第22話 羨望
仁は常に控えめで、常に五山たちの後ろに影のようになって付いていた。存在を隠すよう、傘を深く被る様子は陰気で不穏である。共に行動をするようになって数日、見かねた玲は仁の腕に自らの腕を絡ませ、「堂々としてたら良いんだよ」と大路を大手を振って歩き出した。まさしくそれは仲の良い兄妹で、誰からも指を差されることはなかった。むしろ、ほのぼのとした視線を送られるばかりだ。「仲が良いねえ」と声をかけられたこともあった。玲は「そうなの!」と元気よく返事をした。
三人は、町のあちらこちらに黒塚仁の名前と顔を書いた紙が貼られているのを見つけたが、貼られてからそれなりの時間が経過している今、立ち止まってよくよく見ている人などいなかった。黒塚仁という名前、普遍的な少年の似顔絵は、すでに彼らの生活の一部と化してしまっている。たった一人、ただの少年がまだ見つからないということは、もうどこかで死んでいるんじゃないか、と噂する人もいた。興味関心が薄れ始めているのである。実際、鬼の血などというものが、本当にあるのかどうかすら分からないのだ。始めこそ躍起になって探していた人々も、しだいに力を入れて探すことをしなくなっていた。何より、悪鬼になるかもしれない人より、悪鬼の方がよほど恐ろしいのだ。まだ仁を探しているのは、金に困っている人や、正義感に溢れる人くらいのものである。それに、こんな風に堂々と町を歩く人物が、まさかそうだと思うはずもない。何より、五山は張り紙の似顔絵に苦言を呈した。
「全然似てませんから、隠れる必要なんてありませんよ。良かったですね。この似顔絵師は下手くそです」
こき下ろす五山に対し、仁は「そうでしょうか、でも特徴は捉えているような」とどこへ向けての発言なのか分からなくなるようなことを言った。玲はけらけらと笑うばかりであった。
しだいに、仁からはおどおどとした雰囲気は消えて行った。今となっては、黒塚仁探しに躍起になっている人なんて、そう多くはない。怯えた表情は見なくなり、穏やかで、誰からも好かれるような優しげな笑顔を浮かべるようになった。本来、仁とはこういう人間なのである。玲や五山のような、気性が荒かったり、癖があったりする人間とは性質が異なり、まったりとしていて器が大きい。まるで聖人君子だねと玲に言われ、仁は「とんでもない」と首を振った。
「その言葉が似合うのは、武智さんの方ですよ」
玲には、仁の言葉が全く理解出来ず、「有り得ない」と断固否定した。五山は何やら玲へ向けて言ったが、玲は聞く耳持たずである。そこには穏やかな空気が広がっていた。
三人の暮らしは、仁という緩和剤が入ることにより、二人の時よりも上手くいっているようだった。決して二人の生活が悪かったわけではないが、仁の存在によって空気感がより良くなったのである。玲の機嫌はぐっと良くなり、五山も二人につられるようにして微笑むことが増えた。全てが上手くいっているようであった。
しかし仁の瞳は、ふとした瞬間に寂しさが浮かんだ。仁は毎夜、月を見上げては何事かを考えている。眠れないわけではないのだ。玲が眠った後、自分が眠るまでの間、物思いに耽ったようになるのだ。いつも、五山はそっとその様子を見ていて、話しかけることはしなかった。仁の凄惨な過去を思えば、それも当然のことだったからだ。表面上は取り繕っていても、仁の中にある恐怖や絶望が消え去ることはないようだった。
始めこそ控えめであり続けた仁は、しだいに五山や玲に対して様々な質問をするようになった。二人のことを知りたいという気持ちの表れである。
「二人は、いつから一緒にいるんですか?」
「どれくらいこんな生活を続けているんですか?」
「好きな食べ物はありますか?」
「趣味は?」
初日の歓迎会で、五山たちが仁へした質問攻めとは異なり、折を見てぽつぽつとされるそれらには、ありありと興味が浮かんでいた。玲は、一の質問に十を返すといった具合で、何でも話した。隠すことなど何もないというわけである。玲は、すでに仁を心底信頼していた。それは、五山も同様である。
「眠らなくて大丈夫なんですか?」
「どうしてそんなに強いんですか?」
仁は、五山の人間離れした強さに惹かれていた。玲がまだ眠っている朝など、二人きりの場面になった時は、こういった質問を飛ばすことが多かった。しかし、五山の答えは玲と違い、五の質問に一を返すといった具合であった。そういう時の仁の質問は、五山にとって、答えにくい質問なのだ。
「何ででしょうね。昔からそうなんです」
「さすがです」
五山が何を言っても、仁はそう締めくくった。それは、本心からの言葉であった。仁は、悪鬼退治をしている五山を尊敬しているようなのである。五山は悪い気分ではなかった。何と言っても、玲からはそんな扱いを受けたことがないのだ。
仁と一緒に行動するようになった際、玲はしばらく退治を休むことを五山へ提案した。仁の状況等を鑑みるに、悪鬼と対面させるわけにはいかないと考えたのだ。仁の暮らしが崩壊したのは、全ては悪鬼のせいである。仁自身も、鬼の血筋と言われている。悲惨な過去が思い出されるのではないかと、玲は危惧しているのだ。仁に問いかけたところで遠慮をして「大丈夫です」としか言わないので、玲が五山のストッパーになる必要があった。しかし、仁は言う。
「本当に大丈夫なんです。私は邪魔にならないようにしています。私のことは構わず、退治は続けて下さい。お願いします」
五山も思うところはあったが、自分に定めた使命と仁の言葉により、悪鬼退治を休むことはしなかった。玲は、玲なりの使命感によって五山を止めようとしていたが、仁にお願いをされてしまえば、断ることも出来ない。仁の瞳は真剣で、「いや、でも」などと言える雰囲気でもなかった。仁は、強い五山こそ至高なりと考えている様子なのである。また、ある時仁は何気なくこう言った。
「人の方が怖いですから」
この短い言葉が、仁の嘘偽りのない全てであった。ごく軽い調子で言う様子は、本当に悪鬼をそこまでの恐怖の対象としては捉えていない。賞金をかけられている仁は、人の恐怖を嫌というほど味わっているのだ。
玲は何とも言えなくなり、五山が悪鬼退治を続けることを良しとした。
「ちなみに、仁は悪鬼を見たことがあるの?」
玲の問いかけに、仁は「ありますよ」と軽い調子で答えた。瞳の奥には当時の記憶が蘇っているようだったが、表情は変わらず、そこに恐怖は一切ない。続けて五山が問いかけた。
「それは、親族が悪鬼になった時、ということですか?」
「それもあります」
「それも?」
玲は首を傾げた。その言い方は、それ以外でも悪鬼を見たことがあるということになる。しかし、普通の人にとって、悪鬼は出会えば死である。仁は、悪鬼から逃げた経験があるという事なのだろうかと二人が考えを巡らせていると、「退治屋の人に助けてもらったんです」と仁ははにかんだ。
「へえ、そうなんだ!」
「はい、昔の話ですけど」
「それは運が良いですね。仁は、きっとそういう星の元に生まれているんでしょう。何だかんだと言いながら、僕より長生きするんじゃないですか?」
「いえいえ、そんなことは……」
仁が両手を振ると、玲は仁の袖を引っ張った。
「ねえねえ、その退治屋っていうのは、やっぱり田郷の人?」
「いえ。でも、とても格好良かったのは覚えています」
「へえー。強かったんだ?」
「はい、とても」
仁の語気は強まった。玲は五山を肘で突くと、「五山も頑張んなきゃね」と見上げた。
「競争しているわけではありません」
「そりゃあそうだけど! でも、強い人だったらもっと噂になりそうなのに、田郷以外って言うとあんまり知らないよね? ま、何でもいっか」
玲はけろりとして言うと、忘れたような顔をして歩き始めた。特に興味はないのである。
五山が悪鬼退治を続ける以上、注意事項はいくつもあった。玲は、悪鬼と遭遇した時の行動について、仁へ詳しく話した。玲の察知能力があれば、対面することはまずないが、万が一のことを考えてのことである。
「五山と一緒にいる時は、とにかく五山の後ろにいれば大丈夫だから。万が一、一人の時に遭遇してしまったら、目いっぱい大声で五山を呼ぶしかないね。会ったことがあるなら分かると思うけど、あれは足が速いし、力も強いからね。そういう状況にならないように、一人にはなっちゃ駄目だよ? 仁は人間にだって狙われてるんだから」
仁は頷きながら真剣に聞き、「分かりました」と真面目な顔つきで言った。仁は素直なのである。玲は、仁をいたく気に入っていたため、丁寧に時間をかけて玲の知る限りの生き延びる方法を伝授した。玲はまだ十歳であったが、様々な修羅場を潜り抜けている。こういう場合はどうするか、ああいう場合はどうするか、持ちうる全てを話す勢いである。
玲が存分に話し、もう口から何も出ないという状態になると、仁は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「こんなに詳しく教えてもらえると、大丈夫な気がしてきました」
「常に警戒は怠らないことだよ。要するに、私が悪鬼を見つけたらすぐに言うから、五山を置いて安全な場所に走って逃げるだけ。これが一番多いと思うから、安心して」
「はい、ありがとうございます」
仁は深々と頭を下げた。五山は、やっと終わったかと欠伸をしている。少し離れた位置に座っていた五山は、二人の会話に入ることをせず、手持ち無沙汰だったのだ。退屈そうに立ち上がった五山を見て、仁は小さく微笑んだ。
「玲さんはすごいですよね。私も気配に敏感になれば、お手伝い出来ることもあったかもしれないのに」
「そんなのいいんだよ! 私は仁がいてくれた方が助かるな。だって、五山と二人だと、困っちゃうことがあるもん。頑固だし、気ままだし」
「本人がいる前で悪口を言うのはいただけませんね」
「あ、五山、いたんだ? じゃあ、五山がいないところで悪口言うね」
「それもいけません」
「じゃあ五山が頑固なのを治せばいいのに!」
「それは僕の性質ですから、治すなんてとんでもない」
「ほら、こういうところ」
玲が肩をひょいと上げて見せれば、仁はくすくすと控えめに笑っている。二人だけであれば険悪になっているような場面を、仁が緩和するのだ。五山と玲は目を合わせると、何やら視線で会話をした。
「じゃあ、明日からまた退治を始めますけど、良いんですね?」
五山の言葉に、仁はしっかりと頷く。
「決して邪魔にはなりません」
強い意志のこもった瞳である。玲は五山を頑固物だと言うが、五山は仁にもそういう側面があるのではなかと思っていた。頑固と言うと聞こえは悪いが、一度決めたことは最後までやり通すというような芯の強さが、そこには垣間見えるようだった。
翌日から、五山の悪鬼退治は再開された。
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