第8話 闇夜

 人は、欲望のまま生きていると、悪鬼と呼ばれる人々の生活を脅かす存在となる。偸盗や邪淫など、五悪と呼ばれる悪事を繰り返しているうちに、いつしか悪鬼となり、人を祟り襲い、地獄へ堕ちるのだ。悪鬼になった人の苦しみは永遠であり、終わることがないと言われる。そうならないために、人は善行を積む必要があった。欲を遠ざけ、自らを律し、五戒を守ることで、人は邪道へ堕ちることなく生きられるのだ。施、慈、慧を胸に刻み、正直で穏やか、困っている人を助けることこそが道義であるとされ、中でも自分の身を顧みない、他人のための勇気ある行動は、称えられる対象であった。つまりそれは、悪鬼退治だ。危険を伴うと分かっていながらも、世の平和のために行動する人は多くないからこそ、どの地でも尊ばれた。退治を行う人の中でも、武智五山の名は広く知れ渡っている。大江山の鬼、女木島の鬼など、人々を苦しめていた悪を若くして次々と退治した彼は、変わり者でさえなければ、今頃英雄として町を闊歩していただろう。残念ながら五山は他人を寄せ付けず、金や名誉に執着せず、玲だけを連れて各地を転々としているため、英雄より変わり者の印象が強いのだ。それでも、功績は功績だということで褒章の授与の対象になったのだが、五山はそれを辞退するのである。これを、変わり者と呼ばずして何と呼ぼうか。

「五悪の一つは殺生です。殺生は駄目だと言う割に、鬼を殺すことは是とされる。彼らだって元は人ですけどね」

 五山と玲は、焼いた肉を頬張りながらそんな話をしていた。各地を転々として退治を続けている彼らは、宿に泊まったり、家に泊めてもらったり、時には野宿をしたりするが、今回は偶然見つけた古びた空き家を拝借していた。風が吹けば飛んでいきそうな屋根と、ぼろぼろの壁、歩くたびにぎしぎりと音が鳴る床は、お世辞にも居心地が良いとは言えない。それでも、肉さえあれば極上の空間が演出された。

 肉を焼く音は食欲を誘い、焼けるなり二人は「いただきます」と手を合わせて噛り付いた。こんな場所であっても野宿よりはずっとましで、肉が美味いという事実が玲の満足感を満たしていた。幸せそうに頬張る玲は、「毎日食べたい」などと呟いている。口の周りをべとべとにしながら、玲はごくんと肉を飲み込んだ。

「当然、私たちは人なんだから、人に害を及ぼすものは退治すべきだよ。考えるべきは、私たちが住みよく暮らせるように、なんだから。それにしたって不思議なんだけど、人はどうして駄目だって言われてる悪を犯して、善行を積むこともなく悪鬼になるんだろうね? 五山はもらわないけど、褒章が授与された人は悪鬼にならないんでしょ? 全員が真面目に生きて悪鬼にならなかったら、退治は必要ないし、平和に生きていけるよ?」

 玲の疑問は、純粋で真っ当なものである。

 褒章の授与の対象に選ばれるほどの善行を積めば、悪鬼にならないという話は誰もが知っていることだ。

「人って、そういう生き物なんですねえ」

 五山はしみじみと言い、名残惜しそうに最後の一口を口に入れた。肉を丁寧に咀嚼し飲み込むと、口を拭いて水を飲む。同じ頃には玲も食べ終え、お腹いっぱいと腹をさすった。

「でも五山は、悪鬼を退治したら邪道に堕ちる、なんて言われても、退治を続けそうだよね。頑固だから」

「それが僕の生き方だと思えば、当然そうなりますね」

「不器用だよね」

「何とでもお言いなさい」

 空を闇が覆っている。暗くなったら寝て、明るくなったら起きるという生活をしている玲の就寝は早い。満足そうに転がると、すでにうとうととしかけていた。古い空き家はあちこちがたが来ていて、隙間風が入り込むたび玲は身体を縮こまらせる。野宿よりは良いが、快適な寝床とは程遠い。五山は玲に上着をかけてやると、自分も隣へ転がった。常に携えている刀を脇に置き、視界に広がる闇を見つめた。夜は静かだ。眠る気のない五山はずっと目を開け、耳を澄ませていた。

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