第20話 過去

 五山の疑問は当然のことである。命を狙われていて、賞金も出るのだから、人の前に顔を出せば殺されることは必至である。一人、人気のないところで身を隠しているべきだ。「私を殺せば賞金が出ます」などと言って、まるで五山に殺されたがっているような態度は理解不能である。仁の行動に疑問を抱きながら、五山は仁の答えを待った。仁はしばらく考え込むように押し黙ってから、口を開いた。

「三年前、祖母が悪鬼になりました。二年前は、叔父と祖父が。去年は、従兄弟たちが三人……そして今年は母が、悪鬼になりました。そして、悪鬼になった母は、父を殺して逃げてしまいました。残された私たちは、鬼の一家だと呼ばれました。

 当然、気持ちは分かります。次々と悪鬼になっていく私たちは、偶然だけで説明は出来ません。善行を積まず、五悪を行っているからと言ってくれる人はいましたが、誰もそんなことをしていないことは、周りの人たちだって知っていました。私たちはみな、慎ましく暮らしていたんです。ならば、どう説明するのかという話になります。鬼の一家と言ってしまうのが、一番手っ取り早くて分かりやすいんです。事実、それ以外の説明が思いつきません。鬼の血を引いた人間は、殲滅すべし。こう言われて、私たちは命を狙われるようになりました。弟と妹は殺されました。私は一人運よく生き延びて、今ここにいます。死にたくなくて……今ここにいます」

 仁の視線はしだいに下がっていく。悲惨な出来事から目を逸らしたいと言わんばかりに目を閉じる。

「みんな殺されて、絶望し自死してしまおうとも思ったんですが、駄目ですね。いざとなると死にたくないと思ってしまう。私が悪鬼になったのならともかく、理性的な人間である以上、まだ死にたくないと思ってしまったんです。死んでしまった家族も……私には、生きられるところまで生きて欲しいと願っているはずだと思います。偶然生き残ってしまったのは、そういうことだと思うから……ただ、悪鬼になってしまったのなら、すぐに殺して欲しいです。私は人を殺めたくありません。……武智さんなら、こんな私を受け入れてくださるのではないかと思い、会いに来ました。話は、以上です」

 仁は静かに締めくくった。

 武智五山は変わり者と評判の男である。運良く生き延びたとしても、いつまでも逃げ切れるわけがないし、もし悪鬼になってしまっても人を殺めたくはない。様々に考えを巡らした結果、仁が辿り着いたのが武智五山だったというわけだ。それは、一種の賭けだったのかもしれないし、期待であったのかもしれないが、五山には仁が無謀であるように見えた。まるでこれは、勝機のない負け戦である。

 五山が口を噤んでいると、仁は言った。

「私を殺してくれますか?」

 仁の唇は震えていた。しかし、声ははっきりとしている。真剣な眼差しは、五山の返答を待っていた。

 五山は鼻で笑うようにした。生きたいと願いながら、五山へ「殺してくれますか」と言うのだ。あまりにも言葉足らずであった。仁が五山という人間をどう思っているのかは、五山にはあずかり知らぬところであったが、仁が精一杯の勇気を持ってやって来たことだけは明白であった。それならば、五山も気持ちに応えなければならない。

「殺しますよ」

 仁の目は大きく開く。

「あなたが悪鬼になった時は、もちろん」

 仁は、目を瞬かせて立ち尽くした。身体の前で静かに両手を合わせ、五山の一挙手一投足を見逃すまいとしているようだ。

「賞金には特に興味もありませんが、生きていくにはそれなりに金は必要ですからね。貰えるものであれば貰うつもりです」

「そ、そうです! 私を殺したら、ぜひ賞金を受け取って下さい!」

 仁は、語気を強めた。胸の前で拳を握り、首を大きく縦に振っている。

 五山は仁のことがよく分からなかった。生きたいと願いながら殺して欲しがったり、五山に賞金を貰って欲しがったり、まるで訳が分からない。悪い人ではなさそうで、かつ、嘘を吐いている様子でもないことだけは分かるが、全てが本心だからこそ訳が分からないのだ。

「あなたの気持ちはよく分かりませんが、正直なところ、悪鬼にならない可能性の方が高いと思いますよ。鬼の血なんて、よく分かりませんから。実際どうなんですか? 鬼の血を継いでいるんですか?」

 仁は首を振った。

「あ、いえ、それは私にも分からないんです。たまたまなのか、鬼の血なのか……鬼の血と言ってしまうのが、一番分かりやすいとは思いますけど、鬼の血というものがどういうものかも、よく分かっていないんです」

「まあ、僕としてはどちらでも構いませんよ」

 五山はあっさりと言った。

「僕は、おそらく悪鬼退治にスリルを求めているんです。日常は退屈でつまらないでしょう。良いじゃないですか、いつ悪鬼になるか分からない相手を連れて退治をするなんて、これ以上のスリルはありませんよ」

「また適当なこと言って。悪鬼にならない可能性の方が高いって言ったばっかりなのに」

 柔らかい少女の声に、五山は「戻って来たんですか」と軽い調子で声をかける。

 五山が振り向いた先には、仁王立ちをした玲がいた。危機が過ぎ去ったことを確認し、戻って来たのだ。すでに大まかな会話内容を聞いていた玲は、つかつかと仁へ歩み寄ると、無遠慮な視線をぶつけた。二人の距離は数センチといったところである。仁は見るからに困惑し、降参だと言わんばかりに両手を挙げている。玲は仁の瞳の奥を覗き込み、やがて微笑んだ。

「悪鬼特有の嫌な感じは全くしない。その気配もないよ。鬼の血なんてきっと嘘っぱちだね。大変だったでしょう? まあまあ、この人の側にいれば大丈夫だから、安心しなよ」

 玲は、気軽に仁の肩を叩いた。表情には、優しさが浮かんでいる。人の印象は第一印象で決まると言うが、玲から見て仁は、かなり「良い」感じだったようである。さすがの玲であっても、これから悪鬼になる人の見分けは付かないが、玲がここまで断言するのであれば、少なくとも一月の間にどうこうなることはないだろうと、五山は完全に気を緩めた。玲の研ぎ澄まされた感覚は、十中十の確立で当たるのだ。

 玲はかなり好意的で、「私のことはお姉さんだと思ってくれたら良いからね」などと声をかけている。

「お、お姉さん、ですか」

 慈悲深い視線を向けられ、仁は恐縮するように頭を下げた。明らかに年下の女の子にこんなことを言われ、どうしたものかと考えていたようだが、大人しく「はい」と頷いた。玲は満足し、背伸びをしてぽんと仁の頭を撫でた。仁が経験した悲惨な過去のことを思うと、優しくしてあげたいという気持ちが湧いてくるらしい。仁はされるがまま、腰を曲げて玲に頭を撫でられていた。

「いくら何でも、十歳を姉とは思えないんじゃないですか?」

「年齢じゃないの、心のお姉さんなの! 五山も、優しくしてあげなよ! これからは三人になるんだから」

 玲が頭を撫でるのを止めると、仁はすっと立って五山を見た。困惑が混ざったぎこちない笑顔であるが、笑うと少年的な優しさが滲み出した。

 親族を失い、たった一人命を狙われる少年が、こんな笑顔を浮かべているのだ。五山は逡巡してから一歩踏み出し、ぎこちなく口角を上げた。他人へ向けて、意識的に笑顔を向けるなどしたことのない五山は、まるで不器用な様子だった。玲は噴き出すようにして笑った。

「五山、何その顔! にらめっこしてるの?」

「茶々を入れるんじゃありません」

 五山は不服そうな顔になると、仁へ向かって「食べ物は何が好きですか」と問いかけた。肉があれば玲を喜ばせられると知っている五山は、仁にもその方法を取ろうと考えたのだ。仁は戸惑ったようにしてから、「人参とかでしょうか?」と疑問形で答えた。

「うさぎみたいで可愛いね」

「変わった嗜好をお持ちなんですね。人参のこと、僕は好きでも嫌いでもなく普通です」

「五山、人の好き嫌いを否定するのは良くないよ。美味しいじゃない、人参! 私は嫌いじゃないよ!」

 好きとは言わない辺り、玲もそこまで好きなわけではない。仁は少しだけ考えて、「家が貧乏だったので、白米があれば十分なんです」と付け足した。

「じゃあ、やっぱり肉だよ、肉! 食べたら元気も出るし」

「玲はいつもそればかりですね」

「駄目なわけ?」

「いえ」

 二人を見て、仁は穏やかな表情になった。人参の案は却下されたが、特に気にした風でもない。

「では、行きましょうか」

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