思いますよ」

「そうです。絵というのは、心を込めて描くことが大事ですから」

「何言ってんの五山。絵なんて描いたことないくせに」

 五山は玲から枝を奪うと、もう一度仁を描き始めた。しかし、一度目とほとんど同じ、人間なのかさえも分からない奇妙なものが出来上がる。仁は「素敵です!」と心底思っているような声を出した。玲からは下手くそと言われた絵が、仁には素敵に映っているようだ。

「仁は優しいもん」

「同感です」

 五山も、我ながら素敵とは程遠い絵だと自覚していた。しかし、仁は嬉しそうなのだ。二人は仁の美的感覚を疑いながら、「今日はどうしようか」とこの後の予定を話し合い始めた。その間、仁は目に焼き付けるように絵を眺めていた。

 五山たちが食材を調達してくると、仁はてきぱきと調理をした。三人で料理を「美味しい」と言って食べた後、しだいに空が暗くなってくると、玲は目を瞬かせた。玲の眠る時間は速い。野宿をすることに決め、三人分の居場所を確保したところで、玲はすぐに寝入った。大胆な寝姿を披露することの多い玲だが、今日はいつもより大人しく眠っている。

 玲を挟み、残りの二人は目を開けていた。五山はもとより、眠るつもりはないのだ。野宿の際は、辺りを見張る役目を担っている。これは、睡眠時間をこよなく愛する玲には荷が重い役目である。仁は、「私が起きていましょうか」と提案したが、五山は断った。五山にとって、徹夜は苦ではないのだ。仁も、玲ほど眠らないにしろ、五山ほど眠らなくて良いわけではない。それに、仁は足は早いが気配にはそこまで聡くなく、五山の様に強いわけではないので、結局のところ、五山が起きていた方が良いのである。それを説明すると、仁は納得したようになって、二度とそのような提案をすることはなくなった。三者三葉、役目はそれぞれだ。適した場所に適した人間がいれば、穏やかな生活が成り立つ。

 静かな夜、五山は月を見上げていた。仁も目を開けているが、二人の間に会話がないのは珍しいことではない。気が向けば五山が話しかけ、それに仁が応答する。その逆はほとんどなかった。しかしその日は、静かに呼吸をしていた仁がふいに上半身を起こした。

「五山さん」

 控えめな声が、五山を呼んだ。

「何でしょう」

 返事をすれば、仁は緊張したように目を瞬かせる。それは、出会った当初を彷彿とさせる仕草だった。

「あの……ありがとうございます。もともと、私の我儘から始まったことなのに、こんなに楽しく暮らしていた良いのかと思うくらい、今私は幸せです」

「誰だって、不幸せより幸せな方が良いですよ。誰に臆することもありません」

「そう、ですかね。案外大丈夫なものなんだなっていうのは、最近よく思います」

「人って、あんまり人のことなんて見ていないものですよ。あんな指名手配、早く解除されれば良いんですけどね」

「解除なんて、されないと思います。やっぱり、一応、鬼の血ですし」

「仁は悪鬼になっていません」

 仁は五山と会話をする時、じっと目を見つめるのが常だった。今日も、じっと目を見つめながら「それは、そうですけど」としだいに視線を下げて行く。それでも、五山から視線を逸らすことはない。

「これでは、僕に殺されたくても無理ですね」

「実のところ、願ったり叶ったりではあります。悪鬼になった時は仕方ありませんけど、死にたいわけではないので」

「まだ十五歳でしたっけ。まだまだ人生これからです」

「五山さんだって、まだまだ人生これからですよ」

 五山は、ごろりと転がり仁へと身体を向けた。肘を突き、左腕で頭を支えるようにすると、にっと笑う。

「おやすみなさい。仁はそろそろ眠った方が良いでしょう。お肌の調子が整いませんよ」

「お、お肌はあまり気にしたことないんですけど……はは、おやすみなさい」

 仁は横になると、目を閉じた。途端、静寂が訪れる。 

 五山は刀を抱えると、月を眺め始めた。五山の夜はこれからだ。

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