第16話 田郷

 朝になり、はっきりと太陽が出たところで五山は行動を始めた。一晩起きているくらいなら、五山にとって何の不自由もないのだ。うんと伸びをし、首をぐるぐると回した。表情には爽快さすらある。体力が有り余っていると言わんばかりに辺りをうろつき見回ってから、座り込んで刀の手入れをする。しばらくそうしていると、玲が目を覚ました。寝ぼけ眼の玲と挨拶をしたところで、水を手渡してやる。玲はぽやぽやとしていたが、時間が経つにつれ頭がはっきりしてきたようだ。屈伸運動をしてから、「うん、元気!」と太陽に向けて言った。

「今日は良いことがありそうな気がする!」

「そうですか? 具体的にはどんな?」

「具体的なんて言われても困るけどさあ。玲ちゃんの朝の占いでは、私が断トツで運が良いの」

「僕は?」

「五山は二番。最下位だよ」

「二人しかいないのに、最下位はおかしくないですか?」

「おかしくないよ。二人中最下位だもん」

 二人でやいのやいのと言い争っていると、五山はふと向こうの木々に目をやり、玲を庇うように動いた。この先に、不穏な気配を感じたのだ。

「鬼じゃないから、まだ平気だよ。けっこう距離もあるし」

「人でしょうね。こんなところに」

 鬼の類ではないことは分かるも、正体がはっきりしない限り、警戒を怠るわけにはいかない。二人は、何度も危険な場面に遭遇している。それでも命を落とさずやって来れているのは、この警戒心のおかげだ。玲も真っ直ぐに向こうを見つめ、見定めるように視線を動かしている。悪鬼だと分かれば一目散に逃げる玲だが、人であれば向こうの出方を見極める必要があるのだ。何が目的かをはっきりさせない限り、迂闊に動くことはない。ただ、玲の警戒心が緩いのを見て、五山は明らかな敵ではないと少し警戒を緩める。もし向こうが明らかな殺意を抱いている場合、玲は五山よりずっと早くに気付き、警告をしている。悪鬼に楽勝する五山が人間にそう簡単にやられるわけはないとしても、慎重さは常に抱くべきなのである。

 気配は、徐々に近づいて来ていた。すると玲は、ほっとしたように息を吐く。

「やっぱり、今日は良いことがあったよ」

 警戒心を全て取っ払った玲は、にこにこと機嫌よく笑い出す。五山は肩をぽんと叩かれて、気配の主を理解した。

 しばらくして、木々の隙間からやんごとない気配を放って現れたのは、一人の若い青年である。 

「おい五山! 何で式に来なかった!」

 表情には怒りが満ちていた。腰には刀、五山よりずっと体格の良い彼は、五山の肩に手をかけるとがたがたと前後に揺らす。五山は気軽さを持って手を上げた。

「子龍じゃないですか、久しぶりですね」

「その言葉、式で聞きたかったぜ」

 田郷子龍(たごうしりゅう)は、悪鬼退治で最も有名な田郷家の次男だ。田郷の集団は血縁関係で成り立っているわけではないが、頭は子龍の兄、元治である。世のため人のため、悪鬼退治を目指す屈強な力自慢の人々は、まず田郷の戸を叩き、そこでさらに鍛えられ、田郷の集団に所属することになる。数十人で構成された彼らは、世間では英雄の一派だと評判である。

 年は二十二歳、若々しい額に汗を滲ませ、子龍は「はあ」とため息を吐いた。後ろで結んだ黒髪が首筋にかかるのを鬱陶しそうに払うと、「どれだけ探したと思ってんだ」と苦々し気に言う。五山が子龍と会うのは、かれこれ五か月ぶりだった。

「転々としながら退治しているものですから。よく見つけ出せましたね」

 ふん、と子龍は鼻で笑う。

「世の中を渡っていくには、情報収集が大事なんだぜ」

「へー」

 口先だけで返答した五山は、「それで?」と本題に入る。

「そっちは行ったんですね。当然呼ばれているだろうなとは思っていましたよ。どうでした、式は? 美味しいものありました?」

「訊くのそこ?」

 見上げた玲は声を上げる。

「大事なことでしょう」

「そりゃあ、まあ……」

 十歳、成長盛りの少女はもごもごとなると、子龍を見上げた。四つの目にさらされ、子龍はぱちぱちと目を瞬かせた。

「あーっと、ああ、あのな、牛の丸めたやつとかがあったな。あと、何だ、鮫の……汁? みたいなのがあった」

 子龍は身振り手振りを加えて説明をするが、玲は首を傾げた。もしこれが五山だったら、ばっさりと「意味分かんない」と言っているところだ。しかし、玲は子龍を気に入っているので、「うんうん」と頷いて聞いているばかりだった。玲にとって、子龍に出会うことは良いことなのだ。

「相変わらず言葉の表現が乏しいですね。大の大人の言葉とは思えません」

「うるせーな、来なかったくせに。どれも美味かったぞ」

 子龍は頬を赤くして反論する。

「それは良かった。僕の分まで食べてもらわないといけなかったので」

「それは大丈夫だ。二人分はゆうに食べた」

「私の分も食べてくれたの?」

「そうだな、三人分くらいだったかもな」

 子龍は玲の頭を撫でた。五山といる時には滅多に見せない甘えた表情は、年相応であった。玲は、子龍を兄のように慕っているのだ。

「なら良かった! ねえ聞いてよ、五山なんか、あんなところの料理はきっと畏まっててお腹いっぱいにならないから、とか言うんだよ? 屁理屈言って行きたくないって言うし、もう困っちゃう」

「五山、玲ちゃんを困らせんなよ」

「困らせていません。僕は行かないと言っただけです」

 五山はつんとした調子だ。相変わらずの五山に、子龍はやれやれと頭を振る。

「来ないかもしれないとは思ってたけど、本当に来ないとはな。ああいう格式ばったの、五山は嫌いだろうとは思ったけど、ここは大人の対応だよ。俺は、絶対に行った方が良かったと思う」

「そうそう、言ってやってよ」

 二人して、五山を非難するように声を上げている。五山はへの字になると、「もう終わったことじゃないですか」と目を逸らす。

「そりゃそうだ。終わったこと。俺だって、終わったことをぐちぐち言うのは嫌いだよ。でもな、五山」

 子龍は唐突に顔を上げると、五山へ向き直る。

「お前、不興を買ってるぞ」

「不興?」

 五山は、器用に片方の眉を上げた。

「もちろん、式に来なかったからだ。天皇陛下や各所のお偉いさんたちに、悪い心象を与えたはずだ。あいつは変わり者だって、実際に言われてるのも聞いた」

「はあ、そうですか」

 五山は感情のない声色である。誰にどう思われようと、まるで興味がないのだ。子龍はこれみよがしに溜息を吐いた。

「はあって、五山。今後生きにくくなったら困るだろ? 貰って困るもんでもねえし、式くらい来れば良かったんだ」

「僕は好きに生きてるだけですけど」

「そりゃあ五山の力はみんな認めてるし、退治してくれるんだからそれを邪魔しようなんて奴はいないだろうけど、五山だっていつかは年食ってじじいになるんだ。そういう時にどうやって生きていくかって話なんだよ。今だけが人生じゃない、将来のことも見据えてだな」

 玲は頷きながら、一緒に責め立てるような視線を送っている。五山はじっとりとした顔で聞いていたが、子龍の言葉の隙間を狙って口を開く。

「将来なんて、明日生きてるかどうかも分からないのに?」

 五山の言葉に、子龍はぎくりとした。

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