第18話 例外

「五山は、やっぱり何の防御もしないで退治をしてるんだよな?」

 五山は目をぱちくりとさせてから、「当然」と答える。子龍は「だよなあ」と諦めたように呟いてから、続ける。

「悪鬼の血を浴びたら鬼になるかもしれねーぞ」

 それは、退治をする人々の間でまことしやかに囁かれている噂であった。悪鬼の血を浴びたら悪鬼になる。嘘か真か分からないからこそ、悪鬼退治を行う誰しもが血を浴びないように布を巻いたりして、防御をする。特に子龍は、退治の際は完全防御をしていた。彼らの間では、それはほとんど真実として語られ、「悪鬼の血を浴びることは死である」とされているのだ。血を浴びれば、悪鬼にならなかったとしても仲間に殺されるのは必至というわけだ。しかし、五山だけは例外だった。平気で肌を晒し、凄まじい強さで血の一滴すら浴びることなく退治をする。「悪鬼になりたいのか」と元治からは何度も言われるが、五山は必要性を感じないのだ。五山は変わり者であり、その強さも人間離れしていた。

「それで実際に鬼になった人がいますか? そんなものはただの噂です。幸い、今のところは浴びたことはありませんし、今後もその予定はありません。気持ち悪いですからね」

 子龍は呆れた息を吐く。子龍自身、噂を完全に信じているわけではない。集団に所属し、頭の弟と言う立場もあり、風紀を乱すわけにはいかないのだ。もし、と考えると、防御しないという手はなかった。噂がある以上、無視は出来ないのだ。

「人の善意を無視しやがるんだからなあ」

「本当になった人がいたのなら検討します。その時は是非教えてください。僕には、子龍しか情報を得る方法がないので」

「いくら強いからって、横の繋がりは大事にした方が良いぞ。退治する者同士、みんなで仲良くやって行こうぜ。まあ、兄は置いてさ」

「子龍がいれば十分です」

 五山は聞く耳を持たない。玲と子龍は目を合わせ、「ははは」と笑い合った。

「仕方ない。もし五山が悪鬼になったら、俺が退治してやるよ」

「それは頼もしい。よろしくお願いします」

 五山と子龍は、軽口が叩き合える中である。友人を持たない五山にとって、子龍は唯一の存在であった。こんなことを言えるのは、相手が子龍だからである。

 子龍は、「そうだ」と思い出したように言った。

「鬼の血といえば、だよ。俺しか友達のいない可哀そうな五山君に教えてやろう」

「さて、何でしょう? せっかくなので聞いてあげますよ」

「もう、五山ったら」

 玲は五山を肘で突くと、「どんな話?」と子龍を見上げた。子龍は頷いてからゆっくりと話し出す。

「鬼の血を引いてるって奴らが現れたんだ。確か……何たらっていう家だよ。その家の奴らが、この数年間で次々と悪鬼になったらしい。そりゃあ、悪鬼になる人間は絶えないとはいえ、この確率は異常だ。普通、暗黙の了解として悪鬼になったことは周りに隠すもんだけど、あまりに次々となっていくから隠しきれなくなったのかもな。それで、この家の人間は鬼の血を引いているに違いないって言って、ついこの間、一人を残して全員殺されたんだが」

「こ、殺されたって、その家の人たちがみんなってこと?」

「そうだ。一人を残して」

 玲の表情は青ざめた。子龍が話しているのは、五悪の一つ、殺生の話である。

「そんな、酷いことを。いったい誰が」

 玲の問いに、子龍は「悪鬼退治とは関係のない、普通の人たちだよ」と答える。五山は眉を潜めた。

「退治をしない普通の人々が、人を殺したんですか?」

 咎めるような五山の声に、子龍は答える。

「人じゃない、悪鬼だ……って奴らは言ってる。人の面を被った悪鬼だから、これは殺生に当たらない、善行なんだって」

 玲は信じられないと左右に首を振った。

「善行って……でも、悪鬼になってない人なんでしょ? それは殺生だよ。絶対にやったら駄目なことだよ」

 子龍は何とも答えなかった。正しさとは、正義とは、いつだって一つとは限らない。鬼の血を殺した人々は、自分は善行を積んだと思っている。

 二人の間に沈黙が訪れた瞬間を図って、五山は口を開いた。

「一人を残して、というのはどういうことなんでしょうか」

 子龍の説明によると、一人を残してその一家は全員殺されたという。引っかかりを覚えていた五山へ、子龍は深く頷いた。

「一人だけ逃げられたんだと。で、今、捜索中。見つけたら殺すんだと。情報を募っていて、発見した人には賞金が出るって」

 玲は「何てひどい」と頭を抱えた。

「子龍も参加してるんですか?」

「いや、俺たちは悪鬼にしか興味がないんでね。積極的には参加しないけど、たまたま見つけてしまったら、殺さないといけなくなるかもしれないって感じだ。兄は、そういう意味では真面目だしな」

「そうですか」

 五山は頷き、「僕は見つけても殺さないと思いますが」と言う。

「五山はきっとそう言うだろうと思った。悪鬼になるかもしれない人間を殺すなんて、こんなことを始めたらきりがない。逆に言えば、絶対に悪鬼にならない人間の方が少ないだろ」

「そうですね。善行を積めば悪鬼にならないなんて、僕は信じていません。誰もがなる可能性があると思っています」

「だな」

 五山は鬼の血を殺した彼らを否定すると、頭を振って声色を変えた。

「じゃあ、残りの一人は今頃必死になって逃げていますね。見つけられたら殺されるんですから、人目の付かない場所にでも隠れているかも」

「何だか可哀そうだね。いつまでも逃げ続けられないだろうし、待っているのは死のみ、か」

 見たことのないその人を想像するように、玲は空を見上げた。今頃何を感じ、どこにいるのか。考えても正解が出るわけもない。

 子龍は玲の頭を軽く撫でた。

「じゃあな、五山。ちゃんとしろよ。俺はもう行く」

「はい、ではまたどこかで」

 子龍は微笑んだ。密かに会いに来ている以上、あまり長居するわけにはいかないのだ。

 二人の間には、確かな連絡手段があるわけではない。子龍へは、五山から連絡しようと思えば出来るが、二人の間柄は元治に知られてはならないものだ。毎回、彼らは不確実な約束を交わして別れる。いつが今生の別れとも知れない中、いつも必ず「また」と言って手を振るのだ。

 子龍はあっという間に消えた。各地の悪鬼を退治して回っている彼は、忙しいのだ。

 各地を転々とする五山たちとは違い、子龍は拠点が決まっている。仲間も数十人いて、各地に頻出する悪鬼に対し、連携して退治を行っていた。自由奔放な五山とは、退治に対する向き合い方が根本的に異なるのだ。変わり者でなければ、普通は悪鬼にたった一人で立ち向かおうなどと思わないのである。鬼のように強い五山は、退治を行う者にとって無視できない存在であった。堂々と言うことは出来ないが、少女を一人連れ転々と退治を続ける五山は、悪鬼退治を行う者たちの中で、孤高の存在でもある。真似が出来ず、真似をしようとも思えない圧倒的な自由さは、憧れなのだ。それが、元治にとっては目障りでもあった。五山に憧れられては困るのだ。五山のやり方は、五山だからこそ出来るものだ。普通ならば、即死である。それは、子龍であっても元治であってもそうだ。例外は五山だけである。

 子龍の背中を名残惜しく見送った玲は、「行っちゃったね」とぽつりと言う。

「寂しいのなら、一緒に行っても良いんですよ」

「そしたら五山が一人になるでしょ? 可哀そうすぎて目も当てられないよ」

 玲は、五山の後を付いて歩き始めた。別の生き方があることを知りながら、玲はあえて五山に付いて回っているのだ。五山はそれ以上何も言わず、二人はまた退治の日々を始めた。

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