第9話 遭遇

 五山は太陽と共に身を起こすと、行動を開始した。玲のために水を持ってきてやって、簡単な朝ご飯を用意する。二人の生活は常に流動していて、この時間になったらこれをするという決まりはない。唯一決まっているのは、五山は玲より早く行動を開始するということだけだ。水を用意しない時もあれば、朝ご飯を食べない時もあるのである。

 五山は、決して玲を起こすことはしなかった。起きて来るのを待って、それから移動を始めるのだ。

 玲の睫毛が震えるのを見て、五山は刀を手入れする手を止めた

「おはよ」

 玲は大欠伸をしながら目をこする。

「おはようございます」

 すでに五山は刀を抱え、眠気の一つもないすっきりとした表情をしている。五山が寝ぼけている姿など、玲は一度も見たことがないくらいだ。

 玲は寝ぼけたまま顔を洗い、水を飲んだ。昨日の怒りはすっかり消え去り、いつも通りだ。

 しゃっきりとした顔になると、玲は身支度を整えてぐるぐると手を回した。朝の体操である。身体を伸ばし、首を回してから「よし」と頬を叩く。

「お待たせ五山。そろそろ行こっか」

 空き家へ向かって一礼すると、二人は歩き始める。同じ場所に留まり続けることは、ほとんどなかった。二人は常に各地を転々と回り、悪鬼の情報を聞きつけると現場へ向かうのだ。大江山や女木島など、悪鬼の巣窟と言われていた主な場所はすでに壊滅させた後なので、現在は足を使い、各地を巡る旅を続けている。二人にとってそれは、終りのない旅であった。

「で。今日はどっちに行くんだっけ?」

 玲がぐるりと目を回せば、五山は顎を撫でるようにする。

「さて、この辺りで悪鬼の話は聞かないので、気の向くまま行きましょう。僕の今日の気分はあっちですが、玲はどうです?」

 行く場所が定まっていない時、五山は必ず玲へ問いかけた。何と言っても、玲の勘は凄まじい。悪鬼の気配を誰より早く察知し、的確に安全な場所を指し示す。五山も、そういった意味で玲のことを信頼していた。

「珍しいね。今日は五山と同じ気分だ。あるんだね、こんなことも」

 二つに別れた道の先、玲は五山が指し示した道へ一歩踏み出した。こういう場合、玲が選ぶのは悪鬼のいそうな方向だ。五山は頷き、玲の隣を歩き出した。

 太陽が二人の真上に上がり、ぎらぎらと輝く頃になると、二人は茶店で休憩を取ることにした。茶とみたらし団子を頼むと、二人は案内された席にどっかりと座り込む。疲れた、と玲が呟けば、五山は他人事のように「へえ」とだけ言うのだ。これはいつものことだった。

 五山という人間はまるで人間らしくないところがあり、非常に強く、疲れ知らずで睡眠時間も少しで十分なのだ。玲には理解出来ないことであったが、五山も玲のことが理解出来ないでいた。すぐに疲れたり、たくさん眠らなければならない玲を、二人で行動するようになった当初は不思議そうに見ていたのだ。五山の母も五山と似ていて、体力のある人だったので、人間とはそういうものだと、それまでの五山は思っていたのである。

 一息ついた玲は、店内を見回すと「平和だねえ」と言った。

「そうですか?」

 五山が肘を突くと、玲も同じようにする。

 茶店はそれなりに盛況で、客たちは思い思いに会話を楽しんでいる。穏やかな午後は安穏としていて、恐怖や不安とは一線を画した空間である。まるで、悪鬼などは悪い夢であって、この世には存在しないと言わんばかりだ。

 しかし、それこそが夢なのだと、五山たちは知っている。

 ここにいる人たちは、悪鬼に遭遇せず運良く生き延びて来た人たちなのだ。彼らにとって、悪鬼は噂でしか知り得ない存在なのである。

 悪鬼は確かに存在する。人々は知らない振りをしながら、内心ではいつ遭遇するか、恐怖に怯えている。

「みんな楽しそうにしてるんだから、平和でしょ?」

「そういうわけじゃありませんが、平和と呼ぶには、この世は後ろ暗い部分が多いでしょう」

「五山がそういうのばっかり見てるからだよ。それだから、ずっと陰気臭い顔してんだね」

「おっと。その言葉、相手が僕だから良いものの、普通ならはっ倒されてますよ」

「私よくこういうこと言うけど、はっ倒されたことないし」

「運が良いんですね」

「私がとびきりキュートだからよ」

「…………」

「おい。何か言え」

「……っと、来たようですね」

 五山は何も聞いていないような顔をして、店員から茶とみたらし団子を受け取った。玲は不機嫌に口を曲げていたが、礼を言いながら同様に受け取る。五山の口角が僅かに上がった。玲は、それを見逃さなかった。基本的に五山には好き嫌いがないが、甘いものはそれなりに好んで食す雰囲気がある。本人から聞いたことはなかったが、僅かな反応から玲は判断していた。

「いただきまーす」

 玲は団子を頬張った。玲も、甘いものは大好きである。心なしか、いつもより丁寧に口を動かしている五山を眺めていると、玲は不機嫌だった気持ちがどこかに行ってしまった気がした。五山はよく玲を怒らせるが、玲の機嫌を直すのも五山なのである。

「日本人は縄文時代から団子を食べていたなんて話を聞いたことはありますが、歴史は長いものです。花より団子とは、良い言葉ですね」

「そんなこと言いながら、五山は花にも団子にも興味ない性質だよね」

「心外ですね。僕の何を見てそう思うんですか」

「全部」

 玲が問答無用で言うと、五山は黙った。玲がふふんと笑うと、五山は不服そうに茶を飲む。

「うちの子がねえ」

「そうそう、それでその人がすごく格好良くて」

「最近腰痛がひどくて」

 二人の周りでは、様々な会話が繰り広げられている。主な内容は、日常の些細なことだ。何気ないことを話し、笑い、人々は満足するのだ。

 玲は、五山と会話をしながらそれらに耳を澄ましていた。玲にとって、こういう空間は情報を得る良い機会だ。五山は他人の話に耳を澄ますことが出来ない性質なので、玲が勝手にやっていることだった。もともと、大人たちの噂話をこっそり聞くのはお得意である。

 悪鬼退治で各地を転々としていると、世相に疎くなりがちだった。特に、五山はそういったものに全く興味を持たないので、玲は自ら行動しなければ、時代に取り残されてしまう気がしていた。そうなれば、悪鬼退治にも支障が出る。行き当たりばったり、運良く悪鬼に遭遇する確率なんて、そう多いものではない。私がしっかりしなければ、と玲はいつも思っている。

 もちゃもちゃとみたらし団子を頬張りながら、玲は店内の最奥、ひそひそと話す若い男女二人に目を付けた。目元が似ているので、おそらく姉弟だろうと思われた。人目を気にする動作で深刻な表情をする彼らは、玲の目に異様に映った。その場所だけ、平和的ではないのだ。玲の直観が「これだ」と叫ぶ。

 玲はしばらく耳を澄まし、よく観察し、茶を飲んだ。そして、「五山」と名前を呼ぶ。

「何ですか?」

 玲の気持ちなどいざ知らず、五山はきょとんとした声である。

「あの二人、ちょっと話して来て良い?」

 最奥を指差すと、五山は「何で」と言う。

「何でって、さっき悪鬼って口が動いてたから、悪鬼の話してるのかと思って」

 玲は目聡い。聞こえずとも、読唇術が使える。あくまで独自の方法であったが、五山には出来ないことである。悪鬼と聞いて、五山が駄目だと言うわけもない。

 五山が頷くのを見た玲は、静かに席を立った。

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