第13話 苦悩
悪鬼と対峙するとき、五山はいつも冷静を努めた。感情に捕らわれないよう心を定め、刀を振るうのだ。五山の力は圧倒的で、悪鬼はいつだって一瞬のうちに倒れる。あっけないほどである。人間にとって脅威である悪鬼は、五山にとっては赤子の手だった。しかし、それが普通ではないことを知っている。普通の人間は、これほどまでの力を持たない。母の死がきっかけになって開かれた道を、五山は着々と歩んでいるつもりだった。誰に何と言われても構わないのだ。
玲は五年間ずっと五山に付いて来ているが、その理由を、五山は母への恩返しだと考えている。直接聞いたわけではないが、五山の中ではそれが真実となっていた。いつ玲の恩返しが終わるか分からないため、あまり頼るのは良くないと思いつつ、ついつい玲を頼ってしまうのは、やはりその力が特殊だからである。
五山はあれこれと考えながら、玲に言われた通り、真っ直ぐに歩いた。人気のない、鬱蒼とした場所に着くと、やっと五山にも気配が感じられた。
臭いがするわけではない。今回に限っては、お香の袋を持っているのだから匂いがして当たり前なのだが、本来、悪鬼の気配というのは臭いがするわけではない。
視界がさーっと広がった。悪鬼特有の、ぴりぴりとした緊張感が漂う。鳥が飛び去り、鼠が逃げ出すような、圧倒的な危険が空気を覆うのだ。それはもう、本能である。
木々がざわめいた時、五山は悪鬼を見つけた。
立ち姿は一見、人間のようにも見える。土気色をした腕は泥のようになり、ぽたぽたと歩くたびに地面に跡を残す。頬の部分や胸の辺りは逆に乾燥していて、そこから青白い何かが露出していた。白く見える部分は骨だろう。腐っているようにも見えるが、彼らは決まってほとんど無臭だ。つんと鼻を刺す良い匂いは、お香である。獰猛な呼吸音が聞こえて、五山は心を落ち着けた。
これが、五山の現実だ。目を逸らすわけにはいかなかった。人間だった時がどんな姿だったか、ここからは想像することも出来ない。以前は美丈夫だったとしても、悪鬼になれば見る影はなくなる。
焦点の定まらない飛び出しかけた目玉が、ぐるりと一回転した。着物などほとんど溶け敗れていたが、微かに残っているそれは、紺色の布であった。そして、右手に握っているのは、玲の小袋である。首にかけていたという紐は溶けてなくなっていて、袋も半分ほど中身が露出していたが、それでもなお匂いは残り続けている。
悪鬼になると、人間としての理性は消え去る。五山は訝し気に思い、声をかけてみることにした。
「あなた、まさか自我が残っているなんてことありませんよね?」
当然、悪鬼は言葉を理解しない。元人間とはいえ、悪鬼になった瞬間、言葉を持たなくなるのだ。
空気音だけが辺りに響いた。お香を握っているのはたまたまで、彼は、完全なる悪鬼になっているというわけである。
すると、彼の目が鋭く攻撃性を帯びたものへと変化していく。五山を殺す対象とみなしたのだ。五山は刀を握ると、じっとその瞬間を待った。
情けは無用だ。人間に害をなす悪鬼退治は、善である。しかし、五山は迷わない時はない。進むべき道はこれだと覚悟しているに関わらず、迷わない時はないのである。
悪鬼になった人間は、永遠の苦しみが続くと言う。しかし、五山はいつだって、死後の安らぎを願っている。
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