第10話 武智

「こんにちは。ちょっと良いですか?」

 玲の人懐っこさは、こういう場面で大いに発揮される。全く知らない人に対して物怖じせず話しかけられるのは、得であった。たいていの人は、玲に警戒心を抱くことなく対応してくれるのだ。今まで玲が話しかけるのを躊躇したのは、五山くらいのものである。

 見知らぬ少女に話しかけられた二人は、ぽかんとして訳も分からないまま「はい」と頷く。嫌とは言えない雰囲気を感じたのである。玲は十歳にして、空気を操る術を知っているようだった。

「今、何の話してました? 悪鬼って、聞こえた気がするんですけど」

 声を潜めた玲に、二人は目を合わせた。

「いえ、そんな話はしてないよ。聞き間違いじゃないかな?」

 男性が何食わぬ顔でそう答える。視線は合わず、玲は「そうですか」と応じた。

「悪鬼退治なら、お手伝い出来ることがあるかもしれないと思っただけなので、それなら良いんです。お騒がせしました」

「何だって?」

 男性は、そそくさと戻ろうとした玲を引き留める。玲は密かに一息吐いてから、ゆっくりと振り返った。

「悪鬼退治って、君、もしかして田郷の人?」

 玲は微笑む。

「ああ、そっちじゃなくて、武智の方」

 現在、悪鬼退治と聞くと田郷の名を上げる人が多い。彼らは集団を作り、悪鬼退治に奔走している。退治と言えば、多くの場合は田郷へ依頼するのである。

「武智五山?」

 女性が驚いたように声を上げた。武智五山の名は、強いけれど変わり者と認識されている。

 女性は、言ってからはっとして口を噤んだ。その声は、人々の会話の中でかき消されたようで、女性は辺りを窺ってから「すいません」と頭を下げた。

 男性は五山の名を口の中で繰り返すと、「神出鬼没の?」と玲へ向かって尋ねた。信じられないと言う顔をしているのも無理はない。男性の言う通り、五山は常に神出鬼没で、出会うことはそうないのだ。

「そうですそうです。何だあ、けっこう知ってもらえてるもんだね。そりゃそうか」

 褒章の授与に選ばれるほどだし、と玲は心の中で付け加える。しかし、それは現在の二人が知る由もなく、五山は式に参加することもない。

 女性は玲の手を取った。

「武智さんは、今どちらに?」

 ずいぶん積極的な様子に、玲はすぐさま答えようとするも、男性が女性を引き留めるように手を引き離す。

「ちょっと、姉さん」

「でも、そうしなきゃ駄目よ。もし、もし人が死ぬなんてことになったら……」

 二人は口を噤んだ。人が死ぬとは穏やかではない。何か事情があるらしい。

 玲は気軽な調子で、「五山!」と手を振った。少し離れた席から玲たちを見ていた五山は、淡々とした表情のまま立ち上がった。手には飲みかけの茶を持ったままで、「何でしょう」と言い寄って来る。

 二人は目を瞬かせ、五山を見つめた。

「ちょっと、話を聞いてあげてよ。あ、この人が武智五山です」

 目を合わせた二人は、息を詰まらせたような顔になると、小さな会釈をした。

 武智五山という名は知っていても、その外見まで知っている人は多くない。変わり者で強いという情報だけであれば、もっと屈強な男を想像する人が多いのだ。だから、ひょろりとした若者が出て来ると、驚かれることは多かった。強いと評判の男と五山の姿は、どうしたって重ならない。

 二人は訝しんでいる様子だった。虚言ではないかと疑い始めたのだ。無理もないことだった。

 二人の気持ちを察知した玲は、「まあまあ」と宥めるように言う。

「話すだけなら損することないでしょ。一回話してみてよ」

 憮然とした表情で立っている五山は、「ですが」と玲に続けて口を開く。

「無理に話す必要はありません。個人情報ですから、慎重な行動をお勧めします」

「五山」

 玲が咎めるように言えば、五山はふいと視線を逸らす。手には茶を持ったままで、湯飲みの中はゆらゆらと揺れていた。

 動揺したように視線を揺らしていた女性は、やがて「あの」と口を開く。

「場所を、変えても良いですか? ここでは、ちょっと」

 不特定多数の人間に聞かれたくない話というわけである。女性の瞳には、決心がついたという色が浮かんでいた。全てをこの若者に話そうと決めたのだ。

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