第23話 疾風
三人は、町で得た情報を頼りに、とある山の麓の村まで来ていた。昨日の夕方、ここで悪鬼が出て山へ消えて行ったのだという。詳しい話を聞かないまま村へ足を踏み入れた五山たちは、悲惨な状況を目撃した。
死者は三人。悪鬼に見つかってしまった彼らはたちまち殺され、辺りは血の海と化したのだ。もともと小さな村で住んでいるのは十数人だけだという。残りの村人たちは家にいて、真正面から悪鬼を見ることはなかったが、その声だけははっきりと聞いたらしい。そして、ほとぼりが冷めた後こっそりと戸を開けば、山へ入って行く小さな背中を見たのだ。
「貧しい村ですし、あれからまだ一度も戻っては来ていないので、そのままにしています。もう二度と現れて欲しくはありません」
遺体に手を合わせ、村人たちは悲し気に言った。
「それに、いくら退治をしても、悪鬼は常に存在します。いたちごっこですよ。死んだら、それで仕方のないことなんです。そういう運命だったんですよ。弱い人間に、悪鬼に立ち向かう力なんてありませんから」
三人は並べられ、白い着物を着せられていた。表情は苦痛に満ちている。五山は、こういう顔をいくつも見てきた。
基本的に悪鬼は神出鬼没だが、一度味を占めるとその場にいつく場合もある。昨日のことであれば、なおさらこの近くにいる可能性は高い。またここに現れる可能性だって十分にあった。彼らはそれを理解し、逃げることなく諦めている。何人かは村を出た人もいるらしいが、ここにいる彼らは、すでに黒々とした淀んだ目をしている。悪鬼に殺された人間を見る目は、誰しもこういうものになるのだ。
五山は問いかけた。
「悪鬼は、山へ入ったんですね」
「そうですけど、武智さん、あなたも退治なんてほどほどにしたらどうです。死んだら元も子もありませんよ」
「僕は、あなたたちとは考え方が違うんです」
一蹴した五山は、先頭に立って山へ足を踏み入れた。村人たちは、「物好きだね」と言って家へ帰って行った。武智五山は、変わり者と評判なのである。
三人は、木々に覆われた道なき道を歩いて行く。玲は、まだ何の気配も感じていない。仁は玲の隣で腕をぐっと掴まれ、五山の背中を見つめながらゆったりと歩いて行く。人の気配がなくなると、仁は深く被っていた傘を取った。ほっとした表情だ。玲は、その少年を不思議に思った。悪鬼がいるかもしれない山の中で、安心しているのだ。五山がいるからか、玲がいるからか、仁は全く恐怖を感じていない。その行動から信頼が感じられて、玲はいっそう辺りへの警戒を強めた。
「悪鬼は常に神出鬼没ですから、一日探し歩いたって見つからないことはざらです。疲れたら言って下さい。休憩を取りますから」
五山は背中を向けたまま、淡々とそう言った。
「大変なんですね」
仁の心の底からの声に、玲は「でも」と仁の袖を引っ張る。
「やり方を変えたらって言ったこともあるんだよ。田郷みたいに、依頼されたらすぐに行くっていう感じに。こっちは一人だし、いろいろ難しいこともあるだろうけど、そこは臨機応変にやってさ。何の情報もないままだらだら歩いているのよりずっとましだよ」
仁は、ふとした表情になると玲へ問いかけた。
「依頼されないから、お金も貰わないんでしたっけ?」
「そうなの! ありがとうって言っていろいろくれようとする人もいるけど、五山が断っちゃうんだよねえ。もちろん、貰う時はあるけど」
「貰う時っていうのは、どんな時なんですか?」
「生活費が無くなりそうな時とか、五山の気まぐれで。暮らしていけなくなったら元も子もないしね。これから三人なんだし、やり方を変えるっていうのも良い手だと思うんだよね。ねえ、五山?」
五山はぴたりと足を止めた。そして、ぐるりと二人を振り返る。珍しく、玲の言葉に心を動かされているようだ。
育ち盛りの少年が一人入ると、金事情は大きく変わる。全てが一人分増えるのだ。それまであまり何も考えて来なかった五山は、やりくりというものに直面した。
「暮らしていくには金がかかりますしね」
「珍しいこと言うね、五山」
玲は驚いた。今まで聞く耳を持たなかった五山が、揺れているのだ。
「いいえ、やり方は変えません。暮らしていくには金が必要だと言っただけです」
「すいません、私がいるから」
「仁が謝る必要ないよ! そうじゃなくて、もともと私は五山のやり方はどうなのかなって思ってたから、むしろ良い方向に向かってると思うな!」
仁は控えめに「そうですか」とだけ言った。
五山は先を歩いて行く。その頭の中で何が繰り広げられているか、考えるのはそう難しいことではない。当然警戒を怠ることはないが、数々の悪鬼を退治してきた五山にとって、今はそこまでの修羅場ではない。
しばらく歩いていると、玲が顔を上げた。表情には、瞬時に緊迫感が走った。
「いる」
少女の指が木々の先を指差すと、五山の視線が一瞬にして鋭くなる。村人三人を殺した悪鬼が、あの方向にいるのだ。
仁の行動は迅速であった。玲の身体を抱えると、「どっち?」と玲へ安全な方向を問いかけたのだ。玲が瞬時に指差すと、仁はそのまま風の様に逃げ走ったのである。それはまさしく風としか言いようのないほどの疾風であった。取り残された五山は目を丸くしてその後ろを視線で追ったが、すでに消えた後である。これほど足の速い人間を、五山は見たことがなかった。悪鬼と匹敵、あるいは悪鬼よりも凄まじい速さであったかもしれない。五山は呆けた後、思わず口角を上げた。それから、五山はすぐに気を取り直すと、刀を握り締めた。視線を上げれば、玲が示した方向に悪鬼の気配を感じた。心を落ち着け、前を見据える。悪鬼を前にした五山の集中力は、何者にも邪魔されない。
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